直書きいただいたのですが、
「さて、丁寧に押さなければ・・・」
というような雰囲気で、宮司さんと奥様らしきお二人で朱印帳に向き合っていただきました。
朱印もスタンプもカスレのない、綺麗に仕上がった御朱印をいただきました。
5種類の御朱印サンプルが案内されていました。
いただいた⑤は「5月15日〜」とされていますので月替りか季節替わりの御朱印のようです。
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▼氷川神社へは地下鉄「白金高輪駅」から300mもありません。
死語になったのか最近聞かなくなった造語「シロガネーゼ」は濁音になっていますが、
「白金」は濁らず「しろかね」です。
万葉集に歌われる「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」も、
「銀」は同じ「しろかね」の読みですが、
「銀(シルバー)」と「白金(プラチナ)」で違う金属ですね。
「白金村」の地名は、この地を開いた柳下上総介という役人が、大量の銀(シロカネ)を持っていたことから、「白金長者」と呼ばれ、それが地名になったと言われています。
ここでは「銀」も「白金」も同じ扱いにされています。
▼さて現在の「白金村」です。前方は「白金高輪駅」方面に坂が下っています。
江戸時代では江戸の町と郊外の境界線にあり、現在も寺社が多く、当時は旗本や大名の下屋敷があった地域です。
神社前の「北里通り」は、高級住宅街イメージでも何でもない姿を見せています。
▼通りに面して神社入口があり、車なら鳥居横にある坂を上れば境内に駐車できます。
現在の港区内には赤坂氷川神社や愛宕神社など、大小多くの神社がありますが、
ここ白金氷川神社は「白鳳時代」の創建と伝わり、港区最古の神社だそうです。
1300年前の「白金」の地域がどんな様子だったか見当もつきません。
神社の由緒によると、
「日本武尊御東征の時、素蓋鳴尊を勧請し、大宮に対する遙拝所として当所に御鎮座」とあります。
ちなみに都内では大國魂神社や根津神社、榊神社、五條天神社などが、創建以来1900年超と言われています。
▼石段は撮影時のカメラ位置によって勾配角度が異なって写ります。
▼石段を上がったところにも細身でも筋骨たくましい異形の狛犬です。
石段下の新しそうな狛犬は優等生顔でしたが、こちらはワンパク小僧型で親しみを感じぜずにはいられません。
▼石段を上がった境内の様子です。
ここで標高16mくらい。江戸時代までは近かった東京湾がよく見えた事でしょう。
現在は高層マンション群が壁を作っています。
▼手水舎は銅板葺の屋根が経年変化で味のある緑青色になっています。
▼石段先の正面に唐破風造りの向拝が美しい社殿です。
拝殿の屋根も緑青色が美しさを際立たせています。
何度も火災と再建を繰り返してきた社殿は昭和の建立。
祭神の「素盞嗚尊・日本武尊・櫛稲田姫尊」のお住いは、
明るいショーウインドゥのような仕切りの奥にあり、居心地の良さそうな空間になっています。
▼賽銭箱の紋は調べたら「丸に三つ柏」。無数にある紋の名称は難しく覚えられるものではありません。
「ハットリハウス」や「聖心女子」などがあり、都心部にありながら比較的緑の多いこの地域ですが、
白金の高台にこれほどの森を持つ神社があるとは、これまで知りませんでした。
情けないことに神社があることさえ知らなかったので、当然初訪問です。
▼社殿右手に森深い小山に導く小道ができています。
まさに「森の小道」状態です。
▼小山の頂上は、衣食住の神様「稲荷社」でした。「アゲ」が沢山です。
▼大小の神狐たちがタムロしていました。
▼社殿左側奥には「建武神社」が鎮座します。
▼素晴らしい景観です。
緑と朱、究極の補色関係が美しさを際立たせているのでしょう。
一対の社殿に「後醍醐天皇」「護良親王」「楠木正成」など、
吉野朝の天皇・諸臣が203柱祀られているそうです。
神社名の「建武」が納得できる祭神です。
▼建武神社の参道で神猫が食事中でした。メニューはわかりません。
▼振り向いて舌をペロッ! 眼つきからして何かイケナイ物を食べていたのかもしれません。
いただいた御朱印にもスタンプされているネコたちは、神社の住民でもあるようです。
猫たちのシロガネーゼです。
神社を住まいにできるネコたちは、何とシアワセな事でしょう。
祭神や神使い、宮司さんなどが住む以外はあり得なかったことですが、最近は狛犬の数より勝る数のネコたちがいる神社が増えました。
狛犬たちもオチオチしていられない時代になっています。