2021年の七福神は、各地の様子見的な訪問ですので「新宿山手」でも御朱印は2寺だけいただきました。
(日蓮宗/京都新宿区神楽坂5-36)
▼鎮護山 善國寺 疫病退散の御朱印。
難しい言葉の四文字は調べないと読めません。
▼善國寺の御朱印帳。
寺院用に購入。御朱印は書置きのみでしたが、朱印帳購入で直書きいただけました。
(日蓮宗/東京都新宿区原町1-14)
経王寺「大黒天」の御朱印をいただくのは三度目となりました。
ダイナミックで有名な御朱印ですが、残念ながら今回は日付以外は印刷物でした。
▼経王寺の御首題帳。黄色い部分は金箔ですがスキャンではうまく出ません。
経王寺では朱印帳を購入しても直書きはいただけませんでした。
その代わりというか、表題の「御首題帳」を揮毫いただけました。
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▼飯田橋駅近くの坂下から「神楽坂」を登りきって、しばらく進むと左手に「新宿山手七福神 毘沙門天」を祀る「善國寺」が現れます。
以下、善國寺2021年正月3日の様子です。
▼ここもやはり正月3日にしては、参拝者が極端に少なく感じます。
善國寺は家康が開基となり約400年前に創建されています。
寺の当初は馬喰町に建てられ、その後度重なる火災により、
馬喰町→麹町→神楽坂と再建と移転を繰り返してきました。
神楽坂へは約200年前の移転ですが、近年では東京大空襲によりまたも全てを焼失しています。
なんども再建された毘沙門堂ですが、現在の本堂は1971年の建立だそうです。
本尊は「毘沙門天」で、「江戸三毘沙門天」に数えられていたそうです。
他の二つは浅草の「正法寺」と港区芝の「正傳寺」だそうです。
さらに10年前以上の二宮主演のTVドラマ「拝啓、父上様」の影響で嵐ファンの聖地にもなっているそうです。
傷みの激しい狛犬は空襲の火をもくぐってきた江戸後期の造立のようです。
狛犬というか虎のような姿です。
ガイド版からの引用です。
毘沙門天は、別名を多聞天と称し、持国寺・増長天・広目天と共に四天王の一つである。寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に世に現れたといい北方の守護神とされる。
▼各400円の書置き御朱印の案内。
▼書置きながら次から次へと御朱印を求める人がやってきて、ほとんどの方が2種類いただいていました。
▼境内左手にある「出世稲荷」。
▼「浄行菩薩像」も鎮座。
▼毘沙門天のイメージが大きく、日蓮宗の寺であることを忘れられそうです。
▼新宿山手七福神(2014年)のまとめはこちら。
wave2017.hatenablog.com--------------------------------------------------------------------------------------
▼神楽坂の「早稲田通り」の南に、ほぼ平行して走る「大久保通り」に建つ「経王寺」にやってきました。
▼経王子近くの牛込「柳町交差点」は谷底的位置にあり、車の停車、発進による排気ガス問題で1970年代に騒がれた交差点です。
▼その谷底交差点から少し登った歩道にこのカンバン。
▼少し傾斜した坂道の高台に狭い境内を持つ寺が建ちます。
▼歩道側に赤文字の「大黒天」の石柱と赤い幟が七福神巡りを導いてくれます。
経王寺は当初、市ヶ谷田町に1598年の創建と伝わります。
やはり、明暦の大火など度重なる火災に見舞われています。
しかし「大黒天」何度も火災から焼け残ったので「開運火防」「火伏せの大黒天」と呼ばれています。
▼普段は大黒堂にいらっしゃると思いますが、七福神期間中は本堂手前に出張されている「大国天」。
▼本堂奥は日蓮さんです。
▼「水子慈母観音像」が本堂手前に建ちます。
▼境内右手にある「大黒堂」。御朱印は普段もここでいただけます。
▼御首題は当分の間お休み、大黒天も書置きのみの案内。さみしいーーーです。
経王寺も正月三が日としては参拝者の少ない境内でした。
普段の週末のような人出です。
▼境内にはいろんな大黒様のほか、可愛らしい石仏が点在しています。
▼感応寺破却事件で幕府に直訴状をしたため、経王寺で畳包丁を使って割腹自殺をした殉教者 畳屋太兵衛の墓。
元日と正月3日の違いはありますが、新宿は人出の少なさに少し寂しい七福神でした。
御朱印をいただくには好都合ではありましたが・・。
▼ 経王寺でいただいた御首題はこちらの過去記事。