走水神社の御朱印
「はしりみず じんじゃ」主祭神:日本武尊(神奈川県横須賀市走水2-12-5)
一部墨書きがスタンプに変わっていますが、2013年と21年、基本変化なしです。
▼走水神社の御朱印(2021年)。
▼走水神社の御朱印(2013年)。
▼御朱印は境内石段下右手の所授与所でいただきました。
▼「かっぱおみくじ」は、境内のカッパを祀る「水神社」に由来するものでしょう。
▼走水神社へのアクセスは「馬堀海岸駅」から観音崎行きバスの利用になります。
▼東京方面からの国道16号は「よこすか海岸通り」と名付けられています。
ヤシの木が連なる道路は開放感たっぷりです。
関東近郊では館山、御宿、舞浜、御前崎など千葉や茨城に多い「ヤシの木通り」をドライブすると何故か高揚感が立ち上がってきます。
山に向かう道も楽しいのですが、海が開ける道路を走る時は、山側に向かう時とは全く異なるワクワク感が湧いてきます。
▼走水神社境内からは高みに登らなくとも鳥居の先に海が見えます。
同じ神奈川の森戸神社、茨城の大洗磯先神社などのように海を望む人気の神社はたくさんありますが、
それらとは少し違う雰囲気の「走水神社」です。
同じ海が見える神社でも当社は山を背負い、山の中腹に社殿が建ちます。
「山➡︎神社➡︎海」が上下に直線的に並ぶのが、他の海沿いの神社との違いかもしれません。
「走水」の地名は三浦半島でも最も古くからあり、走水神社脇から豊富な地下水が湧き出たのが地名の起源とも伝えられています。
もっとも「走水」の地名は、他にもたくさんあります。
石川さゆりが歌う「天城越え」の吉岡治の作詞には「走り水 迷い恋」と続きます。
さらに繋がりがあるか否か熱海には「走り湯」もあります。
現実には色々あれど、古には
日本武尊東征の際、荒れた海を鎮めるため、
妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が、ここの海中に身を投じたところ、
海は凪ぎ風は静まり、日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることができたと伝わる故事により、
以来この地を「水走る」「走水」と呼ぶようになったとも言われています。
日本武尊東征の際に入水した弟橘媛の櫛が海岸に流れつき、村人は社を建てて櫛を納めたとされ、その橘神社は1885年に走水神社境内へ移され、さらにその後、走水神社に合祀されています。
いずれも伝承ですが、上総国に渡ろうとした日本武尊と源頼朝の二人は人気者だけに
そのエピソードは多種多様に残っているように思います。
走水神社の創建は不詳ですが、
日本武尊から与えられた冠を石櫃に納め土中に埋め、その上に社を建てたのが起こりとしています。
というように記紀の時代の話が伝わるので神社は2000年の歴史を持つことになります。
▼社殿へ続く石段周辺の様子は一瞬、神々しい姿も見せます。
▼神社へのアクセスは良くないにも関わらず多くの参拝者が見られます。
▼この印象深い景観は他の神社でも見られますが、走水神社はどこか違う雰囲気を持っているように感じます。
▼社殿内には日本武尊と弟橘媛の絵も飾られていましたが、撮影はボケました。
▼社殿右手に「稲荷社」が建ちます。
▼さらに「旧別宮」。狛犬は一対の相手を失ったのでしょうか?
▼「水神社」はカッパ伝説とともに「河童大明神」が祀られています。
何かと「水」との関わりが多い神社ですが、
走水神社の裏手を流れる清流に河童が住んでいたという伝説から建てられています。
▼山の中腹の境内は狭く、崖下の境内が急斜面の下に見えます。
▼「⬅︎」印通りに進んでみます。
▼旧別宮に対する「新別宮」。
弟橘媛命と命を共にした侍女たちが祀られています。
▼さらに山中を進み「神明社」の鳥居をくぐります。
▼ほとんど山の中という場所に「諏訪社」「神明社」「須賀社」が並びます。
▼こちらは稲荷社跡のようです。
▼まわりをウロウロしていたら、このカンバン。
▼しばし、木々の間に見える浦賀水道の海を眺めてノンビリです。
▼山を下りる途中にある「弟橘媛命の石碑」です。
東郷平八郎や乃木希典により建立されたもので、弟橘媛命が最後に詠んだとされる歌
「さねさし さがむのおぬに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」が刻まれています。
「相武の野に燃え立つ火の中で、わたしの心配をしてくださった貴方」という意味だそうです。
▼さらに境内を散策すると「目玉おやじ」のような置物。
ロシア製の「機雷」のようです。ちょっとブッソーにも見えます。
▼この景色はもっとも走水神社らしく感じます。
▼当初は大きな包丁かと思いました。
弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因み、航海の安全を祈念した「舵の碑」でした。
▼コンパクトな「宝物殿」は頑丈な造りのように見えます。
▼ほかに「針の碑」「包丁塚」「顕彰碑」などが見られました。
東征後の日本武尊は、武運を開いてくれた媛を偲び
「あ~吾が妻よ」と浦賀の海に呼びかけ嘆かれたと伝わります。
記紀に語られている事柄が、まるで真実のように思えてくる走水神社でした。