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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

向島 秋葉神社の御朱印(東京・墨田区)〜黄に 朱に 染まる境内は古の紅葉名所

向島 秋葉神社御朱印です。(東京都墨田区向島四丁目)f:id:wave0131:20201008175107j:plain

中央の朱印は「千栄秋葉大権現 千代世稲荷大明神」。

当初は稲荷社として1289年に創建され、

江戸時代に入ってから秋葉権現を合祀したそうで、

火産霊命」「宇迦御魂命」の二つの祭神が祀られています。

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東武線の「曳舟駅」が最寄となりますが、御朱印収集者には「高木神社」や「飛木稲荷神社」近くといったほうが分かりやすいかも。

 

▼「井上安治」という明治期の版画家が彫った浮世絵「向嶌秋葉境内」です。f:id:wave0131:20201008174832j:plain

                             TOKYO DIGITAL MUSEUM

版画は向島秋葉神社の明治前半の様子です。

当時の社域はとんでもなく広く、広大な池を中心とした林泉の景色に恵まれ、また紅葉の名所として大勢の人々が行楽に出かけたそうですが、

現在は紅葉は残るものの、その規模も違えば池、泉は見当たらず、昔の面影はことごとく消えています。

 

▼それでも狭い境内に何本か立つ銀杏や紅葉は見事です。

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近所に鎮座する「高木神社」や「飛木稲荷神社」も同様ですが、

幹線道路から奥まり、密集する住宅街の路地裏と言ってもいいくらいの区域に神社はあります。

こんなところに?」と言った感じです。まさに「林泉」と言っていいかもしれません。

 

▼手前の狛犬の損傷は風化によるものではなく、震災や空襲により欠けてしまったそうです。

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▼所狭しと狛犬や手水舎、石灯籠が立ち並んでいます。

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▼透かし彫りの彫刻も施された良い形の手水舎ですが、後ろの自転車がジャマです。

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▼拝殿の前には新し目の狛犬も並びます。

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▼拝殿の朱色と屋根の緑、銀杏の黄と、色の競演が素晴らしい社殿前です。

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▼大震災や戦火により度々失われた社殿の現在は1966年の再建だそうです。

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▼「羽団扇紋」が銀杏の黄葉の輝きに負けずにゴールドに輝いています。

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▼「秋葉神社」と改称されたのは明治になってからだそうです。

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▼本殿の右隣の小さな神明造りは旧本殿とのこと。フェンスで閉ざされていました。

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▼それにしても下町の住宅街の中から仰ぎ見る空の青さと黄葉は、思いもかけないものを見つけたような感動です。f:id:wave0131:20201008151408j:plain

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時を経て黒ずむ数基の石灯籠は、どれも江戸時代に奉納されたもので、損傷した狛犬同様、震災や戦火をくぐり抜けて来た様子が見て取れます。

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▼柱のように高くそびえる石の常夜灯はギプスで支えられています。f:id:wave0131:20201008151433j:plain

社務所前に石灯籠のガイド板とともに「名所江戸百景」が掲げられていました。

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▼広重が描いた名所江戸百景「請地 秋葉の紅葉」です。

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描かれている池は神社の北、現在の国道6号線水戸街道」を超えた場所にあったそうです。

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現在の向島は多くの人に見向きされない街かもしれませんが、

江戸時代から戦後までは名勝、景勝地であり、文人墨客も好んで訪れる地でした。

秋葉神社門前にも川魚を提供する料理屋の「武蔵家」「大七」などが軒を連ねていた様子は江戸切絵図でも確認できます。

そして、その延長線にかつては隆盛を極めた向島花街が広がっていたのでしょう。

向島花街は現在でも精力的に活動しているそうです。

 

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激しく変化する東京の中で、向島の街は忘れられたような存在ですが、

現在でも新梅屋敷の「向島百花園」があり、

永井荷風の「濹東綺譚」は青空文庫で無料で読め、

吉行淳之介は「鳩の街」を「原色の街」として書き、文庫で読めるなど、

まだまだ生き生きとしています。

 

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景勝地、行楽地、花街、赤線、青線と様々な顔をもっていた広域の意味の「向島」は、

今は荒い息遣いを抑え、

近くに見える新参者のスカイツリーを脇役のごとく従えています。

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とは言え、スカイツリーに登る人は向島を知らず、訪れもしません。

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諸行無常、主役と脇役の逆転も珍しいことではありません。

 

ぜひ、黄葉が眩しい11月下旬から12月初旬の参拝をおすすめします。

 

虎ノ門 金刀比羅宮の御朱印(東京・港区)〜コロナ禍で失われた時を取り戻せ!Go! Go!

虎ノ門 金刀比羅宮御朱印です。(東京都港区虎ノ門一丁目)

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2012年〜2019年ですべての朱印が変更されています。

19年の御朱印は、12年の墨書きから省略されている文字もあります。

 

虎ノ門 金刀比羅宮御朱印。(2019年)f:id:wave0131:20201007175337j:plain

虎ノ門 金刀比羅宮御朱印。(2012年)f:id:wave0131:20201007175332j:plain

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▼神社は官公庁街の霞ヶ関に隣接する「虎ノ門駅」の前に鎮座します。

▼2020年6月に隣駅になる「虎ノ門ヒルズ」が開業しています。        (写真:wikipedia)f:id:wave0131:20201007193132j:plain東京とは思えない近未来的な地下鉄駅入口ですが、虎ノ門は「森タワー」の完成など、再開発により東京でも一番変化しつつある街の一つでしょう。

 

▼その街の160年前です。広重の「虎の門外 あふひ坂」です。    (名所江戸百景)

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あふひ坂」は葵坂と言われ、外堀、溜池の埋め立てと同時に無くなっています。

図絵では同じく埋められて姿形のない「外堀」、右奥上は「日枝神社」、手前のフンドシ姿の男は「金毘羅大権現」の提灯を持ち、寒行裸参りの職人だそうです。

2人は金刀比羅宮に向かうところでしょうか?

 

▼160年後の虎ノ門金刀比羅宮です。以下3枚の写真は2012年撮影。

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▼2019年の虎ノ門金刀比羅宮です。

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▼タワービルの下に鳥居が建つのは東京ならではというか、日本的な景色でしょう。

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森、石、土、砂利などの神社イメージとは違い、

▼金属的な輝きの中の近未来的とも思える神社の姿をご覧ください。

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御朱印は右手の授与所でいただけます。f:id:wave0131:20201007175530j:plain

▼ビジネス街でもある虎ノ門の神社は平日はサラリーマンが憩い、週末はカップルなど様々な人たちがベンチに憩っています。

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▼神社の歴史を強く感じさせるのは、コンクリートの境内真中に建つこの銅製の鳥居

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▼黒ずんでいる彫刻は四神の霊獣。この鳥居の見物に江戸の人々は列をなしたそうです。

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▼戦後の昭和に再建された拝殿の設計者は、築地本願寺の設計をした「伊東忠太」だそうです。f:id:wave0131:20201007175521j:plain

▼小さくもない立派な拝殿ですが、周囲の巨大な高層ビルの足元では竦んでるように見えます。しかし、ビルトインされず独立していて堂々としています。

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讃岐の本社から勧請されているので、祭神は大物主神崇徳天皇です。

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▼拝殿左に連結されている参集殿です。f:id:wave0131:20201007175435j:plain

▼南側にある入口の近くには緑の中に境内社が並び、近未来的な風景ではない風情を持つエリアがあります。f:id:wave0131:20201007180237j:plain

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こちらにも手を合わせて、じっと祈る人の姿が多く見られました。

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境内社だけ高く、高く、赤い幟が立ちます。

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天皇御即位から1年半の2020年10月の現在、その間に地球を襲った禍の目まぐるしさは、人々からあの時の慶賀を忘れさせてしまったかのようです。

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慌ただしく入った新しい時代は「令和」という言葉さえ実感しないうちに、

悪役の主人公となった禍に多くの時間を奪われ、生活も支線に走らされています。

二度と戻らない失われた時間ですが、倍返しにできる未来本線があることを願って、

虎ノ門金刀比羅宮に参拝しましょう。

 

「Go to ナンチャラ」も利用してGo! Go!

 

誕生寺の御首題 & 御朱印(千葉・鴨川市)〜襲う津波 蘇る「寺」 蘇る「生命」

小湊山 誕生寺の御首題と御朱印

たんじょうじ日蓮宗大本山(千葉県鴨川市小湊183)

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▼小湊山 誕生寺御朱印(2020年)。f:id:wave0131:20200918153447j:plain

墨書きの「蘇生延寿」は、日蓮が母の安否を気遣って小湊を訪れたところ、

時すでに遅く、息絶えた母のために祈ったところ、

法華経の功徳により蘇生し、その後4ヶ月間の寿命を得たことに因みます。

蘇った生命です。

また日蓮は「蘇生満願の祖師」とも呼ばれます。

中央の朱印は山号の「小湊山」だそうです。

子供イラストスタンプの「善日麿」は日蓮の幼名です。

 
▼小湊山 誕生寺の御首題(2020年)。

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朱印は右上から

日蓮大聖人御降誕八〇〇年慶讃

日蓮大聖人御生誕之霊場

日蓮聖人 小湊誕生寺 降誕霊跡

安房國小湊山誕生寺」と続きますが、

題目のトップに押されている丸い朱印は、寺の公式サイトにも使われていますが、何を意味するのか分かりません。

寺紋でしょうか?

 

▼小湊山 誕生寺の御首題(2012年)。f:id:wave0131:20200918153457j:plain

どの寺社でいただく御朱印も御首題も、過去のものと比較するとスタンプや添え書きがプラスされてことが度々あります。

今回いただいた誕生寺の御首題は朱印が全て新しくなってクッキリな御首題でした。

2012年にいただいた達筆の御首題と、掠れた朱印に感動したことを覚えています。

 

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誕生寺の所在地は鴨川市ですが「安房鴨川駅」とは相当かけ離れています。

東京方面からですとJR外房線鴨川駅」の2つ手前「安房小湊」が最寄駅で、徒歩ですと15〜20分ですが寺までの海沿いの道は、おそらく退屈しないでしょう。

 

▼小湊ではありませんが、同じ外房の2020年の海は静かです。

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▼ビーチもいくらか寂し気です。

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▼夏も去って、思い出だけを探している秋のような海です。

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今じゃ外房の海は大きな人気はないとしても、これほどの夏は誰しも経験したことがないでしょう。

 

誕生寺門前の「鯛の浦」遊覧船乗り場も閑散としています。

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日蓮は1222年、この地の漁村に生まれています。

具体的な誕生場所は沖合い海中にあるとも伝わります。

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日蓮の誕生と同時に、家の庭先から清水が湧き出し、

近くの砂浜一帯には季節外れの蓮華の花が咲き、さらに

海面近くには、マダイが群れをなして現れたというエピソードが伝わっています。

 

以後、鎌倉時代から当地の人は「鯛を日蓮聖人の化身」として守ってきたそうです。

現在も恐れ多い鯛を食べない人がいるそうです。

 

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深海魚の鯛ですが、不思議なことに鯛の浦では「まるで餌付けされた生け簀の鯛」のように、

海面にその群れを見ることができるのが「鯛の浦の遊覧船」です。

 

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過去に一度だけその遊覧船に乗っていますが、

その時は前夜の宴会の酔いが覚めやらず、何も覚えていません。

今回訪問も観光目的ではないので遊覧船に再び乗船するのは次の機会にしましょう。

 

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▼車は門前の有料駐車場を避け、こんなふうに船が陸揚げされている場所に止めました。漁港です。

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手前に「警告! 漁協関係者以外進入禁止」の看板がありましたが、

鴨川市当局の権限での警告なら有効ですが、漁協関係者が漁港から一般人を強制的に閉め出しできる法的根拠は見つかりません。

私有地以外、看板自体が違法と思います。

進入禁止」ならロープなどで規制すれば良いのですが、ありません。

ですから県外ナンバーの車も数台見かけられました。問題ないと思います。

 

▼車を駐めた漁港から寺方面を目指すと、木陰に仁王門が見えます。

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▼正面の総門から参拝スタートです。

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1222年生まれの日蓮は2022年で八百歳です。

 

▼総門前の道路沿いにはホテル、旅館が立ち並び、車の流れとともにガヤガヤと少し落ち着きがありません。

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▼以下2枚は2012年の撮影です。

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▼そして2020年。大きな変化はありません。

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仁王門に掲げられた「日蓮降誕800年・・」の横断幕も変わっていません。

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1276年に日蓮の弟子により、生家跡に建立された誕生寺ですが、

度重なる大地震津波により失われ、現在地に移転され蘇ったそうです。

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しかしその後の江戸時代の1758年にも火災で伽藍をすべて焼失、残されたのは仁王門だけだったそうです。

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したがって、誕生寺の主な伽藍はその後の建立で、昭和から平成にかけて復興再建されたものも少なくないようです。

何度でも蘇った寺なのです。

 

▼小高い位置に建つのは「誕生堂」。

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誕生堂のさらに上にもお堂の屋根が見えます。後ほど行ってみます。

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御朱印のスタンプにあった幼年の日蓮善日麿」像。

f:id:wave0131:20200918153831j:plain日蓮の幼名は「薬王麿」とも呼ばれていました。

 

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▼「鯛塚」です。

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日蓮誕生時に金色に輝く大きな鯛が飛び跳ねた「鯛の浦」は元々は「妙の浦」と呼ばれていました。妙なる海です。

当地ではこうして塚を築き、毎月6日に手厚く供養されているそうです。

 

浄行菩薩が祀られています。

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▼誕生寺メインの「祖師堂」。

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蘇生満願の祖師」が祀られています。

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祀られている尊像は「生身の祖師」として1363年に造立されたものだそうです。

生身」というのは日蓮の裸像だそうです。

その生身の像に現実の僧衣を身につけているそうです。

いずれにしても地震津波などの天災に遭遇しながらも守り継がれてきた像です。

 

特に津波は1498年、1703年と何度も襲われ、土地は陥没し伽藍も失われています。
当然多くの人命も失われています。

寺はその都度移転を余儀なくされ、現在地に蘇っています。

 

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見事な彫刻が施されています。

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▼堂内の「願満の鯛」のハリボテ。

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縁起物として張り子細工の土産物にもなっています。やはり鯛と縁の深い誕生寺です。

 

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▼祖師堂の先に「宝物館」と「本堂」が続きます。

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他の宗派ですと「本堂」が中心になる境内ですが、

日蓮宗の大きな寺では「祖師堂」がメインのお堂とされるようです。

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▼正面からは見えなかった「宝塔」が祖師堂の裏に建ちます。

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▼道標は「従是七面堂太田稲荷道」。

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誕生堂から見えたさらに高みにある「太田堂」への参道を進みます。

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▼「太田堂」は、あの太田道灌の太田家が守護神とする稲荷大明神を祀っています。

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▼狐たちは前掛けではなく、ハチマキにタスキ掛けしていました。

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▼上からは誕生堂の屋根が見えます。

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誕生寺の境内は広大です。

このほか「誕生水の井戸」「龍王堂」や、また寺に隣接してかつては番神堂だった「小湊神社」などを見逃してしまってます。

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それらはまた機会をみての訪問でチェックすることにしましょう。

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フシギが詰まった鯛の浦を眺めながら帰ります!

 

▼同じ鴨川市日蓮宗霊跡寺院清澄寺」の記事。

wave2017.hatenablog.com

 

前玉神社の御朱印(埼玉・行田市)〜「埼玉県名」発祥の古墳群内に建つ

前玉神社御朱印です。(埼玉県行田市大字埼玉)f:id:wave0131:20201005192427j:plain


前玉神社御朱印(2020年)。f:id:wave0131:20201005120324j:plain

▼前玉神社摂社 浅間神社御朱印(2020年)。f:id:wave0131:20201005120319j:plain

猫のスタンプが押されていますが、神社と直接関連があるわけでなく、

神社で飼われているユニークな名前がつけられた数匹の猫がモチーフになっているようです。

猫好きの参拝者が多いかもしれませんが、

感染症のせいか訪問時に猫の姿は見えませんでした。

この神社では、ここ数年のうちに限定御朱印も多く授与されるなったようです。

 

▼またこんなメッセージも、御朱印と一緒に渡されました。

f:id:wave0131:20201012144156j:plain何でもない一言かもしれませんが、手書きをコピーする手間などを考えれば、

神社の姿勢の一部分が見えるメーージです。

 

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前玉神社さきたまじんじゃ)は「埼玉古墳群さきたまこふんぐん)」内に鎮座すると言っても良いでしょう。

しかし駅は近くになく、JR「行田駅」や「吹上駅」からのバス利用になります。

 

 

▼「埼玉古墳群」は過去に一度だけ歩いていますが、写真がありません。

wikiからお借りしました。

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                     (wikipedia埼玉古墳群)(wikipedia稲荷山古墳)f:id:wave0131:20201005193053j:plain

9基の大型古墳は国の特別史跡世界遺産登録を目指しているそうです。

日本でも地球規模でも、世界遺産の登録は増えるばかりです。

登録されることになれば、この前玉神社の様相も様々な点で一変するかもしれません。

 

▼「古墳通り」と名付けられている神社の前の通りから直接駐車場へ入れます。

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古社は大概、創建が不明です。

前玉神社の創祀も古墳時代と推測されていますが、古過ぎて不詳でしょう。

 

▼社号標には「延喜式」と彫られています。

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縄文から弥生時代、そして古墳時代は1500年も昔のことです。

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ここ前玉神社に限らず、よく考えてみると、

その頃から祭祀の形が窺え、そして神社としての姿を造りながら現在まで続いている時間の流れの連続に不思議な感慨をいつも覚えます。

 

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そこまで古くなくとも、狛犬たちは少なくとも現在の参拝者より長い時間を神社とともに過ごしてきたのでしょう。

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▼古墳通りに面する参道を進み振り返りました。古木の雰囲気が良い参道です。

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▼二の鳥居の先の森が古墳群の「浅間塚古墳」で、社は古墳の上に鎮座していることになります。古墳ですが高さはあまり感じられません。f:id:wave0131:20201005120410j:plain

▼二の鳥居の右手先は、大勢の参拝者が群がる授与所になっています。f:id:wave0131:20201005120333j:plain

▼神社を巡るようになって初めて「」を「さき」と読むことを知りました。

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手水舎は残念なことに規制ロープが張られています。慣れましたが・・・。

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▼それでも水盤の中は、綺麗な花で満たされていました。神社の女性たちの手によるものでしょう。

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参拝者をどのように迎えようかという、気持ちが現れているように感じます。

▼手水舎の彫刻も手の込んだ見事なものです。

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どの神社内にも建つ小さな建物である手水舎に、どれだけの匠と時間が使われているかで、神社の生い立ちや性格の一部分が見えることもあります。

 

▼古墳内に足を踏み入れ登ります。

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▼石段を上がるとすぐ右手に現れるのは、御朱印をいただいた「浅間神社」。

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木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)が祀られています。

富士塚はありませんが、もともとは前玉神社の鎮座する古墳を富士山に見立てていたそうです。

当時は古墳上を「上ノ宮」、中腹にあるこの神社を「下ノ宮」と呼び、

明治になってからそれぞれ「前玉神社」「浅間神社」になったと伝わります。

 

▼黒ずんだ提灯は傷みが進んでいるのでしょうか?

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▼天神社など小さな社の境内社がいくつか並びます。

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▼古墳上の前玉神社に続く石段。f:id:wave0131:20201005120452j:plain

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▼祭神は前玉彦命(さきたまひこのみこと)、前玉比売命(さきたまひめのみこと)。

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▼どうしたんでしょう? こちらの提灯も相当汚れています。f:id:wave0131:20201005120514j:plain

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参拝を終え、再び石段下に戻りますよう

龍泉池と名付けられた区域はフェンスがあり入れません。f:id:wave0131:20201005120535j:plain

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池の中島はいくらか荒れ気味。

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白、ピンク、紫の数多い幟が賑やかな演出をしている神社でしたが、

この幟がないととても寂しく感じる境内でしょう。

それでも古墳に建つ古社の雰囲気はとてもよく、

人間の手による賑々しい新たな余計な造り物はまったく不要なのでしょう。

 

同じ市内に鎮座する「行田八幡宮」も歴史ある神社ですが、

一つは市外に鎮座し、もう一つは古墳群に鎮座するという、

2つの神社は全く雰囲気の異なるものでした。

埴生神社の御朱印(千葉・成田市)〜土器造りたちが祈った神

埴生神社御朱印。(千葉県成田市郷部)

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埴生神社御朱印(2020年)。
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埴生神社御朱印(2016年)。f:id:wave0131:20200909124814j:plain

▼通常御朱印も月毎に異なるスタンプが押されるようです。

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1日・15日の限定のほか、神社のFBによると、正月にも干支のイラストを組み合わせた御朱印がいただけそうです。

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埴生神社へは「成田」が最寄駅となりますが「成田山 新勝寺」参拝の前後で訪問する方がほとんどでしょう。

 

▼正面に神社が見えるカーブした道路は、正月には成田山へ向かう車で大渋滞となります。そんな時でもこの神社は、成田山と比較すれば空いているという状態です。

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イングランド民謡の「マイ スイート ホーム」は「埴生の宿」として日本でも誰もが知っていて、親しまれている曲です。

ですので、この神社の読みも当初は「はにゅうじんじゃ」かと思っていたら、

はぶじんじゃ」でした。

」という字は、人名、地名の固有名詞以外に普段はあまり使用されない文字です。

 

ほかには「埴輪」くらいしか思い当たりませんが、

どうやらその「埴輪」と全く無関係でもない「埴生神社」のようです。

 

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神社のHPからの引用です。

創建の年代は不詳ですが、以前この地方は埴生郡(はぶごおり)と言われており、今から約1500年前にこの地方に集落を構え、土師器(はじき)を作って生活を営んでいた土師部(はじべ)一族が自分達の祖神、氏神と「埴山姫之命」を祀り古代祭祀を執り行ったのがはじまりとされています。神社の建っている場所も成田の町の中では自然的に一番高い所に位置し、古墳の跡に社殿が建立されております。

 

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引用の中では「土師器(はじき)」とか土師部(はじべ)という聞きなれぬ言葉が出てきますが、

簡単に言えば、土器と土器を作る人たちのことでしょう。

 

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そんな土器を作り生計をたてる人たちが集落を形成し、

彼らの祖神であり、土の神である「埴山姫命(はにやまひめのみこと)」を祀ったというのは、無理がなく理解しやすい話です。

 

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神社の鎮座する当地は古には「埴生郡」と呼ばれていたそうで、

近隣には「玉作郷」「羽取郷」「麻生郷」という名称を持つ地もあったそうです。

それぞれ「」に関わるもの、「」「織物」「」などに関わる人々それぞれが生計を立て、集落を形成していたのでしょう。

 

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▼成田総鎮守の扁額は「三宮正一位埴生神社」となっています。

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当然、一宮、二宮があったのでしょうが、全国にある旧国の「一宮」とは順番の意味が違うようです。

利根川を利用した物資の流通経路としての順で、一宮、二宮、三宮と名付けられたそうです。

 

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神社の生い立ちは易しいのか、難しいのか分からなくなってきますが、

平安時代初期に「土」を生業とする人々が「土」を敬って神にひれ伏したのが始まりの神社、と簡単に解釈しても間違いないでしょう。

 

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▼「埴輪」作りの子孫たちが祀った「埴山姫命」は、この社におわします。

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▼境内から鳥居を振り返りました。

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▼もちろん、塵一つない綺麗な境内は見事に掃き清められ、砂利の流れに足を踏み入れることは憚られます。

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▼社殿裏側区域に足を踏み入れてみます。古墳跡らしく、さらに少し高くなっています。

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▼神社に地蔵があっても、近頃は違和感を覚えません。

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▼神が「おわします」感を一番感じた社でした。

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▼本殿の後ろ姿も美しく、思わず「バックシャン」という死語が思い起こされました。

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▼社殿裏をグルッと回って戻り、社殿横の境内社に挨拶して帰ります。

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近くの成田山新勝寺は、誰もがその名を知る有名寺院ですが、

もしかしたら埴生神社は新勝寺より古い歴史を持つ神社かもしれません。

 

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