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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

安楽寺の御朱印(茨城・常総市)〜江戸時代へタイムスリップ! 時代物ロケ地の名門

▼正覚山 安楽寺御朱印です。(天台宗別格本山/茨城県常総市大輪町1)f:id:wave0131:20210525190002j:plain

安楽寺「東国花の寺」の御朱印f:id:wave0131:20210525190007j:plain

安楽寺 本尊「阿弥陀如来」の御朱印f:id:wave0131:20210525190012j:plain

2つの御朱印は全く同じで
東国 花の寺百ヶ」と花のイラストスタンプの有無だけの違いでした。

 

2021年現在は「阿弥陀如来」と「元三大師」の2種類の御朱印がいただけ、
元三大師をデザインした朱印帳も授与されています。

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高校野球がなければ永遠に全国区になれなかった「常総市」ですが、

その後の記憶に新しい鬼怒川の氾濫水害でも「全国区」になっています。

 

▼その暴れ川「鬼怒川」の西岸に位置する安楽寺です。

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日光の山岳部を水源とする鬼怒川は、その名の通り「鬼の怒る川」で、昭和初期までは洪水の歴史そのものの「暴れ川」でした。

 

そして2015年9月10日、鬼怒川の数か所で越水や堤防からの漏水、さらには決壊箇所もできて、鬼怒川と小貝川に挟まれた広範囲が水没し、直接的な死者2名を出しています。                           写真は朝日新聞デジタル

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この頃からだったのではないでしょうか。

その後の台風や大雨による河川の氾濫・決壊などによる被害が全国的に現れるようになっています。

 

2018年の7月に西日本を襲った豪雨で、広島県岡山県などが大規模な土砂災害や浸水が発生したのは、まだ記憶に新しい出来事です。

 

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2015年の常総市の水害は鬼怒川の東岸が決壊・氾濫していて、

ここ安楽寺のある西岸はまったく被害を被っていません。

東岸の広大な浸水区域も安楽寺以北になります。

仮に西岸が浸水に襲われたとしても、安楽寺は丘陵地帯にありますので、おそらく直接の被害には会わずに済んだことでしょう。

 

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関東の人間が一般に話にしたり、イメージしたりする「鬼怒川」は、
東武ワールドスクエア」や「猿軍団」「江戸村」、
さらには紅葉で有名な「龍王」や「鬼怒川ライン下り」のある東京の奥座敷
鬼怒川温泉」でした。

 

 

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その鬼怒川が南下して利根川に合流し、その水を太平洋に注ぎ込んでいる地理的な事実など多くの人は知らず、
その流れの途中で決壊して、死者まで出す大きな水害になろうとは、
常総市の水害が発生するまで多くの人が予想や、考えたことのない出来事でした。

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人々は改めて「鬼怒川」が温泉とともにある行楽地だけでなく、
半世紀以上を大人しくしていた「暴れ川」である事を改めて思い知らさられる結果となりました。

 

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さて安楽寺は929年、道真の子・三郎影行によって大生郷天満宮別当として創建されています。

 

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大野郷天満宮安楽寺の2kmほど西にありますので、当初は大野天満宮の近くに建立されていたのでしょう。

 

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江戸時代に入って、天海大僧正が上野寛永寺に元三大師を勧請しています。

さらにに寛永寺の鬼門にあたる、ここ安楽寺江戸城 鬼門の祈願寺として、
同じく元三大師を勧請したので「元三大師」とも呼ばれています。

慈恵大師であり、元三大師であり、良源でもあります。

 

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寺の写真は僅かしかありませんが、
現代に人工的な手を加えた様子の見えない、自然豊かな広い境内は、
これまで半端じゃない数多くの映画ドラマの撮影地として使われています。

もちろん、その多くは時代物のドラマです。

 

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戦国時代、江戸時代を描くドラマの主人公たちが、境内のどこに立っても不自然でない自然のセットが寺には用意されていて、
タレントや役者でなくともタイムスリップを味わえる安楽寺でした。

 

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能仁寺の御朱印(埼玉・飯能市)〜周辺の遊びに夢中で、忘れそうになる御朱印かも?

▼武陽山 能仁寺御朱印です。(曹洞宗/埼玉県飯能市飯能1329)

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高麗坂東十三番」の印が押されています。

これはネット検索しても1つもヒットしませんでした。
消滅してしまった幽霊霊場かもしれません。

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能仁寺飯能市街北西の天覧山麓に門を開いています。最寄りは西武線飯能駅」。

 

この地域は車移動ではなく、季節の良い時期に1日のんびり徒歩移動がオススメ。

 

飯能の北に位置する日高市の「高麗神社」から、
武蔵野三十三観音霊場」の寺々を巡りながら南下して「巾着田」や、

▼「宮沢湖」をめぐり・・・             (以下3点の写真は「photoAC」

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▼チョー低山の「天覧山」を経由して・・・

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能仁寺」と「武蔵野三十三観音霊場」の23・24番を訪れれば、
10km以上ある歩行距離は意識させられずに、心地良い疲労感と大きな満足感を得られることは間違いありません。

距離が長いので夏だけはダメ!

サイコーの姿を見せる秋から、冬、春ならば雨天以外は保証付です!

能仁寺の御朱印をいただくこともお忘れなく!

 

▼季節は秋の能仁寺参道です。

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遊びに時間を費やし過ぎて、目的の御朱印をいただき損ねても、
また訪れれば良いのです。飯能は逃げません!

 

▼11月初旬はまだ紅葉前。モミジはまだ青々としています。

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能仁寺は1501年の創建と伝わります。

そして江戸時代には七堂伽藍が整い、末寺20、雲水も50人を抱える規模で栄えたそうです。

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しかし、幕末の戊辰戦争で寺は全てを焼失しています。

この地域の限定的な戦いは「飯能戦争」と呼ばれています。

戊辰戦争がこの埼玉の奥地まで及んでいるとは全く知りませんでした。

 

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中雀門

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本堂は1936年の再建です。

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▼本堂前の庭に置かれたこのオブジェは何を現わしているのでしょう?

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「炎」でしょうか?

寺の本尊が不動明王なら「炎」だとしても理解できますが、能仁寺の本尊は御朱印に書かれている毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。

宗教とは関係のないオブジェかもしれません。

 

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最寄りの西武線飯能駅」から徒歩ですと20分くらいかかり、
決してアクセスの良い寺ではありませんが、大勢の参拝者と出会いました。

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▼実は能仁寺は美しい庭園でも有名だそうです。

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写真は日本中の庭園を紹介されてる素晴らしいサイト「庭園ガイド」さんからお借りしました。
この庭園も紅葉時期になると多くの訪問者で賑やかになるそうです。

 

2015年当時、写真には熱心ではなく、今回記事もお借りした写真が多くなりました。

「写真 AC」さん「庭園ガイド」さん、ありがとうございました。

 

▼近隣、巾着田と武蔵野三十三観音の記事です。

wave2017.hatenablog.com

白金氷川神社の御朱印(東京・港区)〜シロカネの森に住まうシアワセな動物たち

白金氷川神社御朱印です。(東京都港区白金2-1-7)f:id:wave0131:20210526203219j:plain

 

直書きいただいたのですが、
「さて、丁寧に押さなければ・・・」

というような雰囲気で、宮司さんと奥様らしきお二人で朱印帳に向き合っていただきました。

朱印もスタンプもカスレのない、綺麗に仕上がった御朱印をいただきました。

 

 

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5種類の御朱印サンプルが案内されていました。

いただいた⑤は「5月15日〜」とされていますので月替りか季節替わりの御朱印のようです。

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氷川神社へは地下鉄「白金高輪駅」から300mもありません。

 

死語になったのか最近聞かなくなった造語「シロガネーゼ」は濁音になっていますが、

白金」は濁らず「しろかね」です。

 

万葉集に歌われる「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」も、

「銀」は同じ「しろかね」の読みですが、

「銀(シルバー)」と「白金(プラチナ)」で違う金属ですね。

 

白金村」の地名は、この地を開いた柳下上総介という役人が、大量の銀(シロカネ)を持っていたことから、「白金長者」と呼ばれ、それが地名になったと言われています。

ここでは「銀」も「白金」も同じ扱いにされています。

 

▼さて現在の「白金村」です。前方は「白金高輪駅」方面に坂が下っています。

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江戸時代では江戸の町と郊外の境界線にあり、現在も寺社が多く、当時は旗本や大名の下屋敷があった地域です。

神社前の「北里通り」は、高級住宅街イメージでも何でもない姿を見せています。

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▼通りに面して神社入口があり、車なら鳥居横にある坂を上れば境内に駐車できます。

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現在の港区内には赤坂氷川神社愛宕神社など、大小多くの神社がありますが、
ここ白金氷川神社は「白鳳時代」の創建と伝わり、港区最古の神社だそうです。

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白鳳時代」というのですから、ほぼ「飛鳥時代」でしょう。

1300年前の「白金」の地域がどんな様子だったか見当もつきません。

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神社の由緒によると、
日本武尊御東征の時、素蓋鳴尊を勧請し、大宮に対する遙拝所として当所に御鎮座」とあります。

 

ちなみに都内では大國魂神社根津神社榊神社五條天神社などが、創建以来1900年超と言われています。

 

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▼石段は撮影時のカメラ位置によって勾配角度が異なって写ります。

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▼石段を上がったところにも細身でも筋骨たくましい異形の狛犬です。

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石段下の新しそうな狛犬は優等生顔でしたが、こちらはワンパク小僧型で親しみを感じぜずにはいられません。

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▼石段を上がった境内の様子です。

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ここで標高16mくらい。江戸時代までは近かった東京湾がよく見えた事でしょう。

現在は高層マンション群が壁を作っています。

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▼手水舎は銅板葺の屋根が経年変化で味のある緑青色になっています。

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▼石段先の正面に唐破風造りの向拝が美しい社殿です。

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拝殿の屋根も緑青色が美しさを際立たせています。

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何度も火災と再建を繰り返してきた社殿は昭和の建立。

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祭神の「素盞嗚尊・日本武尊・櫛稲田姫尊」のお住いは、
明るいショーウインドゥのような仕切りの奥にあり、居心地の良さそうな空間になっています。

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▼賽銭箱の紋は調べたら「丸に三つ柏」。無数にある紋の名称は難しく覚えられるものではありません。

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「ハットリハウス」や「聖心女子」などがあり、都心部にありながら比較的緑の多いこの地域ですが、
白金の高台にこれほどの森を持つ神社があるとは、これまで知りませんでした。

情けないことに神社があることさえ知らなかったので、当然初訪問です。

 

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▼社殿右手に森深い小山に導く小道ができています。

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まさに「森の小道」状態です。

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▼小山の頂上は、衣食住の神様「稲荷社」でした。「アゲ」が沢山です。

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▼大小の神狐たちがタムロしていました。

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▼社殿左側奥には「建武神社」が鎮座します。

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▼素晴らしい景観です。

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緑と朱、究極の補色関係が美しさを際立たせているのでしょう。

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一対の社殿に「後醍醐天皇」「護良親王」「楠木正成」など、
吉野朝の天皇・諸臣が203柱祀られているそうです。

神社名の「建武」が納得できる祭神です。

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建武神社の参道で神猫が食事中でした。メニューはわかりません。

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▼振り向いて舌をペロッ! 眼つきからして何かイケナイ物を食べていたのかもしれません。

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いただいた御朱印にもスタンプされているネコたちは、神社の住民でもあるようです。

猫たちのシロガネーゼです。

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神社を住まいにできるネコたちは、何とシアワセな事でしょう。

祭神や神使い、宮司さんなどが住む以外はあり得なかったことですが、最近は狛犬の数より勝る数のネコたちがいる神社が増えました。

狛犬たちもオチオチしていられない時代になっています。

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美しい形の社殿、森の稲荷社、朱の建武神社、
そして、親切な御朱印対応が印象深い神社でした。

八雲神社の御朱印(鎌倉市)〜祇園山のふもと 厄除け古社の午後

八雲神社御朱印です。(神奈川県鎌倉市大町1-11-20)f:id:wave0131:20210519134544j:plain

八雲神社御朱印(2021年)。f:id:wave0131:20210519134552j:plain

八雲神社御朱印(2013年)。f:id:wave0131:20210519134548j:plain

2021年は宮司さん、2013年は女性(奥様?)の筆跡。
素晴らしく、一切変化ありません。

右上の印は「新羅三郎義光勧請 相州鎌倉大町鎮座」と記されています。

 

御朱印は境内外右手側の授与所・社務所でいただきます。

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▼「八雲神社」はぼたもち寺安養院が近くにある大町に鎮座です。

鎌倉駅から歩くと10分ほどでしょう。

 

googlemapの鎌倉周辺地図で「八雲神社」で検索すると4社も現れますが、

他は普段は無住の神社らしく、ここは鎌倉駅からほど近い大町の「八雲神社」です。

 

▼車1台通るのがやっと、というような細い路地のような道路に面してる神社入口です。

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4年ぶりの鎌倉訪問でした。

 

それにしても同名の「八雲神社」が鎌倉に4社もあるなどとは知りませんでした。

全国に30社近くある八雲神社ですが、福島の郡山市には7社もあるそうです。

一躍有名になって久しいのは森高千里の「八雲神社」は足利鎮座です。

 

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八雲神社は祭神を牛頭天王スサノオとする「祇園信仰」の神社です。

同じ祇園信仰の神社としては、八坂神社、祇園神社、天王神社須賀神社素盞嗚神社などがあるそうです。

 

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社名の「八雲」は日本神話でスサノオが詠んだ日本初の和歌、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」の八雲に因むもので、
総本社は京都の八坂神社です。

 

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ここ大町の八雲神社も平安末期、
あの八幡太郎の弟、新羅三郎義光(しんらさぶろう よしみつ)が京都祗園社の祭神を勧請したのが起源といわれています。

後三年の役で奥州で苦戦する兄義家に加勢するため新羅三郎が向かいます。

その奥州へ赴く途中の事で、当時の鎌倉は疫病が流行っていたそうです。

 

新羅三郎は弓馬の術にたけ、音律をよくしたと伝わります。

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ここは江戸時代までは「牛頭天王社」「祇園天王社」などと呼ばれていたそうですが、
明治の神仏分離により「八雲神社」と改称しています。

現在、厄除け開運のご利益ありとして「八雲さん」「お天王さん」と地元の人々に呼ばれて親しまれているそうです。

 

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▼現在の社殿は1930年に再建されたもの。

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再建は昭和初期ということになりますが、100年近い時間は見事な風格を作り上げている社殿です。

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「厄除け祈願」の神社です。感染症収束を祈ります。

 

▼社殿背後からは「祇園」のグリーンが覆いかぶさってきます。

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▼境内から神社入口方面のニノ鳥居一ノ鳥居の眺めです。

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背の高い木々に覆われ、参道から境内までは午後の深い木影ができています。

夏時季などはホッとさせられる境内でしょう。

 

▼社殿左手に境内社がまとめられています。

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「於岩稲荷社」は、あの有名な「お岩さん」を祀っています。

鎌倉で「お岩さん」に出会うとは意外です。

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▼おそらく近隣から集められた小さな祠なのでしょう。

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相当古いものか、陽の当たらない場所で風雨にさらされてのことか、かなり苔むしています。

 

▼社殿右手奥には「祇園」展望台へ続くハイキングコースが延びています。

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いきなり急登が続いていますが、10分ほどで展望台へ到着するそうです。

石段を見たら登りたくなりますが、今回はパス。

 

▼ハイキングコース石段脇には「三峰神社」と「御嶽神社」があります。

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▼境内に戻って「宝物庫」を覗いて見ます。

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「窓より拝観してください」の貼り紙。

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▼デコを窓ガラスにくっつけ覗くといくつかの神輿などが見えます。

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▼神木の根元に源義光の「手玉石」が2つ並びます。パワーをいただけるとか。

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神社でよく見る「力石」は、相撲取りなどの力持ちが現実にその力を競ったのでしょうが、これを「手玉」にするにはどんなん怪力でも無理です!

言い伝えが残るのですから、新羅三郎は「力持ち」だった事は事実かもしれません。

 

イチョウの木でしょうか? 見事な枝ぶりの御神木。

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鎌倉観光のメイン鶴岡八幡宮に比べべくもない事ですが、さすが鎌倉ですので路地裏のような地に鎮座するものの参拝者が絶えない良い神社でした。

 

▼足利 八雲神社について少々触れています。 

八雲神社のほぼお隣さん「ぼたもち寺」の記事です。

wave2017.hatenablog.com

馬橋稲荷神社の御朱印(東京・杉並区)〜「昇竜・降龍」がお出迎え、お見送りは「願掛け狐」

馬橋稲荷神社御朱印です。(東京都杉並区阿佐谷南2-4-4)f:id:wave0131:20210510164535j:plain

平成三十一年三月九日の日付です。

最初に「奉祝 天皇陛下御即位三十年」のスタンプが押されていますが、
約2ヶ月後に明仁天皇は退位し、天皇としては第126代 徳仁が即位され、
5月1日に令和元年となっています。

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馬橋稲荷神社はJR「高円寺駅」と「阿佐ヶ谷駅」の中間地点に鎮座です。

阿佐ケ谷駅」 が一番近く徒歩7、8分でしょう。

 

▼馬橋稲荷神社の「馬橋」は、住居表示が変わる前の旧地名です。

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東京には「」、馬を意味する「」の文字がつく地名が数多くあります。

消えてしまった地名、ここ「馬橋」もそうですが、現存する馬・駒の文字を使用する地名を他に上げると
東京だけでも駒形駒場駒込馬込練馬高田馬場馬喰町などと、キリがありません。

馬橋」は松戸市にある常磐線の駅名にもなっています。 

 

地名でほかの動物名、例えばなどの十二支が使われているのを見られますが、ほど多くは使われていないようです。

 

▼朱の一ノ鳥居前に「これでもか?」というような巨大な石の社号標が建っています。

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ヒバ材の木製鳥居は平成の建立。

住居表示が変わり「馬橋」の名称がなくなるのを惜しまれて神社名に起用されたそうです。

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地名は無くなっても建物や公園、店舗名などに残されているのは度々見かけます。

逆にある事件により印象が悪く町名を変えてしまう地域もあり、印象的なのは豊島区「椎名町」▼。

 

神橋二ノ鳥居三ノ鳥居と続く美しい参道ですが・・・

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二ノ鳥居は「龍の鳥居」と呼ばれ、昇り竜降り龍が巻き付いています。

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東京三鳥居」の一つだそうです。何でもランキングがあるものです。

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▼東京では「品川神社」が、同じように鳥居に龍が巻き付いています。 

 

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▼三ノ鳥居をくぐると「隋神門」です。

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▼その手前の手水舎

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▼龍の口から流れる水が大きな天然石に流れます。

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▼見事な隋神門も昭和の建立。

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祀られている神像は、右に豊磐間戸神(とよいわまとのかみ)、左は奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)だそうです。

 

▼隋神門の天井には「開運の鈴」がブラ下がります。

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当社の創建は詳らかではないのですが、鎌倉時代末期と伝わるそうです。
しかし、眼に映る建物はほとんどが昭和・平成の造営で、鳥居や灯籠隋神門などは、どれも朱色が賑やかに眩しく光っています。

 

▼最後の小さな鳥居は社殿を囲むように瑞垣と一体になっています。

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▼正面から見ると社殿と一体になったように錯覚させられる美しい鳥居です。

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▼社殿前の厳しいキツネは奉納された多くの授与品「願掛け狐」たちを従えています。

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▼小さな「願掛け狐」は、願い事を書いた紙を狐の中に入れれば、神様に届けてくれるそうです。キツネの郵便屋さんです。

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▼一段高くなった社殿から見た「厳島神社」。

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▼「斎霊殿」と「楽殿舞殿)」です。

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▼「東鳥居」前に出てみました。f:id:wave0131:20210510164657j:plain

古い社号標は単に「稲荷神社」で「馬橋」の文字が加えられる前の村の鎮守の頃の社号標でしょう。

 

▼トンネルの上は「馬橋の杜壱番館」という集合住宅になっています。

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東京の有名な稲荷神社は赤坂の「豊川稲荷」や「王子稲荷神社」でしょうか?

規模は少し小さくなるかもしれませんが、それらに負けないくらい美しく、歴史もある「馬橋稲荷神社」で、
参拝者が写るのを避けての撮影でしたが、大勢の参拝者で賑わっていた境内でした。

 

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スマートな「願掛け狐」たちに見送られて神社を出ます。

 

 ▼同地域の神社記事です。

wave2017.hatenablog.com

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