▼日吉神社の御朱印です。(東京都昭島市拝島町1-10-19)
2014年は当然この1種類のみで、有無を言わず直書きでした。
当時は御朱にグリーンのスタンプ使用は、かなり希少な存在でした。
2021年「通常版」デザインの基本に変化はなく、押されているスタンプの数と内容が違うだけでした。
大きく変わらない御朱印に敬服です。
ですが、
「総天然色」の御朱印兄弟たちがたくさん現れて、今やこちらが主役のようです。
▼日吉神社の御朱印(榊祭版)。
「榊祭」とは、毎年9月の例祭の前夜祭である「榊の渡御」が行われる祭だそうです。
▼1767年に描かれた「榊の渡御」の様子です。(写真は【あきしま 水と記憶の物語】)
祭は現代に引き継がれていて、榊の神輿を先頭に町内を練り歩き、続いて通る神様の乗った御神輿の通り道の露払いの役目を果たしているそうです。
▼拝殿左手の授与所は御朱印サンプルがズラッと並んでいます。
「PayPay」などの電子マネーも利用できます。
電子マネーで支払う金額を「初穂料」と呼ぶとしたら滑稽に思います。
▼「通常版」と、もう1種類が「本日の直書き」と矢印されています。
どうなっているのか、授与所の案内は16種類でしたが、
神社のHP「令和3年の御朱印の案内」には24種類ものサンプルが掲載されています。
▼「直書き」は午後1〜4時。
直書きなどにこだわる参拝者は神社の【Twitter】などをチェックしてからお出かけください。
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▼神社へは「拝島駅」から歩くと20分以上必要です。
「立川駅」や「拝島駅」からバスが出てますが、降車バス停名は「拝島大師」。
この地域では「日吉神社」より「拝島大師」のほうが知名度が高いかもしれません。
その「拝島大師」の御朱印をいただくには「写経必須」だそうです。
その写経の「敷居」は高いので、ネットで「拝島大師の御朱印」の検索結果は、たくさんの数は出てきません。
それどころか「日吉神社」の御朱印が検索結果として現れてしまいます。
「拝島大師」では「納経」=「御朱印」というルールを守っているのでしょう。
▼もとより神社に「納経」はありませんので、鳥居は高くとも、敷居は低いのです。
▼「一ノ鳥居」から延びる参道は社殿まで一直線です。
▼「二ノ鳥居」です。
▼2014年の「二ノ鳥居」です。変わりませんが、現在より寂しげでした。
▼現在は先の石段に幟が立ちます。
「七五三」の幟でしたが、これだけでも歓迎の印のように賑やかに感じます。
日吉神社の創建は不明です。
神社の由緒によると、境内続きで隣接する「大日堂」再興の折に旧拝島村総鎮守山王社として現在地に建立されたと言われています。
御朱印に「拝島山王社」と添え書きがあるのはこの所以でしょう。
後の江戸時代に「山王大権現」の称号を得て「山王大権現社」となり、
明治になって神仏分離され、現在の「日吉神社」に改称されています。
旧拝島村総鎮守の日吉神社ですが、大日堂を中心とした薬師堂、鐘楼、仁王門などの伽藍を持つ天台宗の守護社として「日吉大社」から勧請され建立されたとも伝わります。
大日堂が開創されたのは952年といわれ、神社の創建はその時期だったのか、
あるいは大日堂が再建され「大日八坊」と呼ばれていた現在も残る普明院、拝島大師本覚院などが建立された同じ時期の天正年間の創建か、やはり神社の起こりは不明です。
いずれにしても「大日堂」を中心に、「大日八坊」と呼ばれた八つの寺院と並んで「日吉神社」が鎮座し、大きな宗教ゾーンを形成していたのでしょう。
▼唯一の境内社は「相殿」の額が掲げられていました。
▼向かって右隣の「大日堂」が圧倒的な大きさを誇っているので「日吉神社」の社殿は小さく、遠慮がちに見えてしまいます。
▼こちらは20014年撮影の拝殿。手前のスロープが鮮明な記憶となっています。
▼拝殿の彫刻が見事です。拝殿から本殿までは江戸時代のものが残っています。
▼扁額は「山王社」です。「山王大権現」であり「ひよっさん(日吉さん)」なのでしょう。
▼横顔の美しさは「大日堂」に負けていません。
▼拝殿から回り込むと、思いもよらぬ本殿の美しさに驚かされます。
▼中国の古事によると思われる彫刻と、小動物たちが刻み浮かばれています。
▼木鼻も「ドヤ顔」に見えなくもありません。
▼神社と大日堂のガイド版にはQRコードが配置され、詳細を得られます。
▼さて、ここまで訳も分からず「大日堂」の文字を連ねてきましたが、その「仁王門」も圧倒的な存在です。
境内に登ってしまえば日吉神社と地続きの境内ですが、
参道は神社のものと平行して別に設けられています。
▼この「大日堂」あっての「日吉神社」ですので、御朱印はありませんが神社と同様に参拝しましょう。
▼「大日如来」さんは、この奥にいらっしゃるのでしょう。
▼以下「薬師堂」と「鐘楼」。
「大日堂」と「日吉神社」の「境」は、その役割を神社の瑞垣が担っていますが、境内は地続きです。
神仏の「仲よき時代」を実感できる日吉神社だと感じます。
▼日吉神社、山王社は全国に多くありますが、関東のその一部の記事。