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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

酒列磯前神社(茨城・ひたちなか市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上⓮

酒列磯前神社御朱印です。(茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2)f:id:wave0131:20210903185250j:plain

難読な神社名は「さかつら いそさき じんじゃ」です。

2021年の訪問は、有無を言わさず直書きなし、この見開き書置き1種類だけでした。

8月の限定御朱印ということでした。

カラー部分は印刷 or プリント、筆書きは印刷なのかちょっと判断つきませんが、やはりプリントのようです。

神社印の朱印だけは捺印されていました。

 

酒列磯前神社御朱印(2013年)。もちろん1種類で直書きです。f:id:wave0131:20210903185254j:plain

御朱印は授与所でいただきました。

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いただいた書置きを朱印帳に貼るためのテーブルと糊が用紙されていました。

それはそれで気が利いていると言えますが、朱印帳に直書きいただけないのは残念。

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▼神社は「国営ひたち海浜公園」の南、岬の小高い位置にあり社叢の裏は太平洋です。

▼神社裏の丘下は、海を望む県道が神社を巻いています。

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▼岬の丘の上にある神社は、まるで宙に浮いているようにも見えます。

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酒列(さかつら)」という名称は、

神社周辺海岸の岩石群が南に約45度に傾斜して並んでいて、その内の一部が北に傾いているとかで「逆列(さかつら)」の地名が社名の由来とされるそうです。

その後、酒の神様を祀るところから「」となったとされています。

延喜式には「酒烈磯前薬師菩薩神社」と記載されているそうです。

 

▼長い参道は樹齢300年を超える椿やタブノキが覆いかぶさり、ほぼトンネル状態です。

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冬の椿が満開の頃にも大勢の人が訪れるそうです。

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木々の名称に疎い身には「ツバキ」か「タブノキ」か区別がつきませんが、

それぞれの枝振りは樹齢300年を納得させられるものです。

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▼こちらは「タブノキ」のガイド版がありました。

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すごい枝の伸びかたは、まるで木の根を逆さまにしたように異様です。

 

▼参道途中の左手に北側からの神社入口の鳥居があります。

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▼丘の下の県道から石段が続いていました。

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▼参道に戻って社殿に向かいます。

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酒列磯前神社は、856年に常陸国鹿島郡の大洗磯前に神々が現れたときが創祀とされています。 

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神のうち、少彦名命(すくなひこのみこと)が酒列に、

大己貴命(おおあなむちのみこと)が大洗に、

それぞれ祀られ、両社の創建となったと伝えられています。 

ということで、1200年の歴史を持つ古社になります。

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昭和の建立の狛犬は完璧オチャメです。昭和の石工「飯塚兵吉」の作とか。

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▼駐車場脇の二つの社は正体不明。

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▼参道側には境内社が5社ならびます。

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▼その隣に水戸五代藩主斉昭が腰かけたと伝わる石。

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中世に廃れた神社は、近世になって水戸二代藩主光圀や、三代藩主綱條などの再興により現在に至っています。

参道のツバキなどの樹叢も光圀たちの手によってに整備されています。

 

▼「前濱村」と言うのは以前のこの地の名称なのでしょうか?

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▼「是与里みたらし道」の石碑は、身を清める「御手洗(みたらい)」の位置を示すものだそうです。f:id:wave0131:20210903185412j:plain

▼「幸運の亀」だそうで、宝くじの高額当選者が奉納された亀像。

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▼そのご利益をお裾分けをいただく方法が案内されていました。

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「お参り→お守り→亀撫」で宝くじが当たるならば、費用対効果はかなり高いものとなります。

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いっそのこと神社が宝くじを売り出せば手っ取り早いでしょうが、すべて当選というわけにもいかず、現行では神社の宝くじ発行も無理でしょう。

昔からあった「富くじ」=宝くじ当選は庶民の夢、ドリームなのでしょう。

 

▼拝殿の写真、この1枚は2012年の撮影。参拝者も少なく静かでした。

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▼そして、参拝者の絶えない2021年は、遠方からの訪問者も多いようです。f:id:wave0131:20210903185449j:plain

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▼金網で保護されている向拝下の彫刻「リスとぶどう」は左甚五郎作とか。

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▼元は綺麗に彩色されていたのでしょう。扁額なのか、樽の蓋なのか分かりません。

拝殿側面に置かれていて、神社名の書体が特徴的でした。

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▼「鎮霊社」。f:id:wave0131:20210903185459j:plain

▼「神輿庫」には大きな天狗の面もあります。

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▼「神馬」。f:id:wave0131:20210903185523j:plain

▼口を開けて、かなりトボけた神馬です。

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▼奉納案内札です。「太刀魚」の文字があります。

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▼2013年には「大ヒラメ」「タコ」「野菜」など地域性を表す奉納品が目立ちました。

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▼「タコ一匹」という表記ですが、タコも種類、大きさは様々。

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タコ1匹の値段も様々で、2000円くらいから10000円を軽く突破するものまであるので、内容は分かりません。

タコ三箱」もおもしろいい表現。おそらく3つのトロ箱にタコが詰まっているのでしょう。

近頃はタコも全く高価な食べ物になってしまいました。

▼東京のスーパーで買うと、この小さな「蒸しダコ」が400円以上もします。

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タイ」ではなく、「タコ」「イカ」は庶民の食べ物だったはずですが、いつの間にか高い食べ物になってしまいました。

▼ある魚屋さんでは「タコブツ」100g 385円。あっという間に食べきってしまう量です。

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話が脱線してタコのお値段バナシになってしまいました。これもボンビーの愚痴です。

 

▼15分後に当社の兄弟神社「大洗磯先神社」でお会いしましょう。

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何よりも、長い間隙の8年ぶりに再訪できた神社に感謝です!

花園神社の御朱印(茨城・北茨城市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上⓭

花園神社御朱印です。(茨城県北茨城市華川町花園567)f:id:wave0131:20210902135439j:plain

はなぞの じんじゃ」です。

大きな朱印は「花園神社」、下の小さな朱印は「花園日枝山王大権現」。

 

▼境内に入って、クルッと首を回すと「御朱印受付」の看板がを見つけられます。

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御朱印コレクター、参拝者が途切れずにやってきます。

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受付は男子でしたが、奥では一人の女性が筆を手に朱印帳と格闘していました。

力強く男っぽい筆跡の素晴らしい筆書きの御朱印は1種類です。

メンドーな選択はなく「一つの御朱印」なので待ち時間は短い。

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東京から花園神社までは約180kmほどあります。

気持ちは「一億万メートル」以上に瑠璃光如来ほど遠いです。

神奈川の「箱根神社」までが約100kmですので、ほぼ倍近い距離です。

 

本ブログは前回記事、福島県の「都々古別神社」から「花園神社」を目指しましたので東京からとは逆方向に南下です。

▼3桁の国道から茨城県道27号「塙大津港線」に進路をとります。

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福島県内から太平洋側の「大津港」まで続く道ですが、山間のクネクネ道です。

▼広くも、狭くもない道路は、気をつけていれば対向車と楽々すれ違いできます。

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しかし、運転好きでない人には不向きな道。

そう言う方は広い国道を選んで遠回りするしかありません。

もっとも、福島県側から「花園神社」を目指す人は少ないでしょう。

 

 

▼県道27号の途中では視界が開けるところもありますが、ほとんどは山の中です。

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▼山ばかりですが、猫の額のような僅かな場所に田畑と集落があります。開墾された土地なのでしょう。日本の山間部では数多く見られる風景です。

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▼神社が近くなると渓流が現れます。「花園渓谷」です。

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この地域には、もう1ヶ所、東京に近い場所に「花貫渓谷」があり、やはり紅葉で有名ですが、「」と「」の1文字違いで間違いやすい。

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どちらもウォーキングコースや遊歩道が設けられていて歩いてみたいものですが、

季節になると周辺の道路は渋滞で動きがとれないかもしれません。

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花園渓谷のある県道27号の途中から、さらに林道を西に入ると滝も点在する「猿ヶ城渓谷」があるそうです。紅葉時期ならば奥に入るほど赤くなるのかもしれません。

今回はグリーンシャワーでも満足としましょう。

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▲▼車の駐車場からの歩みで眺められる渓流です。

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▼神社はなんとも言えぬ良い景色から始まります。

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花園神社」と称する神社は東京新宿と、北茨城のここの神社しか知りません。

 

新宿の神社は「多くの花が咲き乱れていた花園の跡」に鎮座することから「花園神社」とされたそうですが、

ここ茨城の花園神社は、平安時代初期の創始で「花園山」と号されたそうです。

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当然、当時は神仏の区別はありません。

坂上田村麻呂八幡太郎慈覚大師などの言い伝えがあり、満願寺として江戸時代までは数多くの伽藍、諸堂が建ち誇っていたそうです。

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▼神橋の先は石段、鳥居と続いています。

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▼手水舎は消毒液が用意されていました。

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神社の古くは花園山大権現日吉大権現などと呼ばれ、明治に入って花園神社と改称されたそうです。

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主祭神は「山王大権現大山咋大神)」。

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楼門の仁王像はほとんど「関取」のような姿をしています。

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狛犬たちも相当に苔むしています。

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▼さらに石段が続き、その先に「拝殿」が屹立しています。

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▼小ぶりですが形も良く美しい、華麗な装飾が施されています。

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現在の拝殿は1851年の建立だそうです。

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▼扁額は文字数も分からず、まったく読み取れません。

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▼拝殿の左隣は「楽殿」と案内されていました。

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▼さらにその左に小さな「愛宕神社」。

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境内社はこのほかに「厳島神社」など、いくつかありました。

 

▼拝殿の真裏にさらに急勾配な石段があります。登ります。

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▼石段上に鎮座する「本殿」です。

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山に鎮座する神社は、鎌倉の「佐助稲荷神社」などのように、

拝殿の裏山に本殿が設けられていることが度々あります。

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▼本殿正面の隅っこに身を寄せているのは木造の狛犬

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彩色されていたようですがハゲています。眼は金色だったようです。

それにしても木造は珍しいかも。

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本殿は拝殿より少し古く1832年に建て替えられています。

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▼本殿は賑々しい彫刻装飾が見られます。

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▼正面は見ざる,言わざる,聞かざるの「三猿」です。

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▼本殿側から見た石段下の拝殿屋根です。

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▼小さな小さな社です。

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▼のぞいて見たら「東照宮」でした。

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境内は広くて、限られた時間の中、いろいろ見落とした箇所も多かったのですが、機会を見つけてユックリと再訪することにしましょう。

 

とは言っても東京から200km近い距離、そんなに何回も来られる方面ではありません。

高速が使えないボンビーは、ほぼ下道走りなので、尚更です。

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▼帰り際、滝が見つかりました。

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▼「石尊の滝」と呼ぶようです。

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神奈川の大山には「石尊大権現」が祀られていますが、それとは関係ない?

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魅力いっぱいの山と渓谷に囲まれた、素晴らしい神社は心も洗われる思いでしたが、

この滝の水しぶきを少し浴びれば、心身ともに清められるかもしれません。

 

この神社の記憶と逸れないうちに、繋がっている気持ちと手が離れないうちに、

秋の紅葉期にでも是非とも再訪したく思う神社でした。

 

この後、花園神社から酒列磯前神社へ向かいます。

▼途中、人気店らしい農産物直売所を見かけました。

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棚倉町の「みりょく満点物語」で野菜をしこたま仕入れていたのですが・・・

▼このスイカが気に入りました。

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比較するものがないので大きさは分かりづらいかもしれませんが、大きい方は直径30cmくらいが2000円強。

これは安い!

東京だと同じ価格ならこの大きさの3分の2くらいしかない。

▼買っちゃいました。2,138円。

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しかし、レシートをよく見ると「尾花沢西瓜」となっています。

まさか山形の尾花沢で獲れたスイカを北茨城で売ることはないので、これは品種としての「尾花沢西瓜」なのでしょう。

シャキシャキのとってもアマいスイカでした。大満足!

都々古別神社の御朱印(福島・棚倉町)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上⓬

都々古別神社御朱印です。(福島県東白川郡棚倉町八槻大宮224)f:id:wave0131:20210901152728j:plain

つつこわけじんじゃ」です。

二つの御朱印の墨書きは、筆の太さは異なりますが、同一人物の筆跡でしょう。

 

御朱印は社殿前を清掃中の女性に、作業を中断して社務所まで戻って揮毫いただきましたので、2015年もこちらの女性に揮毫いただいたと言うことになります。ありがとうございました。

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都々古別神社御朱印(2021年)。

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右上の印は「八槻鎮座 奥州一宮」となっていてます。

石川町では「陸奥国一宮」、棚倉町馬場では「陸奥一宮」の印になっています。

 

都々古別神社御朱印(2015年)。

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前回記事、石川町の「石都々古和気神社」では種類豊富な御朱印が案内されていましたが、こちらは潔く1種類で、6年間変化ありません。

今回は立ち寄りませんでしたが、もう一つの一宮「馬場 都々古別神社」も御朱印は1種類のようです。

 

御朱印は境内右手の社務所でいただけます。

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ブログ副題は「R294北上」となっていますが、ここからは東京への帰り道になり、R294でもなく、別ルートで「南下」になります。

そして再訪となる神社をトレースしながら帰ります。

 

▼全く同じ文字で、同じ棚倉町に「都々古別神社」が二社ありますので

mapも「八槻都々古別神社」と記されています。

石都々古和気神社」からの帰り道で途中「馬場都々古別神社」もありますが、今回は時間都合でパスしました。

 

▼神社の入口はR118「棚倉街道」沿いに大きく鳥居を開いています。

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▼モリモリの古木の社叢が境内を覆い尽くしています。

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▼社号標は「古別神社」ではなく「古別神社」。

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御朱印の墨書きも「古別神社」ですが、捺印された「神社印」は、同じく「古別神社」となっています。

 

いずれにしても福島に三社ある「つつこわけじんじゃ」は、

それぞれ神社名に使用されている文字が、神社庁、mapや墨書き、朱印などで異なる表記も多く頭なの中で整理できません。

 

その区別を理解できるのは、現実に「八槻」「馬場」「石川町」の三社を参拝された方だけでしょう。

三社はそれぞれ特徴があり、境内の記憶も3つにしっかり分けられるはずだからです。

 

しかし最近、もう一つの「つつこわけじんじゃ」を知りました。

茨城県大子町に鎮座する「近津神社」は、旧社名を「石都々古和気宮」と言うそうです。

やはり、どうしてもややこしい「つつこわけ」です。

 

▼境内側から鳥居を振り返りました。

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▼社叢が深く高いせいでしょう。陽が届かず、あちらこちらに緑の苔が生えています。

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▼気になる「苔」は2015年にも撮影しています。

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▼木立の間に見える「隋神門」はとっても美しく静謐。

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手水舎の水盤は「漱盥」の文字。

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狛犬たちもコケまみれになっています。

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▼子持ち獅子はこのアングルですと一目瞭然。でも小獅子はプレーリードッグ似です。

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▼「奥州」は陸奥国の別名です。

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とは言え白河の関勿来関の先はすべて奥州、陸奥国。広すぎます。

 

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▼隋神門には華麗な木鼻や、天井には龍図が描かれていますので必ず見上げましょう。

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▼隋神門は真横からも美しい。こちらは2015年の撮影。

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式内社ですので神社の創建は不詳です。

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927年成立の「延喜式神名帳には陸奥国白河郡「都都古和気神社 名神大と記載されているそうです。

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近世までは「八槻明神」「近津明神」と呼ばれていて、明治期に「都々古別神社」と称するようになったそうです。

 

御朱印を記帳いただいた女性が清掃中でした。

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普段はお一人で神社をキリモリされているような様子ですが、大変なご苦労かもしれません。

数ある一宮も様々な姿、スタイルを見せつけられます。

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▼一宮の名に恥じない「本殿」の佇まいです。

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▼本殿側から隋神門、入口の鳥居の景色です。

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境内社は経済的な余裕があれば整備される対象なのでしょう。

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▼「縁結び」と「長寿」の御神木。

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今になって顧みると石川町の「石都々古和気神社」、棚倉町の二つの「都々古別神社」の三社のうち、

御朱印の種類豊富な、そして山頂までの参道の整備を考えれば、石川町が一番経済的には恵まれている様子です。

それは一宮としての「論社」の仲間入りにもされない神社側の頑張り、努力かもしれません。

それぞれ境内を見ただけの感想なので真実は分かりませんし、どうでも良いことかもしれません。

 

▼さて一宮が二社ある棚倉町は、山本不動尊などほかにも御朱印をいただける寺社もあり、また一般の観光にも人気の場所が多くあるようです。

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▼中でも本ブログの1番のお気に入りは「八槻都々古別神社」の500mほど北にあるここ。JAの農産物直売所です。

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「馬場」「八槻」それぞれの一宮に参拝した折には、ぜひ覗いてみてください。

東京から半径500km圏内でどこよりも農産物が安く、No.1の直売所と感じています。

 

▼2015年にもイッパイ買ってしまったのですが、今回もこれが驚きの1500円!

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一つ食べてしまったのですが、少し小ぶりながら7玉入っていて1500円は、東京ではあり得ません。

▼桃をはじめ、味噌、野菜など4000円ほど購入。冷蔵庫マンパイです。

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どれも新鮮なことは言うまでもありませんし、量も大満足なはずです。

ここに寄ると、千葉や埼玉の農産物直売所は「=スーパー」のように思えます。

 

ハイっ! 自炊する人、家族のある方、どなたかへの土産にしたい方、絶対寄り道しましょう!

 

▼2015年の3つの「都々古別」と「山本不動尊」の記事です。

wave2017.hatenablog.com

石都々古和気神社の御朱印(福島・石川町)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上⓫

石都々古和気神御朱印三芦城印です。(福島県石川郡石川町下泉296)f:id:wave0131:20210830174927j:plain

石都々古和気神御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20210830174931j:plain余計なイラストは無用なので、通常御朱印だけいただきました。

陸奥国一宮」の印があります。

神社名の読みは「いし」ではなく「いわ」、「いわ つつこわけじんじゃ」です。

 

石都々古和気神社御朱印(2015年)。f:id:wave0131:20210830194810j:plain

6年のギャップの御朱印は何も変わらないのがサイコーです。

」と「」の違いと、筆書きの筆跡も違いますので、同一人物の手によるものではないのでしょう。

 

八幡山という山頂にある神社は「三芦城みよしじょう)」跡に鎮座します。

▼ということで、いわゆる「三芦城 御城印」です。

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石川氏の居城ですので「石川城」の別名も持ちます。

 

御朱印は一ノ鳥居の少し西の社務所でいただけます。

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9時過ぎでこの日の最初の訪問者だったようです。

扉を開かれ、女性が受付カウンターを出して対応いただきました。

6年ぶりの参拝で、その時と少しも変わらない御朱印の話などして、とても親切に対応いただきました。

 

▼訪問時には通常御朱印以外は書置きでしたが、時期により直書きいただけます。

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FB】や【twitter】で御朱印情報が掲載されています。

イラスト御朱印がお好みの方はサイフが許す限りお求めいただけます。

 

▼「柏やき(どら焼き)」もいただきました。

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「柏やき」は、郡山の和菓子屋さんの商品らしく、とても美味しいどら焼きでした。

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福島県の石川町と言っても東京の人間にはピンときません。

水戸」と「郡山」を結ぶJR「水郡線」に「磐城石川駅」があります。

 

▼神社参道前に流れる「今出川(北須川)」に架かる橋は、朱色に塗られていますので一応「神橋」でしょうか?

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▼橋の先に神社入口、参道が延びています。

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あれっ!!!???

なんか記憶にある雰囲気と違います。

▼2015年にはここに鳥居がありましたが無くなっています。

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参道が整備され、社号標も新しくなっているようです。

 

社務所の前にも「自由民権運動活動家 吉田光一 居宅跡」という石碑がありました。

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▼参道入口の右隣は広い駐車場になっていました。

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前回訪問時は古い建物がゴチャゴチャとあったように記憶しますが、きれいになって駐車場脇には石碑や銅像が配置されています。

 

▼「河野広中」は政治家。ここ石川町を活動拠点にし、東北地方の自由民権運動のさきがけとなったそうです。f:id:wave0131:20210830175129j:plain

▼こちらは「渋谷直蔵」さん。知りません。やはり地元の政治家だそうです。f:id:wave0131:20210830175133j:plain

▼石都々古和気神社とは直接関係のない自由民権運動や政治家ですので、さっさと神社に参拝しましょう。

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▼先ずは躍動感たっぷりの狛犬たちが迎えてくれます。

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▼神社は「八幡山」の頂上に鎮座します。

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▼石段上の鳥居まで一直線、踊り場なしです。ここは一気に駆け上がりましょう。

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▼鳥居から振り返ると、この高さです。

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▼しかし、石段はまだまだ先があります。

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急勾配の階段、緩やかな階段と続きますが、神社入口から社殿まで高低差50m強ほどだと思いますので、大したことありません。

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とても綺麗に整備された歩きやすい参道です。

しかし、真夏の高低差50mは急ぐと汗が噴き出します。

 

wiki などの「一宮」一覧には当社は掲載されていませんが、そもそも「一宮」か否か明確にするには難しい問題のようです。

陸奥国一宮も仙台の「鹽竈神社」、福島棚倉町の「都都古和氣神社」「都々古別神社」と言うように3社もあるのですから。

 

ここ石都々古和気神社が「一宮」と認められるかどうかは知りませんが、

式内社」であることは確かなようで、

創建は不詳ながら山には「磐境」が数多くあって、古代から祭祀の地とされていたことがわかるそうです。

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磐境」とは、磐座(いわくら)とも表し、古神道における岩に対する信仰のこと。または、信仰の対象となる岩そのもののこと、だそうです。

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▼ということで、社殿までの参道にはたくさんの岩が現れます。

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岩の説明板は全て英文。さらにどの岩を指して説明しているのか分かりづらい。

でも岩の名称は後の世に付けられたもので、古代ではいちいち名称などなかったかもしれません。

ですから、大きな岩は古代の人々が信仰の対象にしていたことだけ理解すれば良いことにしましょう。

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ここまでは鳥居からあまり高度は上がっていません。

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▼まだまだ続く石段は、遠方に急勾配の階段が見えます。

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▼「石門」は岩岩のクライマックスです。

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▼「石門」のような形は進入路を狭くして城、山城などの防御などにも使用されていたように思いますが、ここは平安時代後期に清和源氏の出である石川氏の城が構えられた山。

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もしかしたら、その頃に鳥居ではなく防御の「石門」として利用されていたかもしれません。

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天狗岩」をはじめ、いろんな名称がつけられた岩を目にしてきながら登ってきた石段。

▼いよいよ山頂に続く最後の石段です。

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下からここまで、おおよそ10分以内でしょう。

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主祭神は「味秬高彦根あじすきたかひこねのみこと)」と言って、本土創造・農業・工業の神だそうです。

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今回の参拝は朝の9時頃のせいか、境内に人の気配はありませんでした。

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▼拝殿は昭和52年の改築と記されていました。

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▼山頂ですが視界は開けていません。拝殿から振り返ると登ってきた石段最後の鳥居。

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▼「額殿」です。

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▼「五重の塔」「祖霊社」、そして末社にそれぞれ案内札が立てられています。

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▼樹齢350年の御神木「高野槙」は、枯れたのか、倒れたのか、ここで覆屋が設けられ大事に守られています。

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▼境内から北方面に別の参道があり、前回訪問時はカーナビでこの辺に案内され駐車しました。f:id:wave0131:20210830175416j:plain

山頂までの石段を避けたい方はここまで車で来て、再度降って社務所に赴けばコト足りるかもしれませんが、

この神社の魅力は、山頂に至る石段の参道にあることは言うまでもありません。

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▼「三芦城(みよしじょう)」またの名の「石川城」は秀吉の時代に廃城とされたそうです。f:id:wave0131:20210830175408j:plain

 

wiki などによると石都々古和気神社陸奥国一宮」に加えられていませんが、

そのうちのどの神社よりも素朴で、古代の人々が崇めた岩・地・山が素直に理解でき、

個人的には一番に魅力的な神社です。

もちろん、社務所の対応と御朱印も、どの陸奥国一宮より親切・丁寧・熱心であることも感じられます。

 

▼2015年の「つつこわけじんじゃ」まとめ記事です。

wave2017.hatenablog.com

白河神社の御失敗(福島・白河市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上➓

8月11日最後の訪問地。

▼南湖神社から少し戻ることになりますが、ホテルチェックイン前に「白河関」に寄ってみました。

関跡ですのでジミです。特に観光的に目を見張るものはありません。

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▼しかし古い時代の案内も建つ史跡なのです。f:id:wave0131:20210825132800j:plain

古関磧」「ほろ掛楓」「二位の杉」「旗立櫻」などの文字が刻まれています。

 

関は8世紀頃にはすでに設けられており、奈良時代から平安時代頃までに機能していた国境の関門です。

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蝦夷(えみし)の南下や人、物資の往来を取り締まる機能を果たしていたと考えられています。

東山道にあった東北地方への入口でもあり、ここから先が後に言うところのいわゆる「みちのく」なのでしょう。

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義家や義経などの伝説があり、
律令制の衰退とともに関としての機能を失った後も、

都の文化人たちの憧れの地となり、和歌の名所(歌枕)として知られるようになり、西行松尾芭蕉なども足跡を残しています。

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そして1800年、南湖神社に祀られている松平定信の考証によって、この地が「白河関跡」であると断定し、当時の石碑が残ります。

芭蕉が関を越えたのは、もっと前の時代で定信が「断定」する前ですので、以前から「おそらくこの辺」とされていたかもしれません。

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関跡の背後の山には神社があります。

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しかし神社名を表すものは何もありません。

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名もなき神社かと勝手に判断し、時間も夕方5時過ぎなので鳥居の先には足を踏み込んでいません。

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しかし、ここは「白河神社」だったことは東京に戻ってから知り、御朱印もいただけるそうですが、すべては「あとのまつり」です。

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▼関跡の50m先に白河神社の社務所があったのです。

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(写真は【googlemap】ストリートビューから拝借)

 

南方面から関跡を訪れていれば社務所に気づいたはずですが、南湖神社参拝あとの訪問ですので北方面からでした。

したがって全く気づかなかったのです。

周辺をもう少し注意深く案内板などを観察していれば白河神社であることに気づいたかもしれませんが、観察力の無さが災いしています

もっとも社務所を見つけていても、時間は5時過ぎでしたので御朱印を手にすることはできなかったかもしれません。

と、自らを慰めます。

 

とにかく「大失敗」でした。やれやれ!

 

▼そんなこともまだ気づかず、この日の宿泊ホテル。

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ボンビーとは言え、ここまで安いところを探しますか? 税込4,700円

5000円以下の宿泊はこれまでも2、3回経験済み。

▼予約時点でどんな悲惨なところか、だいたい想像できます。宿泊翌朝の写真。

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ビルの2F、1フロアだけをホテルにしていました。

室内の写真は撮り忘れましたが、少し広めの普通のビジネスホテルの部屋。

車は地下駐車場に入れられました。

一人寝るだけのホテルでこの料金。な〜〜〜〜にも不満はありません。

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しかしここは新幹線の「新白河駅」ではなく、在来線の「白河駅」が最寄り。

大工町」という地名が示すように旧来からの街の中にありました。

ホテル前の「門前通り」は何もないと言ってもよい状態。

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2、3店舗ある飲食店も閉まっていました。コロナの影響でしょうか?

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▼夕食用に目星をつけた店舗は、どの店も休業中。

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結局オープンしていたのは駅前の「ローソン」と少し離れた「ヨークベニマル」だけ。

▼仕方なく食べ物、飲み物を買って部屋食。かなり「ヘン」な買い物をしてしまいました。

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遅めのランチが道の駅「那須与一の郷」で850円の天丼でしたので、こんなもので良いでしょう。

▼翌朝、部屋まで運んでくれたホテルの朝食。

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いささか情けない朝食ですが、これにサラダがついて入れば文句なし。

しかし¥4,700ではぜいたくは言えません。

腹一杯になり、とってもおいしかったコーヒーだけが記憶に残りました。

 

白河の街は「旧奥州街道」「外堀通り」「大手門通り」などの通り名があり、

城下町らしい雰囲気を持つ場所なので、駅北にある「白河小峰城」などをゆっくり見て回れば、白河の魅力を満喫できるかもしれません。

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