神社の読みは素直に「かさいし じんじゃ」です。
さらに墨書きの「日本三古碑」「一六九ニ年 徳川光圀創建」の文字は、神社側の訴求を表しています。
御朱印を見れば、ほぼこの神社の概略が知れるという事でしょう。
▼御朱印は鳥居右横奥の社務所で宮司さんに揮毫いただきました。
▼その宮司さんから半端でない量の資料、ボールペンなどをいただきました。
▼いただいたボールペンにも「笠石神社1962年徳川光圀創建日本三古国宝」などの文字が表記され、PRも半端ではありません。
宮司さんが語る神社と古碑の解説も半端ではありませんでした。
その時間は15分ほどだったように覚えますが、
勝手で失礼ながら、こちらから切り上げるタイミングを作りました。
そうしないと、話はさらに15分以上は続きそうでした。
宮司さんの真摯な思い入れが伺われました。
できれば、最低半日は話にお付き合いしたいお人柄でした。
▼様々に並ぶ授与品の中から・・・
▼神社の御神体でもある、国宝の碑文の写真を1枚購入しました。
正直、写真でも読み取れる文字は多くはありませんでしたが、御神体でもあり、飛鳥時代に刻まれた文字だと知ると、感慨深くもあります。
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▼笠石神社はR294沿い、いわゆる「那須」の東端と言って良い位置に鎮座します。
▼宮司さんの「世界遺産」にしたい、そしてその運動を地域の人々と共に活動しているとのお話の神社入口です。
日本に1000件以上ある国宝も様々です。
その多くは建物や仏像などは理解しやすく、多くの人々が「見てみたい!」と魅了させるものなのでしょう。
しかし、ここの国宝は「石碑」に刻まれた「碑文」の文字とその内容です。
「ジミ」なのです。
と言うより、一般人には分かりにくい、形として記憶に残しにくいと言う事です。
宮司さんの思い入れはイタイほど理解できるものの、「ジミな国宝」とその構成要素を世界遺産まで押し上げるのは難しいかもしれません。
しかし、世界遺産認定は難しいものの、必ずや「否」ではないでしょう。
その認定基準は常に流動的ですから、10年後の予想はつかず、
さらに100年後、1000年後は全く未知の世界なのでしょう。
▼「日本考古学発祥の地」の石柱と石碑は「令和三年」の文字があり建立されたばかりです。
水戸光圀の指示により近隣の古墳発掘、調査、記録されたことが「考古学発祥の地」とする謂れだそうです。
▼水盤の文字に「漱盥(かんそう)」すすぐ、たらいでお清めです。
▼鳥居をくぐるとすぐ左手に境内社。
▼境内社の前に数匹の黒いトンボ。通称「神様とんぼ」と言うそうです。
▼こちらが「拝殿」になっているかもしれません。
▼この奥が笠石神社の本殿です。
ここにも「拝観受付ます」の案内があり、宮司さんの意気込みがヒシヒシと伝わってきます。
話好き、解説、説明好きそうな宮司さんに依頼すれば喜んで対応いただけるでしょう。
▼碑文を刻まれた石碑に、笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれ、笠石神社となったようです。。
碑の概略は、
西暦700年、当時の那須国を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したもの。
それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑を見つけ、堂をつくり安置されたとのことです。
さて、宮司さんと話している中で最後に、
「那須にもこんないいところがあるのかと思えるような牧場ですので、ぜひ立ち寄ってみてください」との言葉に従い、
▼寄ってみました「NASU FARM VILLAGE」。
う〜〜〜ん、確かに北海道を連想させられるような光景です。
那須には何回も訪れていますが、いずれも国道4号線の西側、茶臼岳のある方面ばかりでした。
もちろん、そちら側の山麓にも多くの観光牧場がありますが、こんなだだっ広い牧場は知りません。
宮司さんの言うところの「こんないいところ」も満更ではありませんでした。
▼おしゃれなレストラン・カフェもありました。
▼アイスティー片手に眼下の景色と共にしばし寺社巡りブレークタイムです。
▼ファームはホーストレッキングなど様々な体験ができるそうです。
▼ハイッ! 人参は持っていません。優しい眼だけれど、そんなに近寄らないで!
さ〜〜て、そんなにノンビリしていられません。
この日はここまで、まだ5ヶ所の御朱印しかいただいていません。
ゴールの白河の南湖神社まで、もう1、2ヶ所訪問してみます。