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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

能勢妙見山別院の御首題(東京・墨田区)〜「小吉の女房」は見当たらない「父子鷹」の勝海舟と 龍馬伝

能勢妙見山別院の御首題です。(東京都墨田区本所4-6-14)

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本堂内脇で若い僧侶さんに安心できる親切な対応で記帳していただきました。

の下に 奉拝ではなく「敬拝」と書かれています。ちょっと珍しい言葉です。「拝啓」の並び替えですが字が違います。

 

寺印は「攝州分社」の文字。攝州は摂津国の別称だそうです。

 

▼ 珍しくお守りを購入。「勝守」の図案は咸臨丸の船首に立つ勝海舟でしょうか?

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咸臨丸の往路航米時は、出港まもなく荒天に遭い、
艦長の勝をはじめとする乗船した日本人はすべて船酔いに苦しめられ、
ほとんどの時間を船室に閉じこもっていたそうです。
勝も艦長としては全くの無能ぶりを暴かれてしまったとか。

 

それでも咸臨丸渡海を「わが偉業」としてしまったのは、勝海舟の弁舌巧みで調停能力の高さがそうさせたのかもしれません。

 

今回手にしたお守りは、乗り物酔いのお守りにでもしましょう。

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能勢妙見山別院はJR「錦糸町駅」から15分も歩けば余裕で到着です。

江戸時代まで、隅田川の東側の「川向こう」は
南から深川本所向島という大雑把な地域の呼び名があり、
それぞれがかなり広域でした。

現在の「本所」は春日通りを挟んで1〜4丁目までとなっています。

 

そんな現在の本所は、住宅と商工業の営みが混在した地域で、3丁目には「高砂部屋」などがあります。

 

▼ほとんど碁盤の目の街づくりの通りは、幹線道路から外れると比較的交通量の少ない静かな街になり、そこに能勢妙見山別院の山門が開いています。

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▼「北辰妙見大菩薩」は北極星、北斗七星を神格化した信仰の菩薩です。

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常に北を指し示し、人々に方向を示すところから「開運の神」とされているそうです。と言っても、ホントは難しくて本ブログはしっかり理解できていません。

仏教の天部の一つとして日本に伝わった菩薩と理解しておきます。

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妙見山」の本山は、大阪府北部の能勢町にある日蓮宗寺院です。

 

玉垣に「四ッ目納豆」という奇妙な文字が並んでいました。

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知らない人は「四ッ目納豆」? どんな納豆??と思うことでしょう。

でも、この地域には本所を南北に貫く道路「三ッ目通り」や「四ッ目通り」があります。おそらく「四ッ目通り」にある納豆屋さんの店名か商品名なのでしょう。

 

▼境内には「開運北辰妙見大菩薩」の幟が高々とそびえます。

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寺は大阪の能勢妙見山を領有していた能勢氏の江戸下屋敷妙見大菩薩を祀ったのが起源とされ、幟に「開創弐百四拾年」と記されているように1774年の創建になります。

 

▼境内は箱庭のように小さく、箱庭のように綺麗です。

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公園と街路樹以外、緑を見つけにくいこの地域で箱庭の緑は宝箱のように感じます。

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ビックリ眼の狛犬たちに迎えられて・・・

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▼先ずは本堂にお参りです。「南無妙見大菩薩」と挨拶しました。

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▼本堂内には上がりませんでしたが、外から見たキャラは「アンパンマン」。

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▼個人的に愛する「バイキンマン」もいました。
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地域への寺の姿勢が垣間見えるキャラでです。

 

▼能勢氏の代表的家紋「切竹矢筈十字(きりたけやはずじゅうじ)」だそうです。

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十字軍の紋章かと思われるような形ですが、
キリシタン大名高山右近の影響で、キリスト教徒も多かった能勢地方だからこその紋かもしれません。

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▼東側の通りにある寺の入口。

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▼正面は庫裏・寺務所となっていて寺で一番長く大きな建物です。

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実は能勢妙見山別院は2度目の訪問で、最初の訪問はこの庫裏で御首題をお願いしたのですが、ご住職が法要中とのことで断念しています。

 

くじけず、大きな時間を経ずの再訪でいただいた御首題です。

若い僧侶さんの丁寧な対応で、安堵と再訪した価値が倍増しました。

 

▼さて、そのいただいた御首題の左上に押されている朱印「父子鷹」の「」です。

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麟太郎は若い頃から指差した、自らの方向を見据えていたかもしれません。

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艦長としては無能でしたが、様々な能力側面を持つ海舟です。

江戸の町を火の海にせずに済ませた偉業の調停役に敬意を評します。

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少年時代の麟太郎が野良犬に噛まれて生死の境を彷徨った時、
父 小吉は毎晩、ここでで水垢離をして回復を祈ったというエピソードがあります。

これは勝小吉が自伝「夢酔独言」に書き残しているそうです。

子母澤寛の小説「父子鷹」の中にも描写しされているエピソードですが、事実なのかフィクションなのかわからなくなってきます。

そんなことから海舟は晩年まで犬が苦手だったとか。

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何れにしてもここ「能勢妙見山別院」は勝小吉と勝海舟親子の熱心な信仰を得ていたそうです。

また、坂本龍馬と婚約者 千葉さな子もよく参拝に訪れたそうです。

 

▼小ぶりで美しい六角形の「水神堂」。

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昭和20年の東京大空襲の折、周りは火の海となり本尊の妙見菩薩をここにあった井戸の中に沈め、火からの難を逃れたそうです。

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▼「鴎稲荷」。

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▼鳥居の額は「かもめ稲荷」とされています。f:id:wave0131:20210524163141j:plain

▼提灯の文字は「魔よけ 鷗稲荷大明神」。

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「かもめ」という珍しい名称で、それなりに言い伝えがあるそうですが、長くなるのでここでは省略です。

こちらも、本堂同様もともとは外神田の能勢家の上屋敷に祀られてた稲荷だそうです。

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