▼興福寺 西国薬師 第4番の御詠歌。
御詠歌は「さる沢の 池のほとりのてらにはに るりの光は あまねかりけり」でしょうが
「ほとり」の漢字一文字は正体不明。
21.06現在の興福寺HPによると、御詠歌も含め6種類の御朱印がいただけるようです。
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▼「近鉄奈良駅」が最寄りですが、JR「奈良駅」から「三条通り」の「ならまち」を歩んでくるのも楽しい経路です。
奈良時代の貴族たちが、ここで雅な供宴や儀式に興じた姿がしのばれる庭園です。
しかし、奈良のメイン観光地からは離れているので訪問者は欧米からの観光客が1組と他に1、2組だけでした。
「大極殿正殿」同様、古都奈良にしては新しい造りなので映画のセットのようで、周囲と馴染むにはもう少し時間が必要かもしれません。
▼「猿沢の池」越しに見える「興福寺 五重の塔」は奈良の定番となった景色です。
こちらは見える物が時間の中でカクテルされ、すっかり調和と味を紡ぎ出しています。
▼「南円堂」の屋根も見えます。
▼「南円堂」の脇に小さな「一言観音堂」と納経所があり御朱印をいただきました。
世界遺産に登録された「興福寺」は、奈良時代に朝廷から保護を受けた「南都七大寺」に数えられます。
藤原鎌足ゆかりの寺で、その息子 不比等によって平城遷都とともに現在地に移されている藤原氏の氏寺でもありました。
奈良時代には隆盛を極めましたが、1180年平家に「南都焼討」され、その後も度々火災に見舞われています。
▼高さ約50m、国宝「五重の塔」は1426年の再建で、初代は天平時代の730年で、6代目と言いますから、しつこく再建を繰り返してきたことになります。
長い歴史の中でも、あろうことかこの五重の塔が競売にかけられ
「25円で落札」されています。
明治の「廃仏毀釈」により困窮した寺が競売に出したのです。
現在の価値に換算して20万円にもならない金額だったそうです。
落札業者は塔を燃やし、残った金属を売却しようとしていたそうですが、周囲の住民の反対により、からくも文化財として残ったのです。
そしてのちに国宝指定されたということです。
▼1415年再建の「東金堂」も国宝。右を向いても左を向いても国宝です。
訪問時は「中金堂」が工事中でした。
▼2018年に見事再建落慶されています。こちらは9代目だそうですから、奈良時代から再建への思いが延々と引き継がれてきたことになります。 写真は(興福寺 - Wikipedia)
興福寺の訪問者は参拝もさることながら、大きな目的は国宝仏像の拝観でしょう。
教科書などで1度は目にしている像の本物との対面です。
これを見ずして興福寺を去るわけにはいきません。
▼全て撮影禁止なので写真はやはり wiki からの借り物です。(興福寺 - Wikipedia)
強烈な印象を抱かせられる「木造無著像」の写実性は、日本肖像彫刻の最高傑作とされています。
無邪気な「天灯鬼像」と、ミステリアスな微笑みの「阿修羅像」に知ったかぶりの説明と感想は無用でしょう。
(興福寺 - Wikipedia)
仏像が展示されている建物は照明を抑えているのか、どこも同じような薄暗さを感じます。
仏像に対する何とも言えない感動で、外に出ると晴れていなくても、ため息とともに眩しさを感じます。
仏像鑑賞は薄暗い中で、
▼奈良公園の「鹿観賞」は明るいところが最適のようです。
後日、いただいた国宝級の御朱印を眺め回すうちに、
印象的な仏像群が記憶に蘇ること間違いない興福寺です。
▼ 西国三十三所の過去記事。