/


にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

南湖神社の御朱印(福島・白河市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上❾

南湖神社御朱印です。(福島県白河市菅生舘2)f:id:wave0131:20210825131850j:plain

なんこじんじゃ」と読みますが、耳に良い響きではありません。

ちなみに茨城の水戸には「東湖神社」という名称の神社があります。

 

御朱印右上の「守国大明神」とは、祀られている名君「松平定信」の神号だそうです。

松平定信」は、緊縮財政と風紀取締りを実行して幕府の財政再建を主導した江戸時代の政治家。のちに白河第3代藩主となっています。

ですので「三つ葉葵」の紋も押されています。

 

f:id:wave0131:20210825131912j:plain

▼印刷物っぽい限定御朱印はスルーです。もう、いいでしょう!

f:id:wave0131:20210825131916j:plain

限定御朱印については神社の【HP】や【FB】などでも紹介されています。

--------------------------------------------------------------------------------------

 

▼今回のR294北上最後の地点、福島県白河までやってきました。

▼南湖神社は「南湖公園」に鎮座すると言って良いのでしょう。

f:id:wave0131:20210825132135j:plain

▼「南湖公園」は白河藩主「松平定信」が造成した湖を中心とした「日本最古の公園」だそうです。

f:id:wave0131:20210825132139j:plain

1801年に、この地を身分の差を越え庶民が憩える「士民共楽」という思想を掲げて開放された場所という意味で「日本最古の公園」だそうです。

f:id:wave0131:20210825132147j:plain

湖とも池とも言えるような大きさです。公園全体が池泉庭園という姿とか。

f:id:wave0131:20210825132151j:plain

季節になると桜や紅葉が楽しめるそうです。

f:id:wave0131:20210825132159j:plain

▼人間も水鳥も「身分の差を越え庶民が憩え」る場所です。

f:id:wave0131:20210825132155j:plain

▼こちらも士民共楽の精神を受け継いだ回遊式庭園だそうですが、入場している時間はありません。もう夕方4時30分。神社の授与所が閉まってしまう亜kもしれません。

f:id:wave0131:20210825132131j:plain

▼急ぎ神社に向かいます。

f:id:wave0131:20210825132143j:plain

▼神社入口のここにも雅号を「楽翁」とする定信像が建ちます。

f:id:wave0131:20210825131900j:plain

南湖神社は大正時代の1922年に創建された、比較的新しい神社です。

それでも2022年には創建100周年を迎えることになります。

f:id:wave0131:20210825131904j:plain

f:id:wave0131:20210825132119j:plain

f:id:wave0131:20210825132123j:plain

▼その創建にはこの人も支援しているそうです。全く何にでも関わっている人です。

f:id:wave0131:20210825132127j:plain

渋沢は南湖神社ができるまでに何回も白河を訪れているそうです。

 

▼手水舎はやはり柄杓が置かれていました。北の神社はそれほど神経質になっていないようです。

f:id:wave0131:20210825132111j:plain

f:id:wave0131:20210825132106j:plain

f:id:wave0131:20210825131908j:plain

f:id:wave0131:20210825132046j:plain

f:id:wave0131:20210825132042j:plain

▼社殿は工事中でした。21年2月の地震では神社にも被害が出て、石灯籠の上部分が落下していました。f:id:wave0131:20210825131920j:plain

▼工事はどうやら向拝と屋根の葺き替えのようです。

f:id:wave0131:20210825131924j:plain

f:id:wave0131:20210825132032j:plain

f:id:wave0131:20210825131948j:plain

▼工事が完了すれば銅板葺きの屋根で見違える姿に出会えるのでしょう。

f:id:wave0131:20210825132021j:plain

f:id:wave0131:20210825132038j:plain

▼社殿右隣の「稲荷神社」です。

f:id:wave0131:20210825131928j:plain

f:id:wave0131:20210825131944j:plain

▼2月の地震ではキツネたちは無事だった様子です。

f:id:wave0131:20210825131940j:plain

f:id:wave0131:20210825131937j:plain

f:id:wave0131:20210825131933j:plain

▼当初の稲荷社はこんな祠だったのかもしれません。

f:id:wave0131:20210825131952j:plain

f:id:wave0131:20210825131956j:plain

▼恵比寿、大黒が大集合していました。相当「密」です。

f:id:wave0131:20210825132007j:plain

f:id:wave0131:20210825132000j:plain

f:id:wave0131:20210825132102j:plain

f:id:wave0131:20210825132114j:plain
f:id:wave0131:20210825132012j:plain

f:id:wave0131:20210825132017j:plain

▼そろそろ神社を出ようとしましたが・・・

f:id:wave0131:20210825132025j:plain

▼「松風亭蘿月庵(しょうふうていらげつあん)」という建物がありました。

f:id:wave0131:20210825132050j:plain

寛政年間に建てられた茶室がここに移築されたそうです。

f:id:wave0131:20210825132058j:plain

白河藩藩士が、松平定信から譲り受けた図面を元に建てた茶室で、定信本人も茶会の催しに何度も訪れたそうです。

f:id:wave0131:20210825132054j:plain

社殿や境内が工事中で少し残念でしたが、

風光明媚な地に鎮座する南湖神社は季節を選んで参拝すると、一際記憶に残る訪問となることでしょう。

黒磯神社の御朱印(栃木・那須塩原市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上❽

黒磯神社御朱印です。(栃木県那須塩原市宮町3-34)

f:id:wave0131:20210902115607j:plain

「奉拝」の下の「報本反始(ほうおんはんし)」の文字は、

本に報い 始めに反る」と読み、
意味は「天地や祖先などのこれまでの恩に感謝し報いること」だそうです。

 

御朱印社務所でいただきます。

f:id:wave0131:20210824201339j:plain

▼「御朱印300円」と案内がありました。

f:id:wave0131:20210824201355j:plain

しかし、朱印帳に直書きいただいたので100円硬貨5枚を三方の上に乗せると、

宮司さんは「300円!」と言って200円を返されました。

いつものように「お賽銭がわりに・・」と言い添えると、

決まりだから!」とピシャリ!

それ以上ガンバる必要もないので、200円は拝殿に戻って賽銭箱に入れました。

 

御朱印代を渡す時の度々のパターンですが、考えて見ると200円オーバーくらいで

お賽銭がわりに・・」

と言われても、受け取る側は「恩着せがましく失礼な奴だ」と解釈される場合もあるかもしれません。

それならば始めから賽銭箱に入れなさい!」という解釈の方が理にかなっています。

 

これからは少し気をつけて、御朱印代を渡すことにします。

--------------------------------------------------------------------------------------

 

▼R294を大きく西に逸れて4号線の西までやってきました。

黒磯は元「黒磯市」でしたが、周囲と合併されて「那須塩原市」となっています。

海から遠い内陸部でなぜ「」なのでしょう?

黒磯の村の草分けである黒館五郎の「」と、その妻磯よしの「」をとって名付けたという説と、

集落のはじめは那珂川河畔の低地にあり、川の磯が黒いことにより起こったという説とがあるそうです。

しかし一般的には川の場合「川端」「川岸」「川の畔(ほとり)」などと言うと思いますが、川でも「」と表現するのでしょうか?

 

地名の由来は不確かなものが多いのもやむを得ません。

 

黒磯市」の名称は無くなりましたが、JRの駅名は「黒磯」として残り、

▼そしてここも変わらず「黒磯神社」です。

f:id:wave0131:20210824201408j:plain

黒磯駅」からほど近い住宅街に社叢を構えています。

▼白い鳥居とは対照的に黒っぽくなった社号標は大正初期に建てられたものでした。

f:id:wave0131:20210824201412j:plain

戦火に焼かれて黒くなったのかもしれません。

 

▼植栽がきれいに整えられたこの参道を車で進入しました。ちょっと勇気が入ります。

f:id:wave0131:20210824201418j:plain

▼車はニノ鳥居神門の間を左に折れ境内に駐められました。

f:id:wave0131:20210824201235j:plain

▼振り返ってもここを車で進んでくる人はいません。人もいませんが・・.

f:id:wave0131:20210824201244j:plain

▼背の高い灯篭です。昔はまさに陸の灯台的役目を担ってきたのでしょう。

f:id:wave0131:20210824201422j:plain

▼どの神社でも狛犬たちが機嫌よく迎えてくれることは少ないです。

f:id:wave0131:20210824201248j:plain

▼UPで撮って機嫌をとっておきます。ブサカワです。

f:id:wave0131:20210824201430j:plain

f:id:wave0131:20210824201239j:plain

▼こちらもUPで・・。鼻に目がついているようなユニークな表情。

f:id:wave0131:20210824201426j:plain

▼手水舎は普通に柄杓の用意がされています。

f:id:wave0131:20210824201256j:plain

柄杓が取り払われているのは、やはり1都3県だけなのでしょうか?

 

▼柄杓は正解ですが、寺社に一番似合わないカラーコーン。

f:id:wave0131:20210824201252j:plain

境内は整備中らしく、カラーコーンも致し方ありません。

 

▼白い細かな砂利が敷き詰められた境内は清潔感があり、とても気持ちよく、海辺近くに建つ神社のような感じがします。

f:id:wave0131:20210824201351j:plain

主祭神天照皇大御神、コンクリート造りの社殿は昭和の造立。

f:id:wave0131:20210824201304j:plain

敬神愛国」「報本反始」「協心一致」の思想を掲げて、明治時代に創建された神社です。

御朱印に添え書きされているのは、その思想の「報本反始」でした。

f:id:wave0131:20210824201308j:plain

▼「神馬」は、神宮の「お白石持行事」参加・参宮記念だそうです。

f:id:wave0131:20210824201347j:plain

お白石持行事」とは、伊勢神宮遷宮の一連の諸行事のひとつで、

新しい正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する行事だそうです。

 

▼「額堂」と思われます。

f:id:wave0131:20210824201343j:plain

▼社殿裏手に突然現れる白い建物は正体不明です。

f:id:wave0131:20210824201335j:plain

▼こちらは「祖霊社」。

f:id:wave0131:20210824201330j:plain

旧人力車組合が観請した「足尾神社」は、その名の通り足に関する霊験ありとか。

f:id:wave0131:20210824201324j:plain

▼こちらは「御神木」でしょうか? 稲荷社もあります。

f:id:wave0131:20210824201320j:plain

▼さらに、こちらは「御神像」と説明がありました。

f:id:wave0131:20210824201312j:plain

▼左は「惶根尊(かしこねのみこと)」右は「両足尊(おもたるのみこと)」。

f:id:wave0131:20210824201316j:plain

f:id:wave0131:20210824201300j:plain

f:id:wave0131:20210824201404j:plain

広々とした白い境内に、宮司さん以外には誰とも出会いませんでした。

夏の午後の静かな、静かな黒磯神社でした。

那須神社の御朱印(栃木・大田原市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上❼

▼残念ながらここも社務所はお留守。内部を無断で撮影しました。

f:id:wave0131:20210824161933j:plain

しばらく時間をやり過ごし、再び訪れても同じ状況でした。

八溝山麓十宝めぐり」の色紙もありましたが、セルフで押す十宝の印は無さそうだし、このスタンプ目的の方はどうするのでしょう。

やはり今回スタートの「鷲子山上神社」で「八溝山麓十宝めぐり」の色紙を購入しないで正解だったようです。

「十宝」のうち、乾徳寺とここ那須神社で2回つまずくことになります。

 

▼上の写真を撮り、よく見ると「朱印郵送案内」が置いてありました。

f:id:wave0131:20210824161928j:plain

なるほど、留守になることが多い社務所のようです。

ここも地方の神社ですのでやむを得ないでしょう。

せめて郵送案内があるだけマシ、救われものです。

のちほど帰ってからお願いしてみることにしましたす。

 

▼ということで後日、簡単なご挨拶とともに郵送されてきた御朱印です。

f:id:wave0131:20210830111720j:plain

那須神社御朱印です。(栃木県大田原市南金丸1628)f:id:wave0131:20210830111800j:plain

訪問時の日付が入れられていました。

金丸八幡宮」のスタンプは、明治に「那須神社」と改称される前の名称です。

中央の印は「那須神社 祭神應神天皇」です。

--------------------------------------------------------------------------------------

 

▼R294から外れて、少し西にバイパスを走ります。

 

▼神社の西に「道の駅 那須与一の郷」が隣接しています。

f:id:wave0131:20210824162126j:plain

そうです! 那須というと

茶臼岳、殺生岩、御用邸、温泉、牧場、レジャーランド、アウトレットなどなど

挙げたらきりが無く、首都圏からも人気の観光地。

 

▼しかし、もう一つの那須は「那須与一」です。(写真は【wiki】)

f:id:wave0131:20210824184004j:plain

与一は平安時代末期の実在の武将ですが、平家物語の「屋島の戦い」で、

扇の的を射抜く話だけが有名になっていますが、与一に関する具体的で確かな事柄は少ないようです。

この地域で生まれ、墓所は京都と大田原市になどにあるそうです。

 

▼そして、那須与一が奉納したと伝わる太刀を社宝とする那須神社です。
f:id:wave0131:20210824161938j:plain

▼「軍馬慰霊碑」。ここ那須地域は軍馬を育て、都に献上していたのでしょう。

f:id:wave0131:20210824161942j:plain

▼長い参道は流鏑馬神事にも利用されるそうです。

f:id:wave0131:20210824161946j:plain

隣接する道の駅には「那須与一伝承館」もあり、多くの車が駐車していましたが、

この神社で訪問者と出会ったのは2組だけ。

f:id:wave0131:20210824161950j:plain

本殿と楼門が国重要文化財に指定されている神社ですので、参拝者はもっと多くて良いはずなのですが、

道の駅と神社を道路が横切って分断しています。

 

f:id:wave0131:20210824161954j:plain

この神社にもっと参拝者を導くためには、道の駅と神社を一体化すべきでしょう。

道の駅併設の「那須与一伝承館」から、参拝者を誘うもう一つの参道を設ければ、

必ずや人々は足を向け参拝する人が多くなるはずです。

 

f:id:wave0131:20210824161958j:plain

f:id:wave0131:20210824162002j:plain

そうなれば那須神社の知名度はさらに高くなるはずです。

もっとも、いまひとつ境内整備が必要かもしれません。

文化財の楼門から社殿に至る区画は「ジメッ〜」とした感じがあります。

 

f:id:wave0131:20210824162006j:plain

▼手水舎は正しく水が流れ、柄杓も取り払われていません。これでいいのです。

f:id:wave0131:20210824162011j:plain

▼この辺りから「ジメッ〜」とした感じを抱きます。

f:id:wave0131:20210824162015j:plain

もちろん、アッケラカン!よりステキに感じますが、
一般向けにはもう少し乾いたイメージが必要なのでしょう。

f:id:wave0131:20210824162019j:plain

▼社叢をバックに荘厳華麗な「楼門」は江戸時代初期の建立です。

f:id:wave0131:20210824162023j:plain

神社自体の創建はもっともっと古く、仁徳天皇の時代と伝わりますので、詳細は不明でしょう。

▼内側から見た楼門。

f:id:wave0131:20210824162104j:plain

f:id:wave0131:20210824162039j:plain

f:id:wave0131:20210824162035j:plain

▼「拝殿」もとてもいい雰囲気ですが、観光客を寄せ付ける姿ではありません。

f:id:wave0131:20210824162044j:plain

f:id:wave0131:20210824162056j:plain

▼扁額はかつての神社名称「総社八幡宮」。

f:id:wave0131:20210824162100j:plain

」の文字が微妙です。

」のウ冠の下「」の字に「」が無く、が繋がっていません。

創建の古い神社は「」が無い「」の文字が使われていますが、例外的に東京の明治神宮は「」が使われていません。

お手持ちの御朱印で確認してみてください。

 

」の文字の話は長くなってしまうので、知ったかぶりの受け売りを少しだけ。

」の字のうち「」の字は、建物を表す「」と「」を繋ぐ廊下を表す「」ということだそうです。

古い宮は建物と建物を繋ぐ廊下や回廊がまだなかったので「」字のない「」の文字が使われていたそうです。

 

▼もう一つの文化財の「本殿」の写真を撮り忘れました。(写真は【文化遺産オンライン】)

f:id:wave0131:20210824193928j:plain

▼拝殿前の楼門内側は、やはり観光客を導くにはもう少し手入れが必要のようです。

f:id:wave0131:20210824162052j:plain

しかし、観光客誘致だけが唯一神社の生き残る道ではないかもしれません。

f:id:wave0131:20210824162048j:plain

神々の息遣いを感じられるのは、現在の姿の那須神社だからこそでしょう。

f:id:wave0131:20210824162027j:plain

ここが多くの観光客、訪問者、参拝者であふれたら、神は少し「引く」でしょう。

f:id:wave0131:20210824162117j:plain

 

東京都心の洗練された寺社に神仏を身近に感じることは難しいように思います。

そんな寺社と比較すると、今の姿を少しでも残して欲しいと勝手な思いもします。

 

f:id:wave0131:20210824162108j:plain

f:id:wave0131:20210824162113j:plain

地方の神社経営の難しさも感じられた那須神社参拝でした。

笠石神社の御朱印(栃木・大田原市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上❻

笠石神社御朱印です。(栃木県大田原市湯津上430)f:id:wave0131:20210823145935j:plain

神社の読みは素直に「かさいし じんじゃ」です。

 

御朱印には「國寶」「那須國造碑」の印が押され、

さらに墨書きの「日本三古碑」「一六九ニ年 徳川光圀創建」の文字は、神社側の訴求を表しています。

御朱印を見れば、ほぼこの神社の概略が知れるという事でしょう。

 

御朱印は鳥居右横奥の社務所宮司さんに揮毫いただきました。

f:id:wave0131:20210823173212j:plain

▼その宮司さんから半端でない量の資料、ボールペンなどをいただきました。

f:id:wave0131:20210823174605j:plain

▼いただいたボールペンにも「笠石神社1962年徳川光圀創建日本三古国宝」などの文字が表記され、PRも半端ではありません。

f:id:wave0131:20210823174615j:plain

宮司さんが語る神社と古碑の解説も半端ではありませんでした。

その時間は15分ほどだったように覚えますが、

勝手で失礼ながら、こちらから切り上げるタイミングを作りました。

そうしないと、話はさらに15分以上は続きそうでした。

宮司さんの真摯な思い入れが伺われました。

できれば、最低半日は話にお付き合いしたいお人柄でした。

 

▼様々に並ぶ授与品の中から・・・

f:id:wave0131:20210823150058j:plain

▼神社の御神体でもある、国宝の碑文の写真を1枚購入しました。

f:id:wave0131:20210823174637j:plain

正直、写真でも読み取れる文字は多くはありませんでしたが、御神体でもあり、飛鳥時代に刻まれた文字だと知ると、感慨深くもあります。

 

--------------------------------------------------------------------------------------

▼笠石神社はR294沿い、いわゆる「那須」の東端と言って良い位置に鎮座します。

 

宮司さんの「世界遺産」にしたい、そしてその運動を地域の人々と共に活動しているとのお話の神社入口です。

f:id:wave0131:20210823145944j:plain

 

日本に1000件以上ある国宝も様々です。

その多くは建物や仏像などは理解しやすく、多くの人々が「見てみたい!」と魅了させるものなのでしょう。

 

f:id:wave0131:20210823145948j:plain

 

しかし、ここの国宝は「石碑」に刻まれた「碑文」の文字とその内容です。

ジミ」なのです。

と言うより、一般人には分かりにくい、形として記憶に残しにくいと言う事です。

 

f:id:wave0131:20210823145952j:plain

 

宮司さんの思い入れはイタイほど理解できるものの、「ジミな国宝」とその構成要素を世界遺産まで押し上げるのは難しいかもしれません。

 

f:id:wave0131:20210823173202j:plain

 

しかし、世界遺産認定は難しいものの、必ずや「否」ではないでしょう。

その認定基準は常に流動的ですから、10年後の予想はつかず、

さらに100年後、1000年後は全く未知の世界なのでしょう。

 

▼「日本考古学発祥の地」の石柱と石碑は「令和三年」の文字があり建立されたばかりです。

f:id:wave0131:20210823145956j:plain

水戸光圀の指示により近隣の古墳発掘、調査、記録されたことが「考古学発祥の地」とする謂れだそうです。

f:id:wave0131:20210823150122j:plain

f:id:wave0131:20210823150054j:plain

▼水盤の文字に「漱盥かんそう)」すすぐたらいでお清めです。

f:id:wave0131:20210823150012j:plain

▼鳥居をくぐるとすぐ左手に境内社

f:id:wave0131:20210823150042j:plain

境内社の前に数匹の黒いトンボ。通称「神様とんぼ」と言うそうです。

f:id:wave0131:20210823150046j:plain

▼こちらが「拝殿」になっているかもしれません。

f:id:wave0131:20210823150023j:plain

f:id:wave0131:20210823150018j:plain

f:id:wave0131:20210823150030j:plain

f:id:wave0131:20210823150034j:plain

▼この奥が笠石神社の本殿です。

f:id:wave0131:20210823150026j:plain

ここにも「拝観受付ます」の案内があり、宮司さんの意気込みがヒシヒシと伝わってきます。

▼国宝の御神体那須國造碑」が安置されている本殿です。

f:id:wave0131:20210823150038j:plain

話好き、解説、説明好きそうな宮司さんに依頼すれば喜んで対応いただけるでしょう。

 

▼碑文を刻まれた石碑に、笠状の石が載せられていることから「笠石(かさいし)」とも呼ばれ、笠石神社となったようです。。

f:id:wave0131:20210823150050j:plain

碑の概略は、

西暦700年、当時の那須国を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したもの。

それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑を見つけ、堂をつくり安置されたとのことです。

 

さて、宮司さんと話している中で最後に、

那須にもこんないいところがあるのかと思えるような牧場ですので、ぜひ立ち寄ってみてください」との言葉に従い、

▼寄ってみました「NASU FARM VILLAGE」。

f:id:wave0131:20210823150145j:plain

う〜〜〜ん、確かに北海道を連想させられるような光景です。

f:id:wave0131:20210823150141j:plain

那須には何回も訪れていますが、いずれも国道4号線の西側、茶臼岳のある方面ばかりでした。

f:id:wave0131:20210823150137j:plain

もちろん、そちら側の山麓にも多くの観光牧場がありますが、こんなだだっ広い牧場は知りません。

f:id:wave0131:20210823150152j:plain

宮司さんの言うところの「こんないいところ」も満更ではありませんでした。

f:id:wave0131:20210823150156j:plain

f:id:wave0131:20210823150204j:plain

▼おしゃれなレストラン・カフェもありました。

f:id:wave0131:20210823150208j:plain

▼アイスティー片手に眼下の景色と共にしばし寺社巡りブレークタイムです。

f:id:wave0131:20210823150200j:plain

▼ファームはホーストレッキングなど様々な体験ができるそうです。

f:id:wave0131:20210823150212j:plain

▼ハイッ! 人参は持っていません。優しい眼だけれど、そんなに近寄らないで!

f:id:wave0131:20210823150216j:plain

f:id:wave0131:20210823150220j:plain

f:id:wave0131:20210823150224j:plain

さ〜〜て、そんなにノンビリしていられません。

この日はここまで、まだ5ヶ所の御朱印しかいただいていません。

ゴールの白河の南湖神社まで、もう1、2ヶ所訪問してみます。

 

光丸山 法輪寺の御朱印(栃木・大田原市)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上❺

▼光丸山 法輪寺御朱印です。(天台宗/栃木県大田原市佐良土1401)

f:id:wave0131:20210820154529j:plainいただいた御朱印は「8月限定」だったようで、同じデザインの見開きもありましたが、シングルバージョンを選択です。

御朱印の情報は寺の【twitter 】に紹介されています。

法輪寺も「那須三十三観音霊場」の札所ですので、そちらの御朱印もいただけます。
また「東国花の寺」にも名称を連ねています。

 

若いご住職とその奥様らしき女性に対応いただきました。

ここ佐良土門前町の屋号が連なる街並みの話などをしていて、授与所の写真を撮り忘れました。

▼駐車場近くの、ここ「大日堂」の右手の建物でいただきました。

f:id:wave0131:20210819200924j:plain

それにしても、こちらのつまらない話にずっとニコニコ受け答えいただいた女性と住職に感謝です。

素敵なご夫妻(おそらく)でした。

若いご夫婦が守っていらっしゃる寺や神社で、嫌な思いをしたことがありません。

法輪寺も微笑ましく感じられたお二人でした。

今回で1番に気持ちよく参拝できた寺院でした。

--------------------------------------------------------------------------------------

 

法輪寺はR294と那珂川の中間地点にあります。

 大田原市の佐良土(さらど)には、失礼ながら法輪寺より先に街並みに興味を持っていました。

 

▼佐良土の町は、約1000年前開創の「法輪寺」の門前町として栄えたそうです。
f:id:wave0131:20210819200633j:plain

R294の東、現在は趣のある集落、街道筋ではなくなってしまっていますが、

それでも、わずかに門前町・宿場の雰囲気が残されています。

f:id:wave0131:20210819200656j:plain

▼街道沿いには大きく立派な家ばかりです。

f:id:wave0131:20210819200704j:plain

▼そして、この街並みを面白くしているのは「屋号」の看板です。

f:id:wave0131:20210819200647j:plain

屋号」は集落内に同じ姓が多く区別するために付けられたものですが、

それぞれの家屋敷の場所や商売、特長、出身地、家格、主人の名などを表していて、

現在でも「屋号」で呼び合うことがあるそうです。

f:id:wave0131:20210819200638j:plain

屋号の看板を掲げる地域は他でもあるそうですし、

傘などの持ち物に屋号を入れる習慣が残っている事もあるそうです。

f:id:wave0131:20210819200659j:plain

かつてはそれぞれの屋号で何らかの商いをされていたのでしょうが、現在では看板の屋号と現実の職業は異なるのでしょう。

▼それでも「床屋」は言葉も職業も現役です。一番わかりやすく見事なカンバンです。

f:id:wave0131:20210819200642j:plain

▼「さらど」と濁って読む、佐良土は「門前町」「屋号宿」として歴史と文化を引き継ごうとしているようです。

f:id:wave0131:20210819200709j:plain

▼そんな屋号の看板が途切れる街並みの北、街道沿いの川の中に鳥居が建っています。

f:id:wave0131:20210819200718j:plain

▼扁額は「光丸山大権現」で「光丸山 奥の院 一の鳥居」の案内もあります。

f:id:wave0131:20210819200714j:plain

天照大神が祀られている奥の院は、ここから1kmほど先の小高い山の中にあるようです。

かつてはこの川で禊をして、鳥居をくぐり奥の院に向かったのでしょう。

▼この鳥居は「はさみ紙」にも利用されていました。

f:id:wave0131:20210831112802j:plain

 

▼鳥居の存在で分かるように「法輪寺」も神仏習合の聖地だったのでしょう。

f:id:wave0131:20210819200723j:plain

鳥居のすぐ脇に見られるのが、駐車場前になる「大日堂」ですが、

寺は初院中の院奥の院の三院と大日堂で構成されているそうです。

f:id:wave0131:20210819200924j:plain

▼先ずは「大日堂」に参拝です。

f:id:wave0131:20210819200737j:plain

▼時を刻んできた狛犬たちが睨みを利かしています。

f:id:wave0131:20210819200727j:plain

f:id:wave0131:20210819200731j:plain

f:id:wave0131:20210819200759j:plain

▼地元の人たちには「こうまるさん」と山号を呼び、親しまれているそうです。

f:id:wave0131:20210819200741j:plain

f:id:wave0131:20210819200806j:plain

▼大日堂の左隣にあるのは「天狗堂」。

f:id:wave0131:20210819200745j:plain

▼ガラス越しに内部を見ると「天狗の面」が安置されています。

f:id:wave0131:20210819200754j:plain

「おメン」は大天狗で、高さ約2.1m、幅1.5m、鼻高1.3m、重さ1トンだそうです。

木製の天狗面では日本一の大きさと言われる面は、禍を鎮める目的で奉納されたもの。

f:id:wave0131:20210819200749j:plain

▼大日堂の右手に別な参道が延びています。この先が「中の院」になるのでしょう。

f:id:wave0131:20210819200802j:plain

▼「那須三十三観音 23番」のほか「東国花の寺」や、天然記念物「西行桜」の案内が建ちます。

f:id:wave0131:20210819200920j:plain

▼参道正面に茅葺の山門。一挙に雰囲気が変わります。

f:id:wave0131:20210819200811j:plain

門の右脇に立てかけられた札の「径寸十枚是国宝非」「一隅を照す是国宝」の言葉は、

天台宗のキャッチフレーズ!?

▼長野・阿智村の「長岳寺」で同じ言葉を目にしています。

 

▼扁額は「光丸山」でなく「正覚山」になっていて??です。勅額です。

f:id:wave0131:20210819200815j:plain

f:id:wave0131:20210819200835j:plain

▼「鐘楼」も茅葺。なぜか茅葺は日本人の心をくすぐります。外国の方にも?かも。

f:id:wave0131:20210819200823j:plain

▼釈迦如来が祀られた「中の院」の「本堂」のようです。

f:id:wave0131:20210819200831j:plain

f:id:wave0131:20210819200827j:plain

f:id:wave0131:20210819200839j:plain

f:id:wave0131:20210819200819j:plain

f:id:wave0131:20210819200843j:plain

▼「観音堂」です。こちらが「那須三十三観音 23番」の札所でしょう。

f:id:wave0131:20210819200851j:plain

f:id:wave0131:20210819200856j:plain

f:id:wave0131:20210819200847j:plain

▼こちらは「薬師堂」です。

f:id:wave0131:20210819200910j:plain

f:id:wave0131:20210819200915j:plain

f:id:wave0131:20210819200900j:plain

▼参道を駐車場方面へ戻ります。

f:id:wave0131:20210819200906j:plain

度々のことですが大雑把な訪問では何もわからず、「西行桜」など見逃したものも多い中で、何よりも記憶に残るのは、

若い住職夫妻の「対応と笑顔」でした。

「できれば 必ず もう一度 伺いたい」と思わせられた「法輪寺」でした。

 

さらに前回記事の「長泉寺」や、今回の「法輪寺」が札所ならば、

改めて「那須三十三観音霊場」をすべて巡ってみたい気持ちにさせられました。

 

いろんな思いが浮かぶ中、いただいた御朱印の「延命地蔵尊」がどこにいらっしゃるのか分からず、お参りもできませんでした。

不覚でした。

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村