当初は稲荷社として1289年に創建され、
江戸時代に入ってから秋葉権現を合祀したそうで、
「火産霊命」「宇迦御魂命」の二つの祭神が祀られています。
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▼東武線の「曳舟駅」が最寄となりますが、御朱印収集者には「高木神社」や「飛木稲荷神社」近くといったほうが分かりやすいかも。
▼「井上安治」という明治期の版画家が彫った浮世絵「向嶌秋葉境内」です。
当時の社域はとんでもなく広く、広大な池を中心とした林泉の景色に恵まれ、また紅葉の名所として大勢の人々が行楽に出かけたそうですが、
現在は紅葉は残るものの、その規模も違えば池、泉は見当たらず、昔の面影はことごとく消えています。
▼それでも狭い境内に何本か立つ銀杏や紅葉は見事です。
近所に鎮座する「高木神社」や「飛木稲荷神社」も同様ですが、
幹線道路から奥まり、密集する住宅街の路地裏と言ってもいいくらいの区域に神社はあります。
「こんなところに?」と言った感じです。まさに「林泉」と言っていいかもしれません。
▼手前の狛犬の損傷は風化によるものではなく、震災や空襲により欠けてしまったそうです。
▼所狭しと狛犬や手水舎、石灯籠が立ち並んでいます。
▼透かし彫りの彫刻も施された良い形の手水舎ですが、後ろの自転車がジャマです。
▼拝殿の前には新し目の狛犬も並びます。
▼拝殿の朱色と屋根の緑、銀杏の黄と、色の競演が素晴らしい社殿前です。
▼大震災や戦火により度々失われた社殿の現在は1966年の再建だそうです。
▼「羽団扇紋」が銀杏の黄葉の輝きに負けずにゴールドに輝いています。
▼「秋葉神社」と改称されたのは明治になってからだそうです。
▼本殿の右隣の小さな神明造りは旧本殿とのこと。フェンスで閉ざされていました。
▼それにしても下町の住宅街の中から仰ぎ見る空の青さと黄葉は、思いもかけないものを見つけたような感動です。
時を経て黒ずむ数基の石灯籠は、どれも江戸時代に奉納されたもので、損傷した狛犬同様、震災や戦火をくぐり抜けて来た様子が見て取れます。
▼柱のように高くそびえる石の常夜灯はギプスで支えられています。
▼社務所前に石灯籠のガイド板とともに「名所江戸百景」が掲げられていました。
▼広重が描いた名所江戸百景「請地 秋葉の紅葉」です。
描かれている池は神社の北、現在の国道6号線「水戸街道」を超えた場所にあったそうです。
現在の向島は多くの人に見向きされない街かもしれませんが、
江戸時代から戦後までは名勝、景勝地であり、文人墨客も好んで訪れる地でした。
秋葉神社門前にも川魚を提供する料理屋の「武蔵家」「大七」などが軒を連ねていた様子は江戸切絵図でも確認できます。
そして、その延長線にかつては隆盛を極めた向島花街が広がっていたのでしょう。
向島花街は現在でも精力的に活動しているそうです。
激しく変化する東京の中で、向島の街は忘れられたような存在ですが、
現在でも新梅屋敷の「向島百花園」があり、
吉行淳之介は「鳩の街」を「原色の街」として書き、文庫で読めるなど、
まだまだ生き生きとしています。
景勝地、行楽地、花街、赤線、青線と様々な顔をもっていた広域の意味の「向島」は、
今は荒い息遣いを抑え、
近くに見える新参者のスカイツリーを脇役のごとく従えています。
とは言え、スカイツリーに登る人は向島を知らず、訪れもしません。
諸行無常、主役と脇役の逆転も珍しいことではありません。
ぜひ、黄葉が眩しい11月下旬から12月初旬の参拝をおすすめします。