日照山 法昌寺の御朱印
下谷七福神「大毘沙門天」の御朱印は2013年と24年では、まるで異なっている。
スタンプ・印も違えば墨書きも異なるので書き手さんも変わったということでしょう。
▼法昌寺の御首題(2024年)
御首題をいただくのは22年10月以来。豪快な筆跡で素晴らしい。
▼わかりやすい七福神受付。
▼受付は女性だったが、ダメモトで御首題をお願いしたらご住職自ら揮毫いただけた。
お守りなどが見事な筆跡の文字で案内されていた。
寺の姿勢が見える一部分でもある。
▼下谷という町名の地域は日光街道の西沿いをへばりつくように北上野から三ノ輪近くまでに細長く伸びている。
いずれにしても町名は目・耳にするものの具体的な地域を思い浮かべるのは難しい。
▼弁天院から法昌寺を目指して歩いてくると「小野照崎神社」の前を通る。
当然のことながら七福神より人出は多く、境内でもイベントが催されていて混雑だ。
浅草→上野→入谷→谷中、このラインは寺が多い。
ここ法昌寺界隈も寺社が密集している。
▼寺の名称が書かれていても読めない文字も多いから間違えそうだ。
▼法昌寺の前の道路沿いに立つ「泰寿院」の路傍の地蔵。地蔵はこうあるべきかも。
▼ちょっと法昌寺の山門を通り過ぎて振り返った寺の全様。
真紅の幟が人々を招くかのようだ。
▼外からも、境内に入ってからも目に入るのは日蓮像。
日蓮の像は、何処でもほとんど同じポーズをとっている。
左手に巻物、巻子を持っている。
数えきれないほど目にしているが手にしている巻物は法華経なのか、立正安国論なのか知らない。
寺で聞けばすぐ答えてくれるだろう。機会があれば聞いてみることにする。
法昌寺は山号にもなっている日照によって1648年に開山されている。
日照は日蓮六老僧の一人に数えられている。
▼移転、罹災を経て建て替えられた現在の本堂はまだ新し目。
▼本堂に向かって右に小さな「たこ地蔵」。
「たこ薬師」は知っているが「たこ地蔵」??
地蔵に刻まれている文字は「迷惑かけて ありがとう たこ八郎」
ヘンな日本語だが知る人ぞ知るコメディアン、昭和の怪人「たこ八郎」らしいかも。
▼ボケてしまったが毘沙門天像は木造?
▼2013年は石造だった。上の写真とは雰囲気、重みがずいぶん違う。
いただいた御朱印が11年前とは異なるように、寺の住職も代わり、同時に毘沙門天像も入れ替わったのかもしれない。
寺の組織はクローズドされて複雑怪奇、我々の知れるところではない。
▼門前の狭い道路沿いにオープンに建つ「救世観音堂」。
これも2013年には無く新しい。現住職は活動的なのかも。
OpenもClosed もそれぞれ訳あり、
この寺はもう少し知識を得る必要がありそうだ。