/


にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

中山法華経寺の御首題(千葉・市川市)〜コロナ禍では印刷物の御首題

正中山 法華経寺の御首題です。(日蓮宗大本山/千葉県市川市中山2-4-28)f:id:wave0131:20210603125555j:plain山号と寺号の読みは「しょうちゅうざん ほけきょうじ」です。

中山にあるので「中山法華経寺(なかやま)」とも呼ばれます。

 

鬼子母神」でいただいた御首題は、
令和三年の日付以外、御首題も二つの朱印も完全な印刷書置きでした。

コロナ禍といえども法華経寺たるもの、書置きといえども一つ一つ墨書きのうえ朱印を押されているべきなのにと、とても残念に思いました。

 

以下、過去に当然直書きいただいた御首題です。

法華経寺の御首題(2016年・鬼子母神)。

f:id:wave0131:20210603125613j:plain

法華経寺の御首題(2012年・鬼子母神)。f:id:wave0131:20210603125609j:plain

法華経寺の御首題(2016年・祖師堂)。f:id:wave0131:20210603125623j:plain

法華経寺の御首題(2012年・祖師堂)。f:id:wave0131:20210603125619j:plain

法華経寺の御首題(2016年・羅刹堂)。f:id:wave0131:20210603125627j:plain

法華経寺奥之院の御首題(2016年)。f:id:wave0131:20210603125604j:plain

法華経寺奥之院の御首題(20126年)。f:id:wave0131:20210603125600j:plain

 

--------------------------------------------------------------------------------------

▼「京成中山駅」を降りるとすぐに「黒門」が建ち、そこから参道がまっすぐ延び、「赤門」まで徒歩4、5分でしょう。

JR総武線下総中山駅」からですと10分以内というところです。

f:id:wave0131:20210603132848j:plain

▼「赤門」から駅方面を見た参道です。

f:id:wave0131:20210603125820j:plain

▼大正時代に再建された「三門」は「仁王門」「赤門」と呼ばれています。

f:id:wave0131:20210603125824j:plain

京成中山駅近くの総門の「黒門」に対する「赤門」でしょう。

f:id:wave0131:20210603125811j:plain

▼「赤門」脇には得意のポーズで日蓮像が建ちます。

f:id:wave0131:20210603125816j:plain

▼2月下旬の「赤門」前は河津桜でしょう。満開でした。

f:id:wave0131:20210603125839j:plain

1260年の創建とされるので鎌倉時代です。
後の1545年に2つの寺が一緒になって「法華経寺」となっています。

f:id:wave0131:20210603125654j:plain

日蓮は布教活動の折、何度も迫害にあっていますが、ここ下総の豪族には温かく迎えられたそうで、日蓮にとっては安息の地でもあるそうです。

f:id:wave0131:20210603125834j:plain

▼参道左右に連なる塔頭のたくさん案内されているイラストマップ。

f:id:wave0131:20210603125829j:plain

法華経寺へは3度目の訪問ですが、今回は塔頭に足を踏み入れて道草していきます。

f:id:wave0131:20210603125855j:plain

「荒行道場」の石柱が建つのは「遠寿院」です。

法華経寺内にも「大荒行堂」がありますが、ここは「道場」とされています。

 

▼「当山根本御祈祷系授的伝加行所遠寿院」漢字ばかり17文字。

f:id:wave0131:20210603125859j:plain意味は半分しかわかりません。

f:id:wave0131:20210603125904j:plain

▼さらに意味不明の貼り紙を見つけました。お題目を中心に見聞きした名称も書かれていますが、お札のようなものなのでしょうか?

f:id:wave0131:20210603125850j:plain

▼こちらは「正中山院家 法泉院」となっています。かなり広そうな寺です。

f:id:wave0131:20210603125741j:plain

参道から東は低くなっていて、そちらに進んでも寺が点在します。

▼「清水寺」はおそらく「せいすいじ」でしょう。

f:id:wave0131:20210603125745j:plain

f:id:wave0131:20210603125802j:plain

こちらでは御首題をいただける情報がネット上にありましたが、こんな時期ですので遠慮しましょう。

f:id:wave0131:20210603125750j:plain

f:id:wave0131:20210603125754j:plain

f:id:wave0131:20210603125758j:plain

▼愛犬の供養碑のようで「耳」の形をしていました。

f:id:wave0131:20210603125807j:plain

おそらく幸せな一生を過ごしたであろうワンコたちの名前が刻まれています。

世の趨勢でペットの墓地、供養を行う寺も多くなりましたが、ペットたちほどに大事に供養されない「人間」という動物たちも増えています。

犬猫も人間も死後の扱われ方は様々です。

 

▼古い土産物店も並ぶ法華経寺参道に戻ります。

f:id:wave0131:20210603130054j:plain

f:id:wave0131:20210603132852j:plain

▼桜の季節になれば「五重の塔」もまったく違った装いになることでしょう。

f:id:wave0131:20210603130103j:plain

1622年、加賀前田家から寄進され建立された塔です。

f:id:wave0131:20210603132901j:plain

▼「釈迦大仏」も江戸時代の建立。

f:id:wave0131:20210603130117j:plain

千葉には「鎌ヶ谷大仏」という驚くほど小さい「大仏」がありますが、そちらより大きいことは間違いありません。

 

▼デ〜〜ンと「祖師堂」はいつも堂々としています。国の重文に指定されています。

f:id:wave0131:20210603130059j:plain

日蓮大聖人像が安置されている「祖師堂」は、日蓮宗の寺院では中心的な建物となっています。ここは千葉県内でも最大規模のお堂だそうです。

f:id:wave0131:20210603130108j:plain

f:id:wave0131:20210603130113j:plain

f:id:wave0131:20210603132857j:plain

「祖師堂」の裏手に回ります。

▼こちらも重文の「法華堂」。室町時代に改修されているそうです。

f:id:wave0131:20210603125640j:plain

▼こちらも重文の「宇賀神堂」。五穀豊穣の女神「宇賀弁財天」がいらっしゃいます。

f:id:wave0131:20210603125645j:plain

▼祈祷受付や主な寺務が行われる「本院大客殿」は平成の建築。

f:id:wave0131:20210603125707j:plain

▼この建物の奥に「鬼子母神」があります。

f:id:wave0131:20210603125703j:plain

▼「客殿」の建物と連結されているので「お堂」という独立した姿が見えません。

f:id:wave0131:20210603125712j:plain

▼この奥は確かな「お堂」となっています。

f:id:wave0131:20210603125716j:plain

入谷、雑司ヶ谷と並んで「江戸三大鬼子母神」とも呼ばれるそうですが、ここは江戸には程遠い位置です。

f:id:wave0131:20210603125724j:plain

▼3月3日を前にして多くの雛飾りが置かれています。

f:id:wave0131:20210603125720j:plain

▼子供たちが作った吊り雛のようです。

f:id:wave0131:20210603125729j:plain

f:id:wave0131:20210603125733j:plain

f:id:wave0131:20210603125737j:plain

法華経寺は広く、他にもたくさんのお堂や「八大龍王」が祀られる「竜王池」などもあり見処満載です。

▼今回はこの辺にして「奥之院」に参拝して帰ります。

f:id:wave0131:20210603132906j:plain

法華経寺の初代貫主日常」像。

f:id:wave0131:20210603132914j:plain

奥の院」は法華経寺発祥の地であるとともに「日常」の廟所でもありま。

f:id:wave0131:20210603125650j:plain

f:id:wave0131:20210603132910j:plain

これまでは「祖師堂」など各お堂で御首題がいただけましたが、
コロナ禍では「鬼子母神堂」で書置き御首題のみでした。

「奥之院」も確かめませんでしたが、参拝のみにしました。

能勢妙見山別院の御首題(東京・墨田区)〜「小吉の女房」は見当たらない「父子鷹」の勝海舟と 龍馬伝

能勢妙見山別院の御首題です。(東京都墨田区本所4-6-14)

 f:id:wave0131:20210524162100j:plain

本堂内脇で若い僧侶さんに安心できる親切な対応で記帳していただきました。

の下に 奉拝ではなく「敬拝」と書かれています。ちょっと珍しい言葉です。「拝啓」の並び替えですが字が違います。

 

寺印は「攝州分社」の文字。攝州は摂津国の別称だそうです。

 

▼ 珍しくお守りを購入。「勝守」の図案は咸臨丸の船首に立つ勝海舟でしょうか?

f:id:wave0131:20210524170254j:plain

咸臨丸の往路航米時は、出港まもなく荒天に遭い、
艦長の勝をはじめとする乗船した日本人はすべて船酔いに苦しめられ、
ほとんどの時間を船室に閉じこもっていたそうです。
勝も艦長としては全くの無能ぶりを暴かれてしまったとか。

 

それでも咸臨丸渡海を「わが偉業」としてしまったのは、勝海舟の弁舌巧みで調停能力の高さがそうさせたのかもしれません。

 

今回手にしたお守りは、乗り物酔いのお守りにでもしましょう。

--------------------------------------------------------------------------------------

 

能勢妙見山別院はJR「錦糸町駅」から15分も歩けば余裕で到着です。

江戸時代まで、隅田川の東側の「川向こう」は
南から深川本所向島という大雑把な地域の呼び名があり、
それぞれがかなり広域でした。

現在の「本所」は春日通りを挟んで1〜4丁目までとなっています。

 

そんな現在の本所は、住宅と商工業の営みが混在した地域で、3丁目には「高砂部屋」などがあります。

 

▼ほとんど碁盤の目の街づくりの通りは、幹線道路から外れると比較的交通量の少ない静かな街になり、そこに能勢妙見山別院の山門が開いています。

f:id:wave0131:20210524163304j:plain

 

▼「北辰妙見大菩薩」は北極星、北斗七星を神格化した信仰の菩薩です。

f:id:wave0131:20210524163251j:plain

常に北を指し示し、人々に方向を示すところから「開運の神」とされているそうです。と言っても、ホントは難しくて本ブログはしっかり理解できていません。

仏教の天部の一つとして日本に伝わった菩薩と理解しておきます。

f:id:wave0131:20210524163308j:plain

妙見山」の本山は、大阪府北部の能勢町にある日蓮宗寺院です。

 

玉垣に「四ッ目納豆」という奇妙な文字が並んでいました。

f:id:wave0131:20210524163255j:plain

知らない人は「四ッ目納豆」? どんな納豆??と思うことでしょう。

でも、この地域には本所を南北に貫く道路「三ッ目通り」や「四ッ目通り」があります。おそらく「四ッ目通り」にある納豆屋さんの店名か商品名なのでしょう。

 

▼境内には「開運北辰妙見大菩薩」の幟が高々とそびえます。

f:id:wave0131:20210524163212j:plain

寺は大阪の能勢妙見山を領有していた能勢氏の江戸下屋敷妙見大菩薩を祀ったのが起源とされ、幟に「開創弐百四拾年」と記されているように1774年の創建になります。

 

▼境内は箱庭のように小さく、箱庭のように綺麗です。

f:id:wave0131:20210524163330j:plain

公園と街路樹以外、緑を見つけにくいこの地域で箱庭の緑は宝箱のように感じます。

f:id:wave0131:20210524163342j:plain

ビックリ眼の狛犬たちに迎えられて・・・

f:id:wave0131:20210524163346j:plain

▼先ずは本堂にお参りです。「南無妙見大菩薩」と挨拶しました。

f:id:wave0131:20210524163338j:plain

f:id:wave0131:20210524163350j:plain

f:id:wave0131:20210524163335j:plain

f:id:wave0131:20210524163216j:plain

▼本堂内には上がりませんでしたが、外から見たキャラは「アンパンマン」。

f:id:wave0131:20210524163220j:plain

▼個人的に愛する「バイキンマン」もいました。
f:id:wave0131:20210524163225j:plain

地域への寺の姿勢が垣間見えるキャラでです。

 

▼能勢氏の代表的家紋「切竹矢筈十字(きりたけやはずじゅうじ)」だそうです。

f:id:wave0131:20210524163242j:plain

f:id:wave0131:20210524163233j:plain

十字軍の紋章かと思われるような形ですが、
キリシタン大名高山右近の影響で、キリスト教徒も多かった能勢地方だからこその紋かもしれません。

f:id:wave0131:20210524163247j:plain

f:id:wave0131:20210524163237j:plain

▼東側の通りにある寺の入口。

f:id:wave0131:20210524163157j:plain

▼正面は庫裏・寺務所となっていて寺で一番長く大きな建物です。

f:id:wave0131:20210524163229j:plain

実は能勢妙見山別院は2度目の訪問で、最初の訪問はこの庫裏で御首題をお願いしたのですが、ご住職が法要中とのことで断念しています。

 

くじけず、大きな時間を経ずの再訪でいただいた御首題です。

若い僧侶さんの丁寧な対応で、安堵と再訪した価値が倍増しました。

 

▼さて、そのいただいた御首題の左上に押されている朱印「父子鷹」の「」です。

f:id:wave0131:20210524163312j:plain

麟太郎は若い頃から指差した、自らの方向を見据えていたかもしれません。

f:id:wave0131:20210524163149j:plain

艦長としては無能でしたが、様々な能力側面を持つ海舟です。

江戸の町を火の海にせずに済ませた偉業の調停役に敬意を評します。

f:id:wave0131:20210524163153j:plain

 

少年時代の麟太郎が野良犬に噛まれて生死の境を彷徨った時、
父 小吉は毎晩、ここでで水垢離をして回復を祈ったというエピソードがあります。

これは勝小吉が自伝「夢酔独言」に書き残しているそうです。

子母澤寛の小説「父子鷹」の中にも描写しされているエピソードですが、事実なのかフィクションなのかわからなくなってきます。

そんなことから海舟は晩年まで犬が苦手だったとか。

f:id:wave0131:20210524163136j:plain

何れにしてもここ「能勢妙見山別院」は勝小吉と勝海舟親子の熱心な信仰を得ていたそうです。

また、坂本龍馬と婚約者 千葉さな子もよく参拝に訪れたそうです。

 

▼小ぶりで美しい六角形の「水神堂」。

f:id:wave0131:20210524163145j:plain

昭和20年の東京大空襲の折、周りは火の海となり本尊の妙見菩薩をここにあった井戸の中に沈め、火からの難を逃れたそうです。

f:id:wave0131:20210524163326j:plain

f:id:wave0131:20210524163209j:plain

▼「鴎稲荷」。

f:id:wave0131:20210524163322j:plain

▼鳥居の額は「かもめ稲荷」とされています。f:id:wave0131:20210524163141j:plain

▼提灯の文字は「魔よけ 鷗稲荷大明神」。

f:id:wave0131:20210524163205j:plain

「かもめ」という珍しい名称で、それなりに言い伝えがあるそうですが、長くなるのでここでは省略です。

こちらも、本堂同様もともとは外神田の能勢家の上屋敷に祀られてた稲荷だそうです。

f:id:wave0131:20210524163201j:plain

f:id:wave0131:20210524163317j:plain

 

興福寺の御朱印(奈良市)〜「25円」で落札された国宝「五重の塔」に対面

興福寺 西国三十三所 第9番 南円堂御朱印

法相宗大本山奈良県奈良市登大路町48)f:id:wave0131:20210603150721j:plain

興福寺  一言観音堂御朱印f:id:wave0131:20210603150707j:plain

興福寺  西国薬師 第4番 東金堂御朱印f:id:wave0131:20210603150715j:plain

興福寺  西国薬師 第4番の御詠歌。f:id:wave0131:20210603150711j:plain

御詠歌は「さる沢の 池のほとりのてらにはに るりの光は あまねかりけり」でしょうが

「ほとり」の漢字一文字は正体不明。

 

21.06現在の興福寺HPによると、御詠歌も含め6種類の御朱印がいただけるようです。

 

--------------------------------------------------------------------------------------

 

▼「近鉄奈良駅」が最寄りですが、JR「奈良駅」から「三条通」の「ならまち」を歩んでくるのも楽しい経路です。

 

興福寺訪問の前に平城宮跡東院庭園」にやってきました。

f:id:wave0131:20210603150733j:plain

奈良時代の貴族たちが、ここで雅な供宴や儀式に興じた姿がしのばれる庭園です。

しかし、奈良のメイン観光地からは離れているので訪問者は欧米からの観光客が1組と他に1、2組だけでした。

f:id:wave0131:20210603150729j:plain

大極殿正殿」同様、古都奈良にしては新しい造りなので映画のセットのようで、周囲と馴染むにはもう少し時間が必要かもしれません。

 

▼「猿沢の池」越しに見える「興福寺 五重の塔」は奈良の定番となった景色です。

f:id:wave0131:20210603150738j:plain

こちらは見える物が時間の中でカクテルされ、すっかり調和と味を紡ぎ出しています。

▼「南円堂」の屋根も見えます。f:id:wave0131:20210603150742j:plain

▼「南円堂」の脇に小さな「一言観音堂」と納経所があり御朱印をいただきました。

f:id:wave0131:20210603154417j:plain

世界遺産に登録された「興福寺」は、奈良時代に朝廷から保護を受けた「南都七大寺」に数えられます。

f:id:wave0131:20210603150751j:plain

藤原鎌足ゆかりの寺で、その息子 不比等によって平城遷都とともに現在地に移されている藤原氏の氏寺でもありました。

f:id:wave0131:20210603150755j:plain

奈良時代には隆盛を極めましたが、1180年平家に「南都焼討」され、その後も度々火災に見舞われています。

f:id:wave0131:20210603150759j:plain

▼高さ約50m、国宝「五重の塔」は1426年の再建で、初代は天平時代の730年で、6代目と言いますから、しつこく再建を繰り返してきたことになります。

f:id:wave0131:20210603150805j:plain長い歴史の中でも、あろうことかこの五重の塔が競売にかけられ
25円で落札されています。

明治の「廃仏毀釈」により困窮した寺が競売に出したのです。

現在の価値に換算して20万円にもならない金額だったそうです。

落札業者は塔を燃やし、残った金属を売却しようとしていたそうですが、周囲の住民の反対により、からくも文化財として残ったのです。

そしてのちに国宝指定されたということです。

 

▼1415年再建の「東金堂」も国宝。右を向いても左を向いても国宝です。

f:id:wave0131:20210603150810j:plain

訪問時は「中金堂」が工事中でした。

▼2018年に見事再建落慶されています。こちらは9代目だそうですから、奈良時代から再建への思いが延々と引き継がれてきたことになります。   写真は(興福寺 - Wikipedia

f:id:wave0131:20210603152058j:plain

 

興福寺の訪問者は参拝もさることながら、大きな目的は国宝仏像の拝観でしょう。

教科書などで1度は目にしている像の本物との対面です。

これを見ずして興福寺を去るわけにはいきません。

 

▼全て撮影禁止なので写真はやはり wiki からの借り物です。興福寺 - Wikipedia

f:id:wave0131:20210603152048j:plain

強烈な印象を抱かせられる「木造無著像」の写実性は、日本肖像彫刻の最高傑作とされています。

興福寺 - Wikipediaf:id:wave0131:20210604172808j:plain

無邪気な「天灯鬼像」と、ミステリアスな微笑みの「阿修羅像」に知ったかぶりの説明と感想は無用でしょう。
興福寺 - Wikipediaf:id:wave0131:20210603152114j:plain

仏像が展示されている建物は照明を抑えているのか、どこも同じような薄暗さを感じます。

仏像に対する何とも言えない感動で、外に出ると晴れていなくても、ため息とともに眩しさを感じます。

f:id:wave0131:20210603150814j:plain

仏像鑑賞は薄暗い中で、

奈良公園の「鹿観賞」は明るいところが最適のようです。

f:id:wave0131:20210603150818j:plain

後日、いただいた国宝級の御朱印を眺め回すうちに、
印象的な仏像群が記憶に蘇ること間違いない興福寺です。

 

西国三十三所の過去記事。

wave2017.hatenablog.com

 

鎮守 氷川神社の御朱印(埼玉・川口市)〜「釜神様」もいらっしゃるピーカンの古社

鎮守 氷川神社御朱印

ちんじゅ ひかわ じんじゃ主祭神:素盞鳴命(埼玉県川口市青木5-18-48)

f:id:wave0131:20210525132526j:plain

鎮守氷川神社御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20210524175419j:plain

御朱印は書置きのみでしたが、今回は朱印帳を求めたので予め直書き済みのものです。

 

鎮守氷川神社御朱印(2015年)。f:id:wave0131:20210524175414j:plain2015年は当然直書きでいただいていますが、当時は「直書き」という言葉さえあまり使いませんでした。

 

▼いただける御朱印は素盞鳴命のスタンプが春夏秋冬で4色に分けられているようです。

f:id:wave0131:20210524175444j:plain

しかし、2015年にいただいた御朱印は、3月の日付にも関わらず素盞鳴命のスタンプは「ブルー」でした。

当時は、まだ春夏秋冬の区分けがしっかり出来てなかったのかもしれません。

 

鎮守氷川神社朱印帳

f:id:wave0131:20210525135926j:plain

このほかに「大祭」や「クシナダヒメの日」などには限定御朱印が、
また横尾忠則のイラストを使用した朱印帳なども、日を限って授与されます。

f:id:wave0131:20210524175440j:plain

 

氷川神社には「川口オートレース場」が隣接しています。

車券を買うギャンブラーもこの神社に「開運」を祈願してから、レース場に向かう方もいるかもしれません。

 

鎮守氷川神社へはJR「川口駅」や、「南鳩ヶ谷駅」からバスになります。

少し覚悟すれば両駅から歩けない距離でもありません。15〜20分ほどです。

 

何しろ「氷川神社」がやたらと多い地域です。

混同しないように、大概が鎮座する地名を冠にして「◯◯ 氷川神社」としています。

 

▼しかし、ここは由緒書きの表紙も、朱印も、朱印帳も「鎮守 氷川神社」としています。

f:id:wave0131:20210524175941j:plain

一般名詞の「鎮守」では特定できません。

潔いのか、はたまた「小さな大社」としている神社の自信の現れかもしれません。

 

いずれにしても「氷川神社」として、また川口市内の神社としても規模の大きい有名神社という位置にあるのでしょう。

f:id:wave0131:20210524175949j:plain

f:id:wave0131:20210524175945j:plain

f:id:wave0131:20210524180007j:plain

 

▼石碑「氷川太神」の下部の文字はおそらく「神代文字」。

f:id:wave0131:20210524180003j:plain

象形文字のような「神代文字」を使用した御朱印を代々木の「平田神社」でいただいたのを思い出しました。

 

▼参道を進むと今度は「厄割石」が登場。「」の文字が逆さに刻まれています。

f:id:wave0131:20210524180016j:plain

社務所で「厄割石」を求めて、この石にぶつけて割るそうです。

f:id:wave0131:20210524180011j:plain

いわゆる「厄落とし」ですが、神社のこういう発想の豊かさにはいつも驚かされます。

 

▼おとなし目の手水舎はコジンマリとしています。

f:id:wave0131:20210524175719j:plain

▼参道途中には新旧の狛犬が三対。新しそうなものほど勇猛果敢な表情。

f:id:wave0131:20210524175954j:plain

f:id:wave0131:20210524175657j:plain

▼一番古そうな狛犬はお茶目でユニーク。

f:id:wave0131:20210524180108j:plain

f:id:wave0131:20210524180104j:plain

▼御神木は、根元が一つになった椋の木で「縁結びの木」。

f:id:wave0131:20210524180045j:plain

よく見るパターンの御神木ですが、元々このように意識的に育てたのか、偶然の賜物なのか、いつも不思議に思います。

 

氷川神社室町時代の創建と伝わるので700年くらい前になります。

f:id:wave0131:20210524180052j:plain

▼現在の社殿は1986年の再建です。

f:id:wave0131:20210524180114j:plain

主祭神の「素盞鳴命」と「櫛稲田姫命」に挨拶します。

f:id:wave0131:20210524175646j:plain

f:id:wave0131:20210524180059j:plain

▼社殿は新し目でも古社の風格が備わっています。

f:id:wave0131:20210524175642j:plain

f:id:wave0131:20210524175522j:plain

 

▼2015年参拝時の3月はまだ寒く、2枚の写真も寒々としています。

f:id:wave0131:20210525134027j:plain

f:id:wave0131:20210525134023j:plain

 

6年の歳月で境内は、より暖かく整備されたようです。

 

f:id:wave0131:20210524180118j:plain

▼社殿左手から裏に境内社が並びます。

f:id:wave0131:20210524175527j:plain

f:id:wave0131:20210524175536j:plain

f:id:wave0131:20210524175541j:plain

▼いちばん手前に「弁天社」です。左に弁財天がチョコンと座っています。

f:id:wave0131:20210524175638j:plain

▼次は「磯前神社」。

f:id:wave0131:20210524175634j:plain

▼そして「不動尊」。
f:id:wave0131:20210524175531j:plain

足立不動尊第八十八番 般若院」と書かれています。

f:id:wave0131:20210524175630j:plain 般若院」は氷川神社別当寺だったそうです。

 

▼さらに「天神社」。こんな小さな社にも合格祈願の絵馬奉納が多数下がります。

f:id:wave0131:20210524175550j:plain

▼本殿裏手になる「三峰神社」。f:id:wave0131:20210524175554j:plain

どの神社にもきちんと神社名と謂われが書かれた高札が掲げられていて、とても分かりやすく親切です。

こんなに数多い境内社だとメモでもしない限り記憶できませんので、後で記事にする者にとっては、とってもありがたい事です。

 

▼最後は「稲荷神社」。

f:id:wave0131:20210524175625j:plain

f:id:wave0131:20210524175617j:plain

▼朱塗りの鳥居の正面には多くの狐たちが待ち構えています。

f:id:wave0131:20210524175613j:plain

f:id:wave0131:20210524175621j:plain

▼稲荷社の隣の御神木は元気の木「大欅」。

f:id:wave0131:20210524175559j:plain

f:id:wave0131:20210524175608j:plain

f:id:wave0131:20210524175604j:plain

御神木を両手で抱えるように抱いて、目を閉じ1分間深呼吸すれば「大自然の気」をいただけ、明日から「元気」になるそうです。

 

神社入口の鳥居方面に戻りました。

▼「富士遥拝所」の石碑と「浅間神社」の祠が建つのは富士塚の麓。

f:id:wave0131:20210524180020j:plain

七福神」の案内は、隠されているように境内に小さな像が置かれています。

そのつもりになって探さないと見つかりません。

f:id:wave0131:20210524180034j:plain

f:id:wave0131:20210524180029j:plain

富士塚の麓には「南無妙法蓮華経」のお題目も。何でもありです。

f:id:wave0131:20210524180024j:plain

▼安産・子宝を望む参拝者には「撫で犬」が用意されています。

f:id:wave0131:20210524175705j:plain

富士登山口です。

f:id:wave0131:20210524180040j:plain

f:id:wave0131:20210524175701j:plain

▼頂上には「浅間神社奥宮」です。

f:id:wave0131:20210524175710j:plain

▼頂上から下界の眺めは「ほぼ桃源郷」。コロナ禍など、どこの世界の話?的雰囲気。

f:id:wave0131:20210524175714j:plain

▼帰ろうとして駐車場を眺めると、こちらにも神様がいらしゃるようです。

f:id:wave0131:20210524175723j:plain

▼古神札納め所でした。

f:id:wave0131:20210524175728j:plain

▼古神札はありませんが、初にお目にかかった「釜神様」に挨拶して帰ります。

f:id:wave0131:20210525141612j:plain

700年の歴史を持つ古社は整備がゆき届き、とても気持ちよく参拝できた明るいイメージの神社でした。
暖かい春の天候がイメージアップにも繋がっていますが・・。

寺社を訪れるのは季節と時間が、その記憶に大きく影響しますね。

元郷氷川神社の御朱印(埼玉・川口市)〜「しあわせの宮」で見つける幸

元郷氷川神社御朱印です。(埼玉県川口市元郷1-30-2)f:id:wave0131:20210528194231j:plain

いただいたのは通常御朱印ですが、花の添え印が月替りで季節の花になるそうです。

いただいた御朱印は藤でしょうがよく見ると「」の一文字が隠れています。

 

神社のHPに「今月の御朱印ご案内」が掲載されています。

 

--------------------------------------------------------------------------------------

 

▼元郷氷川神社への最寄りは埼玉高速鉄道川口元郷駅」から徒歩5分ほど。

 

関東に住んでいる御朱印収集者の運命で「氷川神社」にまみれます。

記憶もできず無数の「氷川神社」が全くカオス状態になっています。

 

もちろん数の上では「八幡神社」の方が多いのでしょうが、
八幡神社の場合は、名称が(●●八幡神社)となるところ、
氷川神社は(●●)(氷川神社)となるイメージなのです。

 

基本はどちらも「八幡神社」「氷川神社」が正式名称で、

他との混同を避けるため便宜上「●●八幡神社」「●●氷川神社」としている神社がほとんどでしょう。

 

▼神社は住宅街にありますが、ちょっと振り向くと巨大なタワマンがニョッキリです。

f:id:wave0131:20210528194407j:plain

 

▼見逃してしまいそうな参道入口に「しあわせの宮」と書かれた小さな柱がたちます。

f:id:wave0131:20210528194240j:plain

 

大宮の氷川神社を勧請し、室町時代に創建され、

子宝・子授け成就、子孫繁栄などにご利益があることから「しあわせの宮」と呼ばれているそうです。

f:id:wave0131:20210528194244j:plain

地元の鎮守らしく住宅に挟まれた細い参道ですが、手入れが行き届いています。

f:id:wave0131:20210528194412j:plain

▼鳥居の扁額を覆っているのは保護網なのでしょうか、全く読めません。

f:id:wave0131:20210528194249j:plain

ソーラーパネルのような姿で、右下の小さなパネルも正体不明です。

 

▼朱色の手水舎の手前には広い駐車場もありました。

f:id:wave0131:20210528194300j:plain

明るい境内はチリひとつ無いほど綺麗に掃き清められています。

f:id:wave0131:20210528194255j:plain

▼コンクリート製でしょうが、コンパクトで美しい社殿です。

f:id:wave0131:20210528194306j:plain

狛犬は前掛けとパープルのマスク。特注か手作りのマスクはセンスが光っています。

f:id:wave0131:20210528194332j:plain

時間を刻んできた古い狛犬のようです。

白い眼は最初から塗られていたものではないでしょうが、あるか無いかで一気に表情が変わって見えるのでしょう。

f:id:wave0131:20210528194328j:plain

▼社号額には「四ノ宮 氷川大明神」とあります。

f:id:wave0131:20210528194324j:plain

当初は「四ノ宮」「四郎ノ宮」とも呼ばれていたそうです。

 

▼「川口九社詣 勾玉巡り」の案内。

f:id:wave0131:20210528194337j:plain

ここ数年、全国で「●●巡り」という神社詣でが増えました。
御朱印目的には訪問参拝しやすい指針となっていることでしょう。

 

主祭神の父娘神である「素盞嗚尊」「市杵島姫命」は、こちらの本殿にいらっしゃいます。

f:id:wave0131:20210528194311j:plain

▼ブロンズ製の犬の母子像「子宝いぬ」です。

f:id:wave0131:20210528194319j:plain

犬たちも感染対策です。いつになったらこのマスクを外すことができるのでしょうか?

 

▼朱色と壁の白のコントラストで引き締まった社殿です。

f:id:wave0131:20210528194315j:plain

▼社殿左手に「十二社」殿。

f:id:wave0131:20210528194342j:plain

末社としてあった12の社をここに集合していただき「合祭殿」としたそうです。

f:id:wave0131:20210528194355j:plain

罪はありませんが住宅の干物が何とも無粋で、社の裏側の植林が早く育つことを願いたくなりました。

f:id:wave0131:20210528194359j:plain

▼富士山の「東表口登山」碑は大正の日付がありました。

f:id:wave0131:20210528194346j:plain

▼写真は思いっきり傾いてますが「御嶽神社」は明治の日付。

f:id:wave0131:20210528194351j:plain

f:id:wave0131:20210528194403j:plain

「しあわせ」と感じるのは人それぞれ 。案外、自分の足元にあるものかもしれません。

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村