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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

井草八幡宮の御朱印(東京・杉並区)〜武蔵野の深〜〜〜い、深い森を探索

井草八幡宮御朱印です。(東京都杉並区善福寺一丁目)

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▼2020年の井草八幡宮御朱印
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▼2013年の井草八幡宮御朱印f:id:wave0131:20200924180541j:plain

2020年の御朱印を2013年と比べると「奉拝」筆書きが「杉並区遅野井鎮座」に変わっていました。

 

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八幡宮JR中央線西武新宿線にサンドされた位置に鎮座します。

最寄駅は西武線の「上石神井駅」が一番近いようです。

 

神社が鎮座する地は古くは多摩郡遅野井村」と呼ばれていたそうです。

井草八幡宮も「遅野井八幡宮」と呼ばれていた時期があったそうです。

 

それにしてもこの周辺地域は遅野石神の頭と並び

」だらけです。

と言うことは、とにかく湧き水が豊富だったのでしょう。

それらは石神井池善福寺池井の頭池を形成しています。

かつては典型的な「武蔵野」の雑木林が広がっていたこの地域に懇々と湧き水があふれていた証かもしれません。

 

車ですと青梅街道を新宿方面から走ってくると、いやが上にも朱塗りの大鳥居に目を惹かれます。

▼しかし神社の駐車場は少し先の交差点「井草八幡前」にあります。

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駐車場から進む参道入口の鳥居も大きいのですが、さらに朱色の灯篭は威圧的なまでに巨大です。

東京では珍しいくらいの大きさで、少なくとも23区内では覚えがありません。

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▼武蔵野の森の長い参道を進むと重層の楼門が朱色に輝いています。

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▼コロナ禍でも手水舎の「」は渾々と流れ落ち、枯れていません。

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▼手水舎の脇に境内社の「祓戸神社」と「三宮神社」が並びます。

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▼砂利敷きの広々とした境内を進むと「神門」と回廊が神域を囲んでいます。

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▼神門手前の狛犬は少し情けない表情で、親近感がモリモリ湧きます。

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ズングリムックリの体型は人間も同様で何故か憎めません。

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▼余計な装飾や案内のない、キリッとした表情の拝殿です。

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尊厳と潔さ感が伝わってきます。

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神社の創建は不詳のようですが、この地は縄文期から人の生活が営まれていて、

境内からは当時の住居跡や土器などが見つかっているそうです。

神社としての形が整ったのは平安時代末期。

八幡宮ですので、

祭神は八幡大神(やはたのおおかみ)=八幡神八幡大菩薩誉田別命応神天皇

と別名や、同一視される名、神仏習合時の名ありで祭神名はホントややこしい!

 

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井草」と言う地名は全国的に眺め回してもここだけの名称でしょう。

地名の由来は諸説あって確かなものはなさそうですが、

池の草と呼ばれた葦がたくさん生え茂っていたので、

池の草葦草井草となったという説もあります。

 

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社務所後方にある「稲荷社」と「三嶺神社」。

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社域は1万坪もあるそうですが、境内も広々としている割合には

境内社の少ない神社です。

写真はありませんが「祖霊社」を含めたら境内社は5社だけでした。

あるいは見逃しているかもしれません。

 

▼「神水」は蛇口になっていますが、休眠中なのか出ませんでした。

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▼大きな木の一部は高さ40mもあったという、源頼朝が植えたと伝わる松の幹でした。

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現在は二代目が境内にそびえています。

 

▼神門回廊左手に社務所があります。御朱印はこちらでいただけます。

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▼宝物庫のような建物は「文華殿」。

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▼こちらから境内を出て、神社の外周を進んで東にある参道方面に向かってみます。

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▼高い木々に囲まれ、流鏑馬も行われる参道は広々としています。まさに武蔵野の森です。f:id:wave0131:20200924180726j:plain

▼文政年間(1818-1831)に富士講の人々により建立された石灯籠

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▼東参道の大鳥居。

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グルッと回って北口参道の方へ戻ると、

▼駐車場の奥に「浅間神社」がありました。

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井草八幡宮の境外社扱いのようです。

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▼小さな社の後方にあるのは富士塚でしょう。雑草に覆われ形がわからなくなっています。f:id:wave0131:20200924180759j:plain

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▼神社とは関係がなさそうですが、駐車場から神社脇を進むと小さな祠があります。

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案内板に「椿の庚申様」と記されていました。

▼300年以上前に建立された「青面金剛立像」と言うそうです。

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古くは多くの地元民に信仰され、椿の大樹に覆われていたことから「椿の庚申様」と呼び親しまれていたそうです。

かつては青梅街道沿いに建っていたものが何度も所を移されて現在の地に建つそうです。

風化で刻まれた文字も判読できませんが、

花が添えられているので大事にされているというか、

300年もの間、信仰が引き継がれていると言うことでしょう。

一口に300年と言いますが、日本の人工物で300年もの間保たれているのは寺社の建物、それに関わる仏像など以外にそんなには多くありません。

この庚申塚も引き継いでいくべき文化の形の一つかもしれません。

 

白鬚神社の御朱印(東京・墨田区)〜旧「寺島村」の鎮守、「向島」白鬚

白鬚神社御朱印です。(東京都墨田区東向島三丁目)

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白鬚神社御朱印(2020年)。
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白鬚神社御朱印(2013年)。f:id:wave0131:20200916150853j:plain

隅田川七福神 白鬚神社「寿老神」御朱印

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毎年正月の7日まで開催される隅田川七福神めぐりで、一般的には「寿老」と表されますが白鬚神社では「寿老」と書かれます。

神社祭神の「白鬚大明神」を「ヒゲ」を生やす「寿老人」に見立てているからだそうです。

 

▼最近はどこの神社も御朱印の案内が分かりやすく大きく掲げられています。

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白鬚神社東武伊勢崎線東向島駅」が最寄駅になります。

 

白鬚神社の総本社は滋賀県に鎮座し、琵琶湖畔に鳥居が建つことから「近江厳島」とも呼ばれているそうです。           (wikipedia 白鬚神社)

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951年、元三大師が滋賀の総本社の白鬚大明神を勧請して分霊を祀ったのが「向島白鬚神社」の始まりです。

 

▼東京墨田区の白鬚神社は江戸名所図会でも紹介されています。

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隅田川東岸 白鬚明神社」と記されています。    (国立国会図書館デジタルコレクション)

道路から境内に下る階段が見え、そしてまた拝殿前までに少し登る階段を男が上がってきています。

この構図は現在の神社の様子とほとんど同じでしょう。

もちろんは200年前の男女が手を合わせているのは、ほんの小さな社です。

 

▼さて、現在の東京 向島鎮座の白鬚神社です。

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白鬚神社という名称はそこそこ有名というか、その名が聞こえていると思いますが、

案外こじんまりとした落ち着いた神社です。

 

墨堤通りから訪問するともっと近い入り口が2つありますが、こちらが本来の表参道でしょう。

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▼少し下がって、また少し上がる境内は江戸名所図会と同じです。

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造営の新しそうな楽殿が妙に目立ちます。

 

▼社殿は放火により全焼し、1992年の再建だそうです。

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▼この写真は2013年撮影。やはり提灯や幟の有無で随分イメージが異なります。

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狛犬は古色いっぱい。

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▼裏側を見ると「文化十二年」などの文字が読み取れますので、200年前の建立です。

刻まれた漢数字は「三」のようにも見えますが「十二」でしょう。

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白鬚大明神は猿田彦神ともいわれ道案内の神であることから、

江戸時代の商人たちはお客を店に案内する神様として信仰を集めたそうです。

この1対の狛犬も、今に引き継ぐ「料亭八百善」と、吉原の遊郭松葉屋」の奉納だそうです。

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料亭八百善」は、300年前の浅草山谷で創業。

会席料理を確立し、江戸で最も成功した料亭のひとつだそうです。

墨田区文化財に指定されていて、神社で唯一江戸時代の匂いを感じさせてくれる、下町ならではの狛犬かもしれません。

 

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▼社殿右手に境内社諏訪社三峰社水神社が並びます。

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朱色の鳥居などはなく派手さはありませんが、とても好ましく感じる神社です。

御朱印収集者には隅田七福神巡りで訪問するのがベターでしょう。

 

鴻神社の御朱印(埼玉・鴻巣市) 〜タブーですか? 御朱印代の話題は・・・

鴻神社の季節限定御朱印です。(埼玉県鴻巣市本宮町1)f:id:wave0131:20200925165039j:plain

鴻神社の2017年の御朱印f:id:wave0131:20200925165045j:plain

御朱印はこちらの授与所で、少々事務処理的な扱いでしたが、速やかにいただけました。

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3年前の2017年の参拝時には、御朱印は墨書きと朱印だけのクラシックなものが 2、3種類しかなかったように記憶します。

そのうちの最もスタンダードなものをいただいてきたように思います。

中央の神社名はスタンプでしたが「奉拝」「日付」は筆書きでした。

 

▼ところが今回、2020年参拝の授与所には「」の御朱印サンプルがズラリ!

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ここ2、3年で鴻神社の御朱印は様変わりしたようです。

 

この多種類のサンプル展開は誰しも確実に目移りがします。

参拝者で御朱印を求める皆さんも等しく、サンプルを前に少し迷っています。

 

何種類もいただきたい人間ではないので、トップに掲載された

①番を1体だけいただいてきました。

記帳はしていません 全て書き置きです

と、「500円」の案内がありました。

 

▼さらに「ひのき製800円御朱印もあります。

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と言うわけでこの神社は「全て書き置き」の御朱印対応のようです。

そして今回いただいた御朱印も含め、書置きの全種類が日付以外「全て印刷」です。

 

以前はどこの寺社にしろ書置きの場合は「せめて筆書き」、

そして「できれば300円」にして欲しいと勝手に希望していました。

 

しかし、もうそんな希望は捨てました

 

カラーの印刷にしても、墨と朱だけの印刷にしても「書置き御朱印500円」の神社は多くなりました。

朱印帳に直書き500円は「当たり前」になりました。

 

もちろん直書きにしろ、書き置きにしろ、まだまだ300円の神社もあります。

限定御朱印」なるものが多く授与されるようになってからの多様な変化です。

 

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御朱印を数多く収集する者にとっては300円と500円では大きな差です。

500円の御朱印が2種類ある寺社を5ヶ所訪問し、

それぞれ2種類いただいてくとすると、トータル5,000円。

御朱印が300円なら、当然3,000円です。

300円2種類なら、同じ5,000円を使うとしたら8ヶ所を訪問して4,800円。

まだ200円余ります。

以前はほとんどが1種類しかないので、10ヶ所巡って3000円でした。

 

f:id:wave0131:20200925165100j:plainここまでの2枚の写真は2017年撮影。

 

ボンビーだけの思いで、

全国の御朱印収集者みなさんは、そんなケチな事は感じないのでしょうか?

 

神仏からの授与品に「高い、安い」と思う人は少ないでしょう。

昇殿祈祷で5000円、1万円は当たり前でもありますし・・。

 

ボンビーだって、

長い間、富岡八幡宮で正月は5000円の祈祷料を惜しんでいませんでした。

 

ここからは2020年撮影。

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しかし御朱印は、お札、お守りや、祈祷などと少し性格が異なります。

決して粗末には扱わず、有り難くいただいくものの、

そこに具体的なご利益など無く、

各寺社が自ら御朱印を説いているように

御朱印はあくまでも「参拝記念」です。

 

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参拝記念」ではあるものの、

スタンプラリー的な心構えでいただく性格のモノじゃない」と戒めています。

その「戒め」を説くのは特に寺院に多いように感じ、神社は少ないかもしれません。

お棺の中へ入れ「娯楽浄土への道しるべ」になるという信仰もあるそうです。

 

しかし、御朱印の「性格」を壊している責があるとしたら、寺社側にもあるように思います。

 

授与側、受取側それぞれが変えてきてしまった御朱印を取り巻く「姿」なのでしょう。

 

まだ僅か5、6年前ですが、どこに参拝しても御朱印の種類も少なく、墨書きと朱印だけでで記帳いただき、

10ヶ所訪問しても3,000円だった頃が、とても楽しかったように思います。

 

決して「」の御朱印は無くともです。

 

鴻神社を名指ししたのではないのですが、言葉が多くなってしまいました。

御朱印に対する一般的な私論で、誤解があったら謝罪します!

 

傷つくことが怖いのか、へりくだり過ぎの表現や、

物言わぬ臆病がはびこる現代なので、

敢えてヨワムシが御朱印代の話を「させていただき」ました。

 

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鴻神社の鎮座する鴻巣は江戸時代まで日本橋から数えて7番目の宿場町でした。

 

鴻神社参道に中山道鴻巣宿」の絵図が展示されていました。

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絵図には「鴻神社」と記されていますが、近隣の数社を合祀して「鴻神社」となったのは明治期になってからです。f:id:wave0131:20200925165119j:plain

 

ところで「鴻神社」は「こうじんじゃ」と読みます。

御朱印には「こうのとりのお宮」のスタンプがあります。

朱印やイラストにされている鳥は明らかに「こうのとり」です。

 

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しかし「」の字は「こう」とは読んでも、

意味は wiki で「オオハクチョウ」「ヒシクイ」「大型の水鳥」と解説しています。

一方「こうのとり」の漢字を調べると「」の字が出てきます。知らなければ読めない字ですが・・。

 

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」と「コウノトリ」は、分類の階層違いなのか、

単に語呂合わせなのか分かりません。

鴻巣」と言う地名は他県にも数ヶ所あって、

それぞれ地名の由来は確かなものがないそうですが、

いずれも「」とは関係のない言葉から成り立ってきたようです。

 

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そこのところは神社のHPにも「こうのとり伝説」と言うストーリーが解説されていて、地名の由来も書かれています。

 

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些細なことを突っ込まず「こうのとりのお宮」をさっさと、受け入れましょう!

 

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多勢の参拝客で賑わう「朱色」と言うより「赤色」が印象的な神社でした。

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▼いくつもある境内社の鳥居は全て「赤く」染められています。

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「赤」は魔除け、神域など色々な意味があります。

そして人を高揚させます。

境内は小ぢんまりとしていますが、参拝者の多さと「赤色」で華やいで人を高揚させ、人気のある、とても好感の持てる神社です。

 

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普段は寂サビとした古色蒼然な佇まいが好みですが、

ニギニギしい神社にも稀に好感を持てる場合があります。

この神社に祀られている多くの神々たちの「力」が、そんな風に感じさせているかもしれません。

 

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▼この先、境内の様子・説明は他のブログにお任せで、写真のみ羅列です。

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こうじんじゃ」に、ぜひご参拝ください。

御朱印が待っています。

 

鶴見神社の御朱印(横浜・鶴見区)〜地域最古の「杉山大明神」と 蘇った「田祭り」

鶴見神社御朱印です。(神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央一丁目)f:id:wave0131:20200916160757j:plain

▼同じく2014年にいただいた鶴見神社御朱印f:id:wave0131:20200916160801j:plain

2014年は直書きいただいたように記憶しますが、2020年は書置きになっていました。

右下のイラストスタンプは、

毎年4月29日を祭祀日とされる「田祭り」の一場面「蟇目ひきめの儀」の様子で、裏鬼門に矢を放つ「悪魔払い」の儀式だそうです。

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▼鶴見神社はJR・京急鶴見駅」が最寄となり、徒歩3、4分です。

神社近くに旧東海道があり、東京方面から車で進むと多摩川を越えて、

▼さらに鶴見川に架かるモダンな「鶴見川」を渡ります。
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                              (wikipedia 鶴見川橋)

▼その橋は江戸名所図会にも「鶴見橋」として、しっかり描かれています。f:id:wave0131:20200928133548j:plain東海道のノンビリとした人の行き交いが描かれていて、橋のたもとには名産の「米饅頭」を売る家が多い、と書かれています。

絵図には描かれていませんが、鶴見神社の位置は橋を渡った先、左奥あたりになるのでしょう。

 

▼神社界隈の現在は絵図のようにノンビリといはしていません。

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京急電鉄がけたたましく神社裏を駆け抜けていきます。

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▼「鶴見駅」がある南方面から進むと境内へ導く鳥居社号標が建ちます。

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鳥居から社殿までの参道は短かく、左側に建つ社務所の圧迫感を抱かせ、途中の境内はとても狭く感じられます。

▼確か手水舎は2014年の訪問時にはありませんでしたので、この間に造営されたようです。f:id:wave0131:20200916160834j:plain

境内は手水舎に限らず、社殿などは火災により失われており、いずれも近年になってから再建された建物がほとんどです。

 

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神社の創建は不詳のようですが、神社近辺に古墳があったことや境内からは貝塚、祭祀土器、生活土器などが出土していて、

弥生時代末期には神聖な地として祭祀が行われていたと推測されています。

 

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そしていつからか「杉山大明神」と称されるようになり、

鎌倉時代には源頼経が欅を奉納し、その大欅は彼死んでしまったものの、

根元からは祭祀遺物が多数出土しているそうです。

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それらの事から川崎、横浜あたりでは最古の神社とされています。

 

都会に鎮座する神社はどこも同じ運命をたどり、

明治に入って鉄道開通の用地や、その後の市街地整備とともに広い神社敷地は半減しています。

 

▼姿が小さく感じるほど大きな溶岩の山上に立つ狛犬

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狛犬たちは火山岩同様、黒々としていきり立っています。

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この地域には、特に鶴見川周辺には多くの杉山信仰の「杉山神社」が存在します。

そして延喜式内社ともされている「杉山神社」ですが、特定するのは難しく論社となっているそうです。

大正期に「杉山神社」から「鶴見神社」へ改称された当社も論社の一つとされているそうです。

 

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▼何処かで見かけたような神紋ですが、鶴の神紋はたくさんありますから・・。

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有職(ゆうそくづる)」と言うそうです。

 

▼本殿は杉山大明神天王宮の二社相殿 となっています。f:id:wave0131:20200916160927j:plain

▼本殿の周囲はフェンスで守られています。

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▼内部を覗くと本殿の基部が溶岩に覆われ、固められていました。f:id:wave0131:20200916161001j:plain

火山岩は富士山から運ばれたものでしょうか?

獅子山に使われている火山岩は度々見ることができますが、本殿の基部に置かれているのは、初めて目にしました。

 

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▼境内東側にも古い石造りの鳥居のある入口がありました。f:id:wave0131:20200916161021j:plain

当初、鳥居をくぐった時に感じた境内の狭さは、社殿の右サイドや後方に回った時に解消されました。

▼社殿東側に境内社がズラリと並びます。「稲荷社」だけ朱塗りです。

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▼「大鳥神社」や、御朱印にも連記されている鶴見七福神の「寿老人」を祀る社が続いています。f:id:wave0131:20200916160918j:plain

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▼社殿の後方には「富士塚」が築かれています。f:id:wave0131:20200916160941j:plain

綺麗に整備されて日が浅いように感じます。

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▼頂上の「浅間社」は相当古そうです。f:id:wave0131:20200916160953j:plain

▼石祠らしきものや仏像は同じく年代を感じさせるものばかりです。f:id:wave0131:20200916160945j:plain

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▼境内鳥居の方に戻りますが「鶴見の田祭り再興の碑」があります。f:id:wave0131:20200916160829j:plain

御朱印にも「田祭り」の様子がイラストスタンプで押されていますが、

宮司さんがお話くださるには、鎌倉時代から伝わる「田遊び」と呼ばれていた祭りが明治期に一旦廃絶されたそうです。

 

そして近年までにその記録記憶がすべて時間の中に消えてしまったそうで、

その空白を埋めんがために宮司さんは数年間東奔西走。

その甲斐あって祭りを再興することができたそうです。

 

▼2020年はその「田祭り」再興30周年に当たるそうで、その記念誌をいただきました。

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冊子の中で宮司さんが語っています。

田祭りが再興できて一番喜んでいらっしゃるのは、

千古の歴史と共に鶴見の里に鎮まります横浜最古の社・旧杉山大明神(現鶴見神社)の神様であることを確信する。

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神社の古い歴史と 「田祭り」再興までのご苦労がより深く理解でき、鶴見神社に三度訪問してみたくなる冊子内容でした。

ありがとうございました。

浦安 稲荷神社の御朱印(千葉・浦安市) 〜鯨が授けた龍宮への招待状 

▼当代島 稲荷神社御朱印。(千葉県浦安市当代島三丁目)f:id:wave0131:20200729180740j:plain

四年に一度 浦安三社祭」のスタンプは、オリンピック開催年と同年6月に行われる祭りですが、2020年の開催はオリンピック同様1年延期され、2021年の開催だそうです。

 

三社祭」というと東京では「浅草三社祭」が有名ですが、

浅草神社は旧称を三社大権現社または三社明神社とし、

神社に因むというか、浅草寺の観音様に因む人物が3人祀られていることから

三社祭」と呼ばれるようになりました。

 

しかし、浦安の「三社祭」は浅草とは少し意味合いが違い、

今回訪問の当代島 稲荷神社

そして猫見 豊受神社、堀江 青瀧神社の2社を加えた、

浦安地区3社の合同祭りを指します。

 

浦安市も応援する4年に一度の祭りですので、浦安の街中が祭り一色になる大変賑やかな祭りです。

2021年の開催が無事執り行われることを祈ります。

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▼神社へは浦安駅から歩くと10分ほど要します。20分間隔で運行されているコミュニティバスの「おさんぽバス」などを利用するのが便利です。

当地は「当代島」と呼ばれているので、その昔は「島」だったのでしょう。

東京湾の海がもっと近くにあったのでしょうが、その後の開墾や埋め立てで、もはや島の境界線はどこにも見当たりません。

 

▼参道入口は「船圦緑道」という、まだ整備されて新しそうな綺麗な道路に面しています。周囲の民家も新しい建築が目立ちます。

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船圦」は「ふないり」と読みますので、今は緑道となっている川ですが、もっと海が近かった昔はこのあたりまで舟が入ってきていたのでしょう。

 

▼その緑道脇に左右の建物を支えるかのように鳥居が建ちます。

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▼細い参道の住宅街を抜けると、突き当たりに境内が見えてきます。

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鳥居、社号標、玉垣などすべてまだ鮮度が見える造りなので、造営の新しさを感じさせられます。

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狛犬も風雨にさらされた跡や日焼けによる痕跡はなく真っ白。
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神社の創建は浦安のほかの二社と同様はっきりしないそうですが、

1689年、現在の小岩にある「善養寺」から移し祀られたと伝わります。

それ以前は当代島村長の屋敷神の稲荷が氏神だったそうです。

稲荷社が発展する典型的な道を歩んできたように思います。

 

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浦安は現代も街の様子の変化が激しい地域です。

古くからある当代島も変化の波にさらされ、地盤沈下なども大きいようです。

そのためもあり過去には何度も再建されている中、さらに建て替えられ現在の社殿は1984年の造営だそうですが、鮮やかな朱色の拝殿はもっと新しく感じられます。

 

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▼社殿扁額の神社名は龍などの装飾彫刻に囲まれています。

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少し長いですが、祭神について神社のHPから引用です。

一説には稲荷神社の祀祭神は稲蒼魂命だといわれ、元の御名を宇加之御魂神という。この神は字を倉稲、すなわち一切の食物を司るとされ、豊宇気毘売神と同一神だといわれている。さらには豊受大神と称されて外宮の豊受大神宮にも祀られ、五穀最成・飲成五社大明神の筆頭の神で、大己貴命・大田命・大宮姫命・保食命の五柱を総じて五穀の神として穀物豊穣の神として信仰された。

太字にした「神」や「命」の文字がいっぱい出てきて凡庸な脳は整理できません。

稲荷社ですので祭神「うかのみたま」とだけ理解しておきましょう。

 

神社の正確な祭神名称は「豊受大神」「應神天皇」「春日大神」の三神です。

 

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社務所も新しく建築予定のようです。人物が妙にリアルなCGイラストです。

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▼「紀元二六〇〇年記念」「支那事変出征祈願碑」と彫られています。

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▼社殿の右手に「大鯨の御社」?

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▼4つの石祠が祀られていて、右から2番目の小さな祠に「大鯨」とかすかに読める文字が刻まれています。

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▼二重の祠のこちらは「八幡神社」。

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大鯨」は明治期のことで、東京湾の海を相手に魚・貝を獲って細々と暮らしていた漁村の男2人がたまたま大鯨に出くわし、捕獲して村に戻ったところ大騒ぎ。

獲った鯨により大金を手にした男2人も含め、村中なかなかその熱が治らず仕事にも支障をきたしていたことから、その騒ぎを鎮めるために石碑を建てたそうです。

 

当時の東京湾には小魚が豊富で、鯨も餌を追って湾の奥まで入り込んでくることが時々あったそうです。

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しかし、石碑や石祠を建てることで騒ぎが収まったとしたら意味不明でもありますが、まぁいいでしょう!

 

▼下げられている扁額は「龍宮」?

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鯨の恩恵を受けた2人の男にとっては、鯨が獲れた浦安沖の海はまさに「龍宮」だったし、大金を手にした陸上でも「乙姫のいる龍宮」のような生活が続いたに違いありません。

鯨から龍宮への招待状をもらったというふうに理解することにします。

 

▼次は海から山です。

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浦安三社にはすべて浅間神社富士塚があります。

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▼境内入り口の狛犬は新しかったのですが、こちらは年代を感じます。

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獅子たちは風雨にさらされ貫禄を見せています。

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富士講の石碑には昭和五十九年の文字が読み取れます。

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富士塚は昭和初期に築かれたそうです。

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どこの富士塚にも思いますが、溶岩は富士山から運ばれたものでしょうか?

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世界遺産となった富士山からは現在では何一つ持ち出してはいけないのでしょう。

 

鯨も捕らえて食用にしたら世界中が騒ぎ立てます。

 

時代とともにその接し方、愛し方も大きく変化している「鯨」と「富士山」です。

 

▼「浦安三社」の記事。

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