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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

石都々古和気神社の御朱印(福島・石川町)〜緊急事態宣言下 東京脱出! R294北上⓫

石都々古和気神御朱印三芦城印です。(福島県石川郡石川町下泉296)f:id:wave0131:20210830174927j:plain

石都々古和気神御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20210830174931j:plain余計なイラストは無用なので、通常御朱印だけいただきました。

陸奥国一宮」の印があります。

神社名の読みは「いし」ではなく「いわ」、「いわ つつこわけじんじゃ」です。

 

石都々古和気神社御朱印(2015年)。f:id:wave0131:20210830194810j:plain

6年のギャップの御朱印は何も変わらないのがサイコーです。

」と「」の違いと、筆書きの筆跡も違いますので、同一人物の手によるものではないのでしょう。

 

八幡山という山頂にある神社は「三芦城みよしじょう)」跡に鎮座します。

▼ということで、いわゆる「三芦城 御城印」です。

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石川氏の居城ですので「石川城」の別名も持ちます。

 

御朱印は一ノ鳥居の少し西の社務所でいただけます。

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9時過ぎでこの日の最初の訪問者だったようです。

扉を開かれ、女性が受付カウンターを出して対応いただきました。

6年ぶりの参拝で、その時と少しも変わらない御朱印の話などして、とても親切に対応いただきました。

 

▼訪問時には通常御朱印以外は書置きでしたが、時期により直書きいただけます。

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FB】や【twitter】で御朱印情報が掲載されています。

イラスト御朱印がお好みの方はサイフが許す限りお求めいただけます。

 

▼「柏やき(どら焼き)」もいただきました。

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「柏やき」は、郡山の和菓子屋さんの商品らしく、とても美味しいどら焼きでした。

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福島県の石川町と言っても東京の人間にはピンときません。

水戸」と「郡山」を結ぶJR「水郡線」に「磐城石川駅」があります。

 

▼神社参道前に流れる「今出川(北須川)」に架かる橋は、朱色に塗られていますので一応「神橋」でしょうか?

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▼橋の先に神社入口、参道が延びています。

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あれっ!!!???

なんか記憶にある雰囲気と違います。

▼2015年にはここに鳥居がありましたが無くなっています。

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参道が整備され、社号標も新しくなっているようです。

 

社務所の前にも「自由民権運動活動家 吉田光一 居宅跡」という石碑がありました。

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▼参道入口の右隣は広い駐車場になっていました。

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前回訪問時は古い建物がゴチャゴチャとあったように記憶しますが、きれいになって駐車場脇には石碑や銅像が配置されています。

 

▼「河野広中」は政治家。ここ石川町を活動拠点にし、東北地方の自由民権運動のさきがけとなったそうです。f:id:wave0131:20210830175129j:plain

▼こちらは「渋谷直蔵」さん。知りません。やはり地元の政治家だそうです。f:id:wave0131:20210830175133j:plain

▼石都々古和気神社とは直接関係のない自由民権運動や政治家ですので、さっさと神社に参拝しましょう。

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▼先ずは躍動感たっぷりの狛犬たちが迎えてくれます。

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▼神社は「八幡山」の頂上に鎮座します。

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▼石段上の鳥居まで一直線、踊り場なしです。ここは一気に駆け上がりましょう。

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▼鳥居から振り返ると、この高さです。

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▼しかし、石段はまだまだ先があります。

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急勾配の階段、緩やかな階段と続きますが、神社入口から社殿まで高低差50m強ほどだと思いますので、大したことありません。

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とても綺麗に整備された歩きやすい参道です。

しかし、真夏の高低差50mは急ぐと汗が噴き出します。

 

wiki などの「一宮」一覧には当社は掲載されていませんが、そもそも「一宮」か否か明確にするには難しい問題のようです。

陸奥国一宮も仙台の「鹽竈神社」、福島棚倉町の「都都古和氣神社」「都々古別神社」と言うように3社もあるのですから。

 

ここ石都々古和気神社が「一宮」と認められるかどうかは知りませんが、

式内社」であることは確かなようで、

創建は不詳ながら山には「磐境」が数多くあって、古代から祭祀の地とされていたことがわかるそうです。

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磐境」とは、磐座(いわくら)とも表し、古神道における岩に対する信仰のこと。または、信仰の対象となる岩そのもののこと、だそうです。

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▼ということで、社殿までの参道にはたくさんの岩が現れます。

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岩の説明板は全て英文。さらにどの岩を指して説明しているのか分かりづらい。

でも岩の名称は後の世に付けられたもので、古代ではいちいち名称などなかったかもしれません。

ですから、大きな岩は古代の人々が信仰の対象にしていたことだけ理解すれば良いことにしましょう。

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ここまでは鳥居からあまり高度は上がっていません。

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▼まだまだ続く石段は、遠方に急勾配の階段が見えます。

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▼「石門」は岩岩のクライマックスです。

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▼「石門」のような形は進入路を狭くして城、山城などの防御などにも使用されていたように思いますが、ここは平安時代後期に清和源氏の出である石川氏の城が構えられた山。

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もしかしたら、その頃に鳥居ではなく防御の「石門」として利用されていたかもしれません。

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天狗岩」をはじめ、いろんな名称がつけられた岩を目にしてきながら登ってきた石段。

▼いよいよ山頂に続く最後の石段です。

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下からここまで、おおよそ10分以内でしょう。

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主祭神は「味秬高彦根あじすきたかひこねのみこと)」と言って、本土創造・農業・工業の神だそうです。

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今回の参拝は朝の9時頃のせいか、境内に人の気配はありませんでした。

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▼拝殿は昭和52年の改築と記されていました。

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▼山頂ですが視界は開けていません。拝殿から振り返ると登ってきた石段最後の鳥居。

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▼「額殿」です。

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▼「五重の塔」「祖霊社」、そして末社にそれぞれ案内札が立てられています。

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▼樹齢350年の御神木「高野槙」は、枯れたのか、倒れたのか、ここで覆屋が設けられ大事に守られています。

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▼境内から北方面に別の参道があり、前回訪問時はカーナビでこの辺に案内され駐車しました。f:id:wave0131:20210830175416j:plain

山頂までの石段を避けたい方はここまで車で来て、再度降って社務所に赴けばコト足りるかもしれませんが、

この神社の魅力は、山頂に至る石段の参道にあることは言うまでもありません。

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▼「三芦城(みよしじょう)」またの名の「石川城」は秀吉の時代に廃城とされたそうです。f:id:wave0131:20210830175408j:plain

 

wiki などによると石都々古和気神社陸奥国一宮」に加えられていませんが、

そのうちのどの神社よりも素朴で、古代の人々が崇めた岩・地・山が素直に理解でき、

個人的には一番に魅力的な神社です。

もちろん、社務所の対応と御朱印も、どの陸奥国一宮より親切・丁寧・熱心であることも感じられます。

 

▼2015年の「つつこわけじんじゃ」まとめ記事です。

wave2017.hatenablog.com

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