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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

放生寺の御朱印(東京・新宿区)〜穴八幡だけではなかった「一陽来復」と「一陽来福」お札

▼光松山 放生寺御朱印です。(東京都新宿区西早稲田2-1-14)f:id:wave0131:20210407151325j:plain

二つの御朱印は右上の「霊場札所番号」以外は、まったく変わりがありません。

ですが、左の「御府内八十八ヶ所」の御朱印には墨書きで「弘法大師」の文字が加えられています。

 

放生「江戸三十三観音 第15番札所」御朱印

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放生御府内八十八箇所 第20番札所」御朱印

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▼江戸三十三観音聖観音」の御影もいただきました。

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2012年に「江戸三十三観音」を巡っていた記憶では、ここ放生寺だけは御朱印帳に直書きいただけなく、寂しく感じたことを覚えています。

その後の数度の参拝でも、やはり御朱印は書き置きのみの対応でした。

 

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地下鉄東西線早稲田駅」から数分です。

 

▼と言うより「八幡宮」の隣と言ったほうが分かりやすいでしょう。

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「穴八幡宮」は毎年「冬至」の日の午前零時から「一陽来復」のお札が授けられますが、冬至を過ぎて年末年始まで多くの参拝者で賑わい、神社が人で埋まります。

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当初、金銀融通の「一陽来復お札」は「穴八幡宮」の専売特許と思っていました。

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ところが、まるでケンカを売るが如くの位置に、

▼「穴八幡」の石段の下にこちらにも「一陽来福」がありますョ!のカンバン!

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導くように同じカンバンが、いくつも立てられています。

 

▼寺の正面を道路の反対側から見ると、左が放生寺、右が八幡宮南側の鳥居。

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神仏分離までは放生寺が穴八幡宮別当だったことも容易に想像できます。

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したがって放生寺でも金銀融通の「一陽来復お札」を授与されるのに不思議はなく、

東京でも「波除稲荷神社」、四谷「須賀神社」、港区「御田八幡神社」などがあり、

ほかにも全国的にいくつかの神社が授与されているようです。

 

八幡宮の「専売」は、モノ知らずの判断でした。

 

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しかし放生寺をよく観察すると、提灯や幟などの文字は

▼すべて「一陽来」ではなく「一陽来」となっています。

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」と「」の違いは、

「梟」が「福郎」とも表現されるくらいの差かもしれません。

とは言え、辞書や wiki は「」の表示となっています。

やはり「」に遠慮して「」としているのかも?

 

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それにしても、あのカンバンが「」を発揮なのか、

昨今、穴八幡宮と同様に冬至から年末年始まで賑わう放生寺になり、境内も時間をかけ綺麗に整備されました。

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何しろ放生寺HPには

金銀融通の御礼「一陽来福」創始のお寺として広く知られ親しまれております。

と記載されているので、創始者としては負けていられません。

 

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さまざまな側面で敵視し、対立するのではなく「競い合う」ことは悪いことではありません。

イイ意味での「ライバル」でしょう。

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ところが、現実で目にするのは、

神社とかつての別当寺の関係が良好に見えるのは少なく感じます。

神社、寺ともに発展できれば良いのですが、多くはその知名度や参拝客数が寺か神社のどちらかに偏ります。

そこに「良好な関係」を見いだすのは無理がある場合もあるのでしょう。

寺社を運営するのは神仏ではなく、人間だからです。

 

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さて、放生寺の本尊は聖観世音菩薩で、

江戸三十三箇所の第15番、御府内八十八箇所の第30番です。

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1641年(寛永18年)に「穴八幡宮(高田八幡)」の別当寺として、同神社に隣接して創建されています。

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そして、当時からは「虫封じ」のご利益がある寺として知られていました。

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虫封じ」の寺です。

現代の若者に「虫封じ」の意味を問っても正確な答えは返ってこないでしょう。

 

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そこで寺のスローガンを

虫封じ」から「金銀融通」にシフトしたのでしょう。

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▼「金銀融通」の「」の灯が輝きます。

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」も「」も仲良くあれ!と願うのは、

寺社と人間の関わり方が少し歪んでいるからかもしれません。

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wave2017.hatenablog.com

 

大津諏訪神社の御朱印(神奈川・横須賀市)〜にぎわいと郷愁の秋祭「新嘗祭」にビビる

大津諏訪神社御朱印です。(神奈川県横須賀市大津町4-22-22)

f:id:wave0131:20211206191044j:plain神社の読みは「おおつ すわ じんじ」ですが、正式名称は単に「諏方神社」。

中央上の印は神紋の「梶の木」。

諏訪大社と同じ紋です。(写真は諏訪大社上社本宮)

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御朱印にはもう一つ「御柱建立社」の印が押されています。

鎮座1200年の10年前となる2014年の御柱祭りの際に、諏訪市の山で樹齢180年の樅の巨木が伐採され、氏子の人々が曵行して建立したとのことです。

秋祭の混乱のなかで御柱の写真を撮り忘れました。

 

御朱印社務所で、祭で多忙ながら宮司さんに・・。

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それも、12時40分と言う掟破りのような時間帯にもかかわらず、丁寧に対応いただきました。

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▼神社へは京急線の「新大津駅」と「京急大津駅」の2つの駅から歩けます。

滋賀県に「大津市」がありますが、ここは三浦半島の「大津」です。

大津」と言うのですから、かつては大きな湊で、舟の渡場があったのでしょう。

」のつく地名は、東京湾対岸の房総半島には「富津」「君津」「木更津」など多く見られます。

古くの海上交通の拠点だった地の名残りでしょう。

 

▼ほとんど、行き当たりばったり的に訪問した諏方神社は「新嘗祭」でもある秋祭の真っ最中であることを知って驚きました。

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鳥居前に「申し訳ありませんが駐車場はありません」の案内が出ていました。

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しかし、鳥居左手の境内入口で「参拝です」と案内のお父さんに声をかけると、

参拝だそうです!」と言いながら、

ごった返す境内の人々をかき分け、ひと隅を空けてくれ、車をリードしてくれました。

まさかの対応に恐縮して

ありがとうございます  手短かに参拝させていただきます」と車を降りて参拝です。

 

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タイミングが良かったのか、対応いただいたお父さんが親切だったのか、

まさか、祭で人々が賑わう境内に県外No.の車を駐めてもらえるとは思ってもいませんでした。

祭だと分かった時、駐められなければこのまま通り過ぎようと半ば諦めていました。

東京から、さほど遠い訳ではない三浦半島の人々に「田舎的な親切さ」を感じないわけにはいきません。

 

▼そんなことから、参道の狛犬もスゴミの睨みではなく、「よう来た!」と歓迎の表情のように思えるから不思議です。

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▼人を避けながら山道を進むとカメラも傾きます。

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▼社殿は小山を背にして高い部分に建つので石段を進みます。

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前述したように2024年に鎮座1200年を迎えますので、神社は824年の創建と伝わります。

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社殿前の狛犬は時を刻むとともに、自らの身をも削り落としてきたようです。

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▼築100年を超える社殿は大正時代に改修されています。

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鎮座1200年の2024年には、さらに改修が加えられるそうです。

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主祭神は「建御名方命(たけみなかたのみこと)」。

歴史的に武勇の神としても多くの武将に崇敬されてきました。

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どこの諏方神社もそうであるように、ここも地元の人々には「大津のおすわさま」と慕わられて呼ばれているそうです。

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境内社の「琴平神社」も、同じ石段の上に鎮座です。

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▼社殿左手は「稲荷神社」が鎮座します。

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▼東京都心部では感じることのできない、地域の神社の秋祭らしい雰囲気が伝わってきます。

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神社と人々との繋がりは、初詣や祭、七五三などのイベントだけではないはずですが、

やはり、その根幹部分をなして続けられてきた行事の継続が大事なのでしょう。

 

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▼そして、そこに新たなイベントです。

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本当は少しも新しくはなく、

かつての寺社は見世物小屋が、事あるごとに設けられていたはずです。

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東京から見たら「地方」とも言えない三浦半島で、

地元の人々が羨ましくも思える神社の素朴さが感じられた祭でした。

於玉稲荷神社の御朱印(東京・葛飾区)〜「神田お玉ヶ池」から「小松の里」へ 箱庭のような境内

於玉稲荷神社御朱印です。(東京都葛飾新小岩4-21-6)f:id:wave0131:20211209154206j:plain

おたま いなり じんじゃ」と読み、猫を連想させられる可愛らしい名称の神社です。

中央の大きな朱印も「於玉稲荷」でしょう。

人の名前に「お」を付ける場合、「お●●」ではなく「●●」とするのは、

ほかで新宿の「於岩稲荷」などに見られ、

お玉」さんに「お岩」さんですが、なぜ「」の文字を使うのでしょう?

 

「於」は当然「おける」とか「おいて」という意味ですが、

「ああ」とか「嘆息・感嘆の声」の意味もあるそうです。

「お玉」も「お岩」も悲運な最後を遂げているので

「ああ玉」さん、「ああ岩」さんとして「嘆きの稲荷」? まさか!!ですね。

 

▼社殿の賽銭箱上に御朱印の案内がありました。

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特に指定しなかったので、一番右のスタンダードのものが直書きされ返されました。

御朱印は境内左手のこちらを「ピンポ〜ン」しました。

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女性にとっても丁寧な対応をいただいて、何よりは朱印帳に揮毫いただけたことです。

 

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御朱印にあるように、かつては「小松の里」と呼ばれた神社の鎮座地は新小岩です。

江戸時代「小松の里」は将軍の鷹狩場であったそうです。

 

▼神社周辺に駐車場が見つからないのでここに駐めさせていただきました。

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日曜の午後3時のスーパー駐車場は空いていました。

帰りに少々買物をして、30分以内の駐車ならオシカリはないでしょう。

▼周辺は完全に住宅街。

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▼5分と歩かないうちに神社前に到着です。

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▼いきなり、グリーンと濃い朱色の補色関係が美しく目に入ってきて胸が震えます。

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神社に立つ「御由緒」にも説明されていますが、元々は「神田お玉ヶ池」に鎮座していた神社です。

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以下「お玉ヶ池」の故事です。

もとは「桜ヶ池」と呼ばれ、その傍らの桜の木の下で、という女性が道ゆく人にお茶を振るまっていました。

美人だったため、大勢の人が心を囚われました。優劣つけがたい二人の男がお玉に言い寄ったのですが、選ぶことができず、思い悩んだ末、彼女は池に身を投げました。

里人がおを哀れに思い池の畔りに葬った。

その後、池は「お玉ヶ池」と呼ばれるようになったということです。

 

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▼江戸名所図会にも、その故事が紹介されています。

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そして、池の傍に社を建ててお玉の霊を弔ったのが「於玉稲荷」の起こりとされています。

 

当地に遷座されたのは明治に入ってからですが、

▼現在も「繁栄お玉稲荷」として当初の神田、千代田区岩本町2丁目に小さな社が残されています。

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▼右奥の小祠は弁天財が祀られているそうです。

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秋葉原方面に向かう、こんな広い一通の路地に鎮座しますが、「お玉ヶ池種痘所跡」もガイド板が埋め込まれています。f:id:wave0131:20211213131611j:plain

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全く関係がありませんが、箱根旧東海道沿いに同じ名称の「お玉ヶ池」があります。

やはり「お玉」という少女の悲しい運命の伝承が残っています。

どうやら江戸時代の「お玉」さんは悲運の代名詞のだったかもしれません。

現代では猫にしか使われない名前ですが・・・。

 

さて話を小松の里の「於玉稲荷神社」に戻しましょう。

手水舎の手前にも鳥居が建ちます。

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▼広くない境内ですが、あちらこちらに神社側のセンスの良さが見かけられます。

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▼2階にある社殿につながる階段のエメラルドグリーンが印象的。

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▼コンクリート製の社殿は比較的新しい造立でしょう。全く古さは感じさせません。

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▼稲荷神社ですので、祭神は「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」。

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▼2階部分は「舞楽殿」へと伸び、神輿庫も2Fにあります。

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▼結構急な階段で拝殿上から見るとエメラルドグリーンは消えています。

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▼「願掛け銀杏」は社殿を破壊しそうな位置に立っていました。

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▼苔がイイ感じで、ちょっとした空間も綺麗にセンスよく整えられています。

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▼「算盤教室」も運営されているようです。

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▼最後にフクロウと鷺?鶴?に挨拶して境内を出ます。

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神社を出ましたが、もう一つ仕事が残っています。

駐車させてもらった東武ストアで買い物をして帰ります。

新町御嶽神社の御朱印(東京・青梅市)〜創建400年の神社と 開発400年の新田

新町御嶽神社御朱印です。(東京都青梅市新町2-28-26)

f:id:wave0131:20211208120723j:plainみたけ じんじゃ」と読みます。

通称で「しんまち みたけ じんじゃ」と呼ばれ、正式名称は単に「御嶽神社」です。

 

御朱印社務所内の受付で直書きでいただけました。

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御嶽神社では境内社の「塩竈神社」の御朱印もいただけます。

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▼地元の神社ですのでアクセスは少し不便。JR青梅線小作駅」から徒歩20分。

現地では分かりませんが、

▼マップで確認すると神社境内の真下を地下道となって「圏央道」が通っています。

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                                   (▲写真は東京都建設局

一番外側で東京をグルッと回る環状道路の「圏央道」は、まだ一部未開通箇所を残しています。

それにしても日本全国で高速道路に限らず一般道でも、常に新しい道路が建設されていることには驚かされます。

確かに新しく建設された道路で便利さを感じることはありますが、

そこには莫大な建設費=税金が使用されている事を思い起こされ、複雑な気持ちで新しい道路や橋、トンネルを通ることになります。

日本の建築業界の市場規模はバブル末期のピークからダウンしていますが、それでも世界的に見てまだまだ上位にランクされるでしょう。

 

 

▼「圏央道」がこの神社境内の下で「青梅トンネル」となっている事で、高速道路のために神社が遷座されずに済んでいます。

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さて御嶽神社鎮座地の「新町」と言う地名は日本全国に数限りなくあるでしょう。

新川、新田、新橋、新道、新宿などと、新しくできたものは「新」が使用されてきましたが、時を経てそれらはいつまでも新しい訳ではないので、不思議な感覚に襲われることもあります。

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当地が開拓され新田集落となったのは1616年だそうです。

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新田開拓と同時に大和の「金峯山大権現」を勧請し、御嶽神社が創建されています。

金峯」は「きんぷ」「きんぽう」などと読みますが「みたけ」とも読むそうです。

当社も明治以前は「蔵王権現」「御嶽大権現」などと呼ばれていましたが、明治以降、現在の「御嶽神社」に改称されています。

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同じく明治に入ってから当地が「新町村」と名付けられています。

現在は明治初期から150年近く経過している「新町」ということになります。

そして開拓されてからは400年。

日本の長い歴史から見れば、たかだか150年や400年くらいはわずかな期間で「新町」であってもおかしくないのでしょう。

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石造の大きな「一の鳥居」、木造の「二の鳥居」を潜り、

▼「三の鳥居」も石造りです。

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▼コンクリート製の社殿は1971年の建立です。

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主祭神は「広國押武金日命(ひろくにおしたけかねひのみこと)」、「日本武命(やまとたけるのみこと)」。

広國押武金日命」は第27代天皇安閑天皇」の諡号だそうです。

そして「安閑天皇」は「蔵王権現」と同一の神格だそうで難解です。

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▼社殿右となりに「新町天神社」と「新町水神社」が並びます。

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▼天神社脇には多くの受験生たちの願いがかけられています。

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▼「水神社」は地域住民の水、とくに井戸水に対し敬う心を表したものでしょう。

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▼もう一つの境内社塩竈神社」には専用の参道と鳥居が設けられていました。

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▼一対の狛犬塩竈神社を守っています。

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こちらも明治に入ってから、仙台の「鹽竈神社」から分霊が祀られ建立されています。

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社殿も立派で、境内社というより独立した神社のような佇まいの「鹽竈神社」です。

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▼御神木は桜の大木。春には参拝者の目を楽しませてくれるそうです。

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400年前の青梅がどんな様子だったのか?

まさにイメージされる武蔵野だったのか?

現在の新町の街並みや神社からは窺いことはできません。

しかし、当時の人たちの神を崇敬する心だけは伝わってくる御嶽神社でした。

追浜 雷神社の御朱印(神奈川・横須賀市)〜GOLDに輝くトトロの森に埋まる朱色の社殿

雷神社御朱印です。(神奈川県横須賀市追浜本町1-9)f:id:wave0131:20211202151106j:plain朱印帳に見開きで直書きいただきました。

東京で書置きばかりに出会っていると、直書きの浄書はとても嬉しく感じます。


雷神社御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20211202151113j:plain

雷は「いかづち」とも読みますが、

この神社では地元の方々から「かみなりじんじゃ」と呼ばれているそうです。


雷神社御朱印(2014年)。f:id:wave0131:20211202151109j:plain通常版と思われる14年と21年の御朱印に違いは見られません。

14年は女性の、21年は宮司さんらしき男性の揮毫です。

光を放つイラストの印は雷神をモチーフにしているのでしょうか?

あるいは祭神の「火雷大神」のイメージなのでしょうか、不明です。

中央の印は「追濱雷神社印」、

右下は「三浦半島古木五十選 雷神社 大銀杏」。


境内社 浜空神社御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20211202151116j:plain

読みは「はまくうじんじゃ」です。

横浜海軍航空隊の守護神であった「島船神社」に追浜招魂社が合祀、浜空神社となってこの地に遷座したようです。


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京急追浜駅」からほど近く、国道16号に面して鳥居が建ちます。

境内の石段左手に駐車できるスペースがあります。

バス停「雷神社」の前後に2つの進入路がありますが、どちらも細く、スピードを出す車の交通量の多い16号から進入するのは容易ではありません。


国道16号から見た石造りの「一の鳥居」です。

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▼まずは御神木でもある「三浦半島古木五十選 雷神社 大銀杏」の様子をご覧ください。

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まるでゴールドのトトロの森のごとく、朱色の「二の鳥居」と、石段を覆い尽くしています。

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樹齢400年以上と言われる大銀杏は、葉で覆い尽くし、自らの幹さえ見せません。

▼写真右下が授与所です。

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▼境内西側にもう一つの銀杏の木。

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訪問日は11月23日。もう1週間後ならば、さらにゴールドが深まることでしょう。

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▼1ヶ月前となる10月の葉はまだグリーンです。2014年の訪問時。

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▼石段を上がります。

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▼同じく10月の石段です。

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▼石段上から眺めると、幹回り4mの大銀杏の様子がやっとよく分かりました。

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数組の参拝者と出会いました。みんな大銀杏を写真に収めています。


▼石段を登りきり視界が開けたところに狛犬が一対並びます。

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▼山の中腹を切り開いたような石段上の境内は広くはありません。

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コンクリート製とは思えない美しい社殿は今にもテイクオフしそうに見えます。

以前は木造草葺だったそうですが焼失して1960年の再建だそうです。

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神奈川県神社庁によると祭神は「火雷神( いなびかりのかみ)」。

wikiによると「火雷命(ほのいかづちのみこと)」となっています。

何れにしても「雷除けの神」ということなのでしょう。

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全国にいくつもある「雷神社」に総本社はなく、「いかづちじんじゃ」と読む神社が多く、「らいじんじゃ」とも呼ばれれる神社もあります。

同じような名称で紛らわしい「雷電神社」も数多く存在します。

どちらも関東から東北に多く鎮座し、

避雷針などなかった時代の「雷除け」を願って神を祀ったのでしょう。

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▼社殿左手にあるのは「稲荷社」のようです。背後は崖になっています。

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▼キツネに混ざって、なぜかネコの置物も・・・。

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▼社殿右手奥の石段上にも岩をくり抜き祠が収められていました。

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▼こちらも稲荷社のようですが、やはり招き猫が大きな顔をしていて、ほかに七福神の像も見られます。

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▼石段を降りて左手に「慰霊碑」と「濱空神社」です。

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いただいた御朱印にも添え書きがあるように、元々は飛行艇隊の守護神を祀る「島船神社」が始まり。2008年に現在地に遷座されています。

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戦中のソロモン海戦で玉砕した338名の御霊も合祀されているそうです。

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2度目の訪問となった「雷神社」でしたが、

狙ったわけでもないのにイチョウの黄葉が見られた良い時期に参拝できました。

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