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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

走水神社の御朱印(神奈川・横須賀市)〜誰よりも大切なひととの別れが怖い、水中に没した想い ?

走水神社御朱印です。(神奈川県横須賀市走水2-12-5)

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はしりみず じんじゃ」です。

一部墨書きがスタンプに変わっていますが、2013年と21年、基本変化なしです。

 

走水神社御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20211208174025j:plain

 

走水神社御朱印(2013年)。

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御朱印は境内石段右手の所授与所でいただきました。

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▼「かっぱおみくじ」は、境内のカッパを祀る「水神社」に由来するものでしょう。

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▼走水神社へのアクセスは「馬堀海岸駅」から観音崎行きバスの利用になります。

 

▼東京方面からの国道16号は「よこすか海岸通り」と名付けられています。

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ヤシの木が連なる道路は開放感たっぷりです。

関東近郊では館山、御宿、舞浜、御前崎など千葉や茨城に多い「ヤシの木通り」をドライブすると何故か高揚感が立ち上がってきます。

山に向かう道も楽しいのですが、海が開ける道路を走る時は、山側に向かう時とは全く異なるワクワク感が湧いてきます。

 

▼走水神社境内からは高みに登らなくとも鳥居の先に海が見えます。

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同じ神奈川の森戸神社、茨城の大洗磯先神社などのように海を望む人気の神社はたくさんありますが、

それらとは少し違う雰囲気の「走水神社」です。

 

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同じ海が見える神社でも当社は山を背負い、山の中腹に社殿が建ちます。

「山➡︎神社➡︎海」が直線的に並ぶのが、他の海沿いの神社との違いかもしれません。

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走水」の地名は三浦半島でも最も古くからあり、走水神社脇から豊富な地下水が湧き出たのが地名の起源とも伝えられています。

もっとも「走水」の地名は、他にもあったかもしれません。

石川さゆりが歌う「天城越え」の吉岡治の作詞には「走り水 迷い恋」と続きます。

さらに繋がりがあるか否か熱海には「走り」もあります。

 

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現実には色々あれど、古には

日本武尊東征の際、荒れた海を鎮めるため、

妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が、ここの海中に身を投じたところ、

海は凪ぎ風は静まり、日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることができたと伝わる故事により、

以来この地を「水走る」「走水」と呼ぶようになったとも言われています。

 

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走水神社は、その日本武尊弟橘媛を祭神として祀っています。

日本武尊東征の際に入水した弟橘媛の櫛が海岸に流れつき、村人は社を建てて櫛を納めたとされ、その橘神社は1885年に走水神社境内へ移され、さらにその後、走水神社に合祀されています。

 

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いずれも伝承ですが、上総国に渡ろうとした日本武尊源頼朝の二人は人気者だけに

そのエピソードは多種多様に残っているように思います。

 

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走水神社の創建は不詳ですが、

日本武尊から与えられた冠を石櫃に納め土中に埋め、その上に社を建てたのが起こりとしています。

というように記紀の時代の話が伝わるので神社は2000年の歴史を持つことになります。

 

▼社殿へ続く石段周辺の様子は一瞬、神々しい姿も見せます。

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▼神社へのアクセスは良くないにも関わらず多くの参拝者が見られます。

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▼この印象深い景観は他の神社でも見られますが、走水神社はどこか違う雰囲気を持っているように感じます。

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▼社殿内には日本武尊弟橘媛の絵も飾られていましたが、撮影はボケました。

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▼社殿右手に「稲荷社」が建ちます。

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▼さらに「旧別宮」。狛犬は一対の相手を失ったのでしょうか?

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▼「水神社」はカッパ伝説とともに「河童大明神」が祀られています。

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何かと「水」との関わりが多い神社ですが、

走水神社の裏手を流れる清流に河童が住んでいたという伝説から建てられています。

 

▼山の中腹の境内は狭く、崖下の境内が急斜面の下に見えます。

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▼「⬅︎」印通りに進んでみます。

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▼旧別宮に対する「新別宮」。f:id:wave0131:20211208174509j:plain

弟橘媛命と命を共にした侍女たちが祀られています。

 

▼さらに山中を進み「神明社」の鳥居をくぐります。

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▼ほとんど山の中という場所に「諏訪社」「神明社」「須賀社」が並びます。

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▼こちらは稲荷社跡のようです。

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▼まわりをウロウロしていたら、このカンバン。

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▼しばし、木々の間に見える浦賀水道の海を眺めてノンビリです。

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▼山を下りる途中にある「弟橘媛命の石碑」です。

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東郷平八郎乃木希典により建立されたもので、弟橘媛命が最後に詠んだとされる歌

さねさし さがむのおぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」が刻まれています。

「相武の野に燃え立つ火の中で、わたしの心配をしてくださった貴方」という意味だそうです。

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▼さらに境内を散策すると「目玉おやじ」のような置物。

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ロシア製の「機雷」のようです。ちょっとブッソーにも見えます。

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▼この景色はもっとも走水神社らしく感じます。

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▼当初は大きな包丁かと思いました。

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弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因み、航海の安全を祈念した「舵の碑」でした。

 

▼コンパクトな「宝物殿」は頑丈な造りのように見えます。

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▼ほかに「針の碑」「包丁塚」「顕彰碑」などが見られました。

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東征後の日本武尊は、武運を開いてくれた媛を偲び

「あ~吾が妻よ」と浦賀の海に呼びかけ嘆かれたと伝わります。

記紀に語られている事柄が、まるで真実のように思えてくる走水神社でした。

福徳神社の御朱印(東京・中央区)〜「オサレ」に変貌したシティに 緑の森と 福の社

福徳神社御朱印です。(東京都中央区日本橋室町2-4-14)f:id:wave0131:20211210200231j:plain

右の2015年は朱印帳に揮毫いただきました。

左の2021年は「三、十二、四」の日付以外はプリントの書置き。

 

福徳神社御朱印(2021年・書置き)。f:id:wave0131:20211210200237j:plain

感染症に対する規制が緩和されても書置きだけの対応は残念ですが、

東京の現状、とりわけ23区内の神社では21年12月現在で、9割方が書置きとなっています。

 

福徳神社御朱印(2015年・直書き)。f:id:wave0131:20211210200234j:plain

シンプルでスタンダードなスタイルの御朱印ですが、達筆で美しく揮毫されています。

 

御朱印は蔵造りを模した「授与所」でいただけます。

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▼週末の授与所は常に参拝者が群がっています。もちろん御朱印目当てだけではなありません。

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日本橋三越本店前、コレド室町に鎮座する「福徳神社」です。

 

これまで一般的には「室町」の知名度は低かったのですが、

三井を中心とした地域の再開発で生まれた商業施設「コレド室町ショッピングパーク」ができて以来は、

人々に知られる「室町」になったと思います。

 

▼2015年6月、忽然と現れた朱の鳥居。まだ造成中の福徳神社です。

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当時は「こんなところに神社が?

と思う人がほとんどで、出来立てホヤホヤの神社に参拝者もまばら。

 

▼そして6年後の2021年。

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▼神社が鎮座する室町の一角は「福徳の森」と名付けられ、社叢らしき形も整いました。

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さすが「三井」の開発です。

老若男女、とりわけ女子たちを魅了させる神社づくりのノウハウは、神楽坂の「赤城神社」や、新宿の「成子天神社」などでも実績を築いています。

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三越COREDOという商業施設の集客力は神社も負けず、週末にかかわらず参拝者は絶えません。とりわけ週末は参拝に列ができること必至です。

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▼神社に隣接する「福徳の森」は、いつの間にかホントに森になっていました。

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▼森の東端は憩いの場になっています。

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オシャレな商業施設が多くを占めるようになった室町で、神社を中心とする30m×60mほどの敷地だけは公園的な要素を持つ解放区にしたようです。

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▼神社前に小さな祠がガラスケースに収まっています。

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かつての福徳神社は、一時ビルの屋上にありました。その時の祠かもしれません。

 

▼西側は「中央通り」を挟んで「三井タワー」が空を隠しています。

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▼授与所の建物は「神輿庫」にも利用されているようです。

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▼神社の裏側に回り「本殿」の姿を確認しました。

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ここからは時間を遡って「緊急事態宣言」が発せられた2020年5月の室町の様子です。

▼人っ子一人見当たらないような三越前の「中央通り」です。

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▼「外出自粛」の見本のような街並みは、自粛を守ろうとする三越や室町での購買者層の性格の一面が見えてきます。

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そんなゴーストタウンでカメラを持ってウロウロする不謹慎者は本ブログだけです。

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まるで人々が目覚める前の早朝の街写真のようですが、午後3時です。

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参拝者も見当たらず、静かになったところで「福徳神社」の歴史を少し追ってみます。

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福徳神社」の創建は、詳しくは分かっていませんが、

遠く9世紀には既に日本橋に鎮座していたそうです。

別名「芽吹稲荷」とも称されます。

 

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その姿がどんなであったか分かりませんが、

源義家や家康の参詣もあったと伝わり、長く人々の崇敬を得ていたそうです。

 

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著しく都市化されていった戦後の東京は、数多くの神社も巻き込み、

その敷地を道路、学校、公園などの公共施設に提供、縮小されてきました。

 

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福徳神社」も遷座を繰り返し、ビルの屋上、店舗の片隅などに鎮座を余儀なくされています。

そんな例が見られるのは、「銀座七福神」が典型的かもしれません。

銀座でビルの隙間、路地の奥、商業施設ビルの屋上などに追いやられている稲荷社は数知れません。

ちなみに現在は銀座七福神は活動していません。

 

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▼社殿前のキツネたちは、そんな神社の歴史を知らないカンペキ「Z世代」です。

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主祭神は五穀主宰の神「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」です。

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相殿には「天穂日命(あめのほひのみこと)」をはじめ、弁財天、道灌、家康など、錚々たる名、神が連なります。

 

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▼緊急事態宣言下、閉ざされた授与所。

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「福徳の森」にも人影はありません。

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▼森の片隅にある「薬祖神社」です。

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神社近隣の日本橋本町は昔から薬問屋の老舗が軒を連ね、現在も多くの製薬会社が本支社を置いています。

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そんな関係から、この地の再開発とともに、この神社が造立されたのでしょう。

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上野の五条天神社から分霊を祀られてはいますが、「東京薬事協会」という法人の所有物だそうです。

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▼そんなことから玉垣には、近隣の制約関連の企業名が見られます。

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歴史もなく、福徳神社のついでに建立された神社のように思いますが、

祀られている「薬祖神」は、日本に医薬を広めたとされる神「大己貴神(おおなむちのかみ)」と「少彦名神(すくなびこなのかみ)」を指します。

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以下、静かな神社周辺です。と言うか一時のゴーストタウンです。

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▼神社の西には、モダンな鳥居らしき造立物から神社を出ます。

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▼「中央通り」を横断して少し進みましょう。「日本銀行」です。

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福徳神社は宝くじ当選パワースポットとして有名で、名称通りに金運、福をもたらすご利益を得られるかも知れませんが、

ホントの力を持っているのはココです。

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「金運」を望む人はこの建物も参拝すべきでしょう。

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いや、神社より先に詣でるべきかも知れません。

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話が急ハンドルでヘソマガリな方向へ向かわないうちに、地下鉄で帰ります。

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2022年の七福神めぐり 〜東京と近郊の「御朱印で七福神巡り」参考過去記事LINK集

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都内の七福神は数多く30近くあり、どこも活発な動きを見せています。

 

その中で、東京とその近郊の七福神めぐりでいただいた御朱印記事のリンクです。

幾らかの参考にでもなればと思います。

 

谷中七福神=1月1日〜10日

日本橋七福神=1月1日〜7日(通年でいただける神社有り)

小石川七福神=1月1日〜7日(通年でいただける寺院有り)

 

 

 

wave2017.hatenablog.com

鴨居八幡神社の御朱印(神奈川・横須賀市)〜眩しく カガやく境内は「高気圧ガール」

八幡神社御朱印です。(神奈川県横須賀市鴨居3-5-5)

f:id:wave0131:20211209163609j:plain通称「かもい はちまん じんじゃ」です。

中央の印は神社の正式名称「八幡神社」。

左下の印は「八幡神社 社務所」。

書置きでしたが、きちんと墨書き、捺印されていました。

 

御朱印はこの授与所でいただきました。

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対応していただいたのは、おそらく女子高生。

宮司さんから教わっただろうと思われる、丁寧な口上を述べる女子にタジタジとしてしまいました。

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三浦半島観音崎の西に鎮座する鴨居八幡神社へは「浦賀駅」からバス利用です。

 

車ですと観音崎の一番海沿いの県道209「観音崎通り」を走っていると、いきなり右手に石造りの白い大鳥居が目に入ってきます。

 

▼車を駐車場に入れ、内側から見た大鳥居です。鳥居先の海は「鴨居港」。

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鴨居海岸から灯台が建つ防波堤の先に見えるのは「浦賀水道」と「房総半島」です。

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1月の小正月にはこの海岸で「どんど焼き(齋灯行事)」が行われるそうです。

 

▼神社訪問は11月でしたが、真夏のような高気圧が神社周辺を包んでいます。

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大鳥居の造立は新しいのでしょう。

鳥居の白さと扁額の形、文字の色にモダンな雰囲気を感じます。

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御朱印対応いただいたのは、おとなし目の丁寧なガール。

しかし、神社境内は眩しくハジけるような高気圧ガール。

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鎌倉時代前期、三浦半島は北条氏に滅ぼされるまでは三浦党の支配下にありました。

その三浦党の一族であり、当地鴨居の領主だった三浦義春が、

1181年、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのが当社の始まりとされています。

 

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ほかの参拝者も見当たらず、とても静かな神社でしたが、

▼一段高くなった二の鳥居からの境内の姿は、大変整った容貌を見せていました。

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手水舎の手前に一対の狛犬

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狛犬は二ノ鳥居同様に古そうです。この表情は江戸時代の建立のようです。

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主祭神誉田別尊(ほんだわけのみこと)です。

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主祭神の他に、当地に古くからあった須賀神社が相殿として素盞嗚尊を祀っています。

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さらに権現造りの社殿には、大鳥神社神明社なども相殿として祀られています。

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大鳥神社が相殿することから、11月には酉の市も開催されるそうです。

 

▼社殿左手には境内社の「天満社」が鎮座。

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▼天満社のさらに左手で睨みをきかすキツネは狛犬より勇ましそうです。

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▼こじんまりとした「稲荷神社」もきれいに整えられています。

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▼神輿庫を覗いてみました。

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鳥居の立つ神輿は、まさに神の乗り物であることを思い知らされます。

また神輿の豪華さや数によって例大祭などの様子がいくらか想像できます。

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▼大銀杏の御神木はバーバーショップへ行きたてで、キレイサッパリでした。

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ここまで刈られてしまうと、そう簡単には葉のつく枝は育たないのでは?と余計な心配をさせられます。

 

決して派手な神社ではありませんでしたが、境内に広がる光は思いっきりハデな八幡神社でした。

穴八幡宮の御朱印(東京・新宿区)〜冬至に「一陽来復」を授かりパンデミック収束を願う

八幡宮御朱印です。(東京都新宿区西早稲田2-1-11)f:id:wave0131:20211221180509j:plain

2012年から9年後の2021年の御朱印に何の変化もない、これぞ御朱印です。

 

八幡宮御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20211221180517j:plain

21年も書置きでなく、朱印帳に記帳いただけたのが嬉しい限りです。

 

八幡宮御朱印(2012年)。f:id:wave0131:20211221180514j:plain

御朱印は拝殿内の受付で直書きいただけますが、

12月の冬至の日から、翌年の節分までは御朱印は非対応です。

 

▼穴八幡宮が授ける「金銀融通」のお守りの授与期間が重なり、多忙だからでしょう。

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金銀融通」のご利益ありと言われる「一陽来復」お守りは、近年値上げされたようで、

いただいて持ち帰り、家の中の柱に貼る筒状のお守りが1000円、懐中用のお守りが400円になっています。

 

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▼穴八幡宮へは地下鉄東西線早稲田駅」から数分です。

当社に隣接する「放生寺」や、早稲田通りを挟んで東にある「法輪寺」、

さらに境内の南の道路「諏訪通り」を西に進めば「新宿諏訪神社」「幻国寺」があり、どこも御朱印をいただける寺社が連なります。

 

▼「一陽来復」お守りが授けられる12月の「冬至」過ぎから正月まで、穴八幡宮の参拝客は絶えず、その間の「表参道」は常にこんな様子です。

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そして境内にはここ10年ほどは常にどこかに新しい建物や、整備された箇所が見かけられます。

▼「北参道」となる「早稲田通り」沿いにも新しく鳥居が建ちました。

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▼黒い鳥居には八幡宮でよく見かける「」を表す、神の使い「」が一対置かれていました。

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▼こちらにも「一陽来福」と「虫封じ」の案内が掲げられています。

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▼鳥居の奥にも新たな大きな建物が建築中です。

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八幡宮東京大空襲で多くの建物を焼失しています。

その後の昭和から平成、そして現在に至るまで本殿、幣殿、拝殿、隋神門、鼓楼など、境内全域を江戸時代の絵図を基に再建途中にあります。

ですので数年を置いて参拝すると何がしかの新しい造営物を目にすることになります。

 

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▼表参道に戻ります。

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冬至過ぎの暮れは、ほとんどの参拝者が「一陽来福」を手にして戻ってきます。

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▼鳥居脇に「流鏑馬」。

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現在にも伝わる流鏑馬神事は、1728年に将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため奉納したのが始まりと言われています。

▼暮れの表参道は、冬至に欠かせない柚子を扱う店など多くの屋台が並びます。

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冬至前の「ニノ鳥居」は静かです。

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▼急な石段を登りきると平成に再建された「隋神門」が輝いています。

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▼扁額は「光寮門」と書かれています。

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光寮」? 正確な意味はわかりませんが、神の光が当たる寮と単純に理解します。

▼門には木鼻に「金獅子」がいくつも装飾されています。

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造立後20年以上経ちますが、寺社の建物にとって20年はほんの僅かな期間。

まだ真新しさを感じさせ、100年後も人々の目にはそれほど古さを感じさせないかもしれません。

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▼左手に「鼓楼」が見えます。

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神仏習合時代は鐘楼だったものを平成に再建されたものです。

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▼右手には、珍しい組合せの布袋尊像の手水舎水鉢が並びます。

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手水舎水鉢の2つは、まだ造立されたばかりです。

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▼拝殿前の参道。ここも冬至過ぎには多くの参拝者が見られます。

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社伝によれば、1062年、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったのが起こりといわれ、当初は「高田八幡宮」と呼ばれていました。

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▼黒を基調とした美しい拝殿も江戸時代の設計図に基づいて再建されています。

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五木寛之が神社の床下で寝起きしていた時期があったという伝説がありますが、

空襲で神社の建物が失われた戦後のことですので、仮殿の床下だったかもしれません。

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冬至以後は参拝に列ができます。

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▼随神門をくぐると左手に広いスペースがあります。

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▼そのスペースが冬至前には参拝者をジグザグに待機させる仕切りが作られます。

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冬至には早朝5時から「一陽来復」守りの授与が始まりますが、

前日深夜から並ぶ人もいて、朝方には行列は境外に続き、神社前の「諏訪通り」に何百メートルにもなります。

新宿諏訪神社方面になる明治通り近くまで列が届くこともあるそうです。

人々の金銭に対する信仰心の深さは、穴八幡宮の祭神も驚くばかりでしょう。

 

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▼しかし冬至も過ぎ、クリスマス頃にはこの程度に落ち着きます。

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▼そしていただくお守りがこれです。

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神仏に多くの願い事はしない本ブログですが、人から勧められた「一陽来復」だけは毎年いただいていて、止められないでいます。

いつも「金銀融通」を大きく期待するわけでなく、前年並みの環境が得られれば幸いと思っています。

さらに今年はパンデミックが早く治ればと願いますが、それらさえも欲張りと言えるかもしれません。

 

▼神社の南側にも出入口があり、石段が続きます。

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▼まるで城の石垣のような箇所も見たります。

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▼そしてこの一画に「八幡宮」と称するようになった由来が形となっています。

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1641年、庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ横穴が見つかり、中から金銅の阿弥陀如来像が現れたと伝わります。

このめでたいの神穴がある事から「穴八幡宮」と称されるようになったそうです。

▼その如来像が現れたと言われる場所に造営されたのが「出現殿」です。

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▼普段は門が閉ざされ中に入ることはできず、塀の隙間から眺めることになります。

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▼神社南側の「諏訪通り」から眺めると「南側の山裾」がよく分かる「出現殿」です。

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▼南側の「諏訪通り」に面する鳥居と、左は別当寺だった「放生寺」参道です。

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一陽来復」お札は翌年節分まで授与されます。

超混雑する冬至当日の授与でなくとも、その「ご利益」は変わらないはずです。

正月三ヶ日なども避けて、ユッタリと参拝しましょう。

 

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