御朱印は2016年の日付ですが、令和に入ってもスタイルは変わっていないようです。
奉拝の下の印は祭神名で「結縁 天御鉾命(あめのみほこのみこと)天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)」。
伊勢の神服織機神社(かんはとりはたどのじんじゃ)から勧請されたの織師と織女の名だそうです。
織姫と織彦と理解して良いのでしょう。
多分・・・。
そして神紋と、中央の印は「於里比賢乃也志呂印」となっていますが、意味はわかりません。
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▼足利といえば「足利氏発祥の地」であり「足利学校」や「渡良瀬橋」が知られています。
今や森高の歌詞に使われている八雲神社とともに、
男女二人の神様を祭神とする縁結びの神社として織姫神社も有名かもしれません。
森高の歌は1993年のヒット曲ですが、息長く愛されてる曲かもしれません。
28年前の曲で、もう遠い昔のことととなりますが、
森高が「あしかが輝き大使」という観光大使に任命されたのは、
2015年でまだ6年前のことです。
「あしかが輝き大使」というのは何名かが任命されていますが、
森高の場合は任命されるまでもなく、その歌で十分観光大使の役目を果たしていると言えるようです。
足利市の渡良瀬橋の近くには歌碑と曲が流れるデバイスがあるそうですが、
歌詞中の「八雲神社」と同名の神社が市内に5社あるそうです。
そのうち足利市緑町に鎮座する「八雲神社」が歌詞の対象となっています。
2012年に火災で焼失している神社で、その後の再建支援金などでニュースにもなり、
さらに有名になったようです。
1705年創建と伝わる足利神社も当初は、織師と織女を「八雲神社」へ合祀されたのが始まりです。
しかしこの「八雲神社」は、由緒によると現在の足利市通4丁目だそうですので、
歌詞の神社とは異なります。
もっとも google map では単に「八雲神社」ではなく、
「足利 八雲神社」で検索すると一発で歌詞内の「総社 八雲神社」にヒットします。
それにしても足利市に「八雲神社」が5つも、6つもあるのは煩雑な事です。
▼この一ノ鳥居から登る石段の数は229で、ここから登って参拝すれば、縁結びの願いも一入(ひとしお)だそうです。
▼男女間だけではない縁結びですが、今さらでもないので車で神社裏側から進んで駐車場へ行き着き、ここから参拝です。
足利は1000年以上の歴史を持つ織物産業の街です。
そんな街に産業の守護神が祀られるのはごく自然で、神社の創建はむしろ遅かったようにも感じられます。
昭和の戦後1950年頃までは繊維業界は「ガチャマン景気」とか「糸へん景気」と呼ばれ、
「織機がガチャンと織れば万の金が儲かる」と言われ、
足利も絹織物の「足利銘仙」が全国的にも有名だったそうです。
しかし最盛期から半世紀あまり、現在では足利の織物産業も存亡の危機にあるとか。
繊維業会ではよく聞く話です。
世界水準の織物を手掛ける職人さんがまだ残るここ足利では、
織物産業の生き残りをかけて若い人たちが新たな取り組みに奮闘しているそうです。
▼平等院鳳凰堂を模した社殿は1937年に完成。
足利の街の織物産業の守護神としての大きな役目は終え、
様々な「縁」を取り持つ役目に重きをおく神社となっているのでしょう。
最後に、
▼2016年の「八雲神社」は、社殿がまだ仮殿で授与所もありませんでした。
現在は伊勢の「天照大神弟神の月讀尊荒御魂宮」から譲り受けた社殿が建ち、
御朱印もいただけるそうです。