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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

常栄寺の御朱印&御首題(神奈川・鎌倉市)〜見開き和歌御朱印の最初、ぼたもち寺の静寂

 ▼慧雲山 常栄寺御朱印です。(日蓮宗神奈川県鎌倉市大町)

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別名ぼたもち寺牡丹餅寺)も古くから見開きの和歌を御朱印としています。

訪問時の2013年は年配の女性に丁寧に揮毫していただきました。

現在もこの形で授与されているのか定かではありません。

最近の街中の書店の御朱印紹介本でも掲載されているので、おそらく継続して授与されているかもしれません。

 

これやここ ほうなんのそしに はぎのもち ささげしあまの すみにしところ

日蓮の法難エピソードにちなむ歌ですが、字余りの箇所もあるものの一応、

五七五七七になっていますので和歌と言っていいのでしょうか?

それにしても女性の丁寧な説明がなければ、とても読めるものではありません。

 

日蓮宗寺院ですので御首題もいただけます。こちらは何とかすべて読めます。

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鎌倉駅からゆっくり歩いても、10分ほどで到着します。

▼大町の住宅街にある小さな寺です。f:id:wave0131:20190802122455j:plain

鎌倉駅から東へ若宮大路を横断して、平行する小町大路のさらに1本先の細い通りに面して山門が開いています。

 

北鎌倉や鎌倉駅前、小町通りから八幡宮周辺の喧騒とは違い、この辺りはウソのように静寂に包まれた街並みが続いています。

少ない人の往来と、小さな寺社は点在していますが、観光的な寺社はなく、これらの寺や神社を訪れるのは、ほとんどが御朱印を求める人たちのようです。

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ところで御朱印にはスタンプで日蓮の法難が「文永八年」とあります。

日蓮佐渡に流された鎌倉時代1271年ですが、1274年には「文永の役」が起きています。いわゆる元寇です。

鎌倉幕府も北条氏の台頭により執権政治にとって変わってた頃で、このころ円覚寺はまだですが、建長寺はすでに創建されています。と言っても伽藍はまだ整っていなかったかもしれません。

 

そんな武家政権が確立さて久しい鎌倉時代の都市の様子はどんなんだったのでしょう? 全く想像もつきません。

 

▼しかし、幕末から明治期の若宮大路はこんな様子だったようです。

写真は長崎大学のデータベースからお借りしました。f:id:wave0131:20190802174833j:plain

 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース

ぼたもち寺は、この写真のず〜っと右手前になります。

中央遠方の八幡宮から段葛が続き、左右の家並みは茶屋や土産物屋なのでしょうか、すべて茅葺きです。

人の姿が写っていないせいか、モノクロの写真に音はなく静けさが漂っています。

 

幕末から明治になって150年ほどです。

 

▼その時期でさえ、現在の若宮大路と比べると想像を絶しています。f:id:wave0131:20190802185859j:plainましてや、さらに600年遡って750年前の鎌倉の都市の姿など、誰も描けられないのが当たり前なのでしょう。

きっとぼたもち寺も、静けさだけは今と大きく変わらぬ、茅葺きの小さな庵のような佇まいだったに違いありません。

 

於菊稲荷神社の御朱印(群馬・高崎市)〜駆けつけていただいた宮司さんのスーパー度

於菊稲荷神社御朱印です。(群馬県高崎市新町)f:id:wave0131:20190801174844j:plain

いただいたのは3年前になりますが、御朱印にこの他の種類はありませんでした。

そして見開きでいただきましたが、よく見ると墨書きの神社名が2つ。

ほかに神社印2つとスタンプ4つでは、見開きの広大な紙面を埋め切れず、神社名が2つということになったかもしれません。

それにしても「菊」の字のシッポは、あまりに素晴らしいアイデアです。

他に類を見ません。これを真似る稲荷神社はないと思いますので、於菊稲荷神社の登録商標みたいなものです。

見ていると自然と頬が緩んでくるような、不思議に微笑ましい御朱印です。

 

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▼神社の鎮座する新町は隣接する藤岡市の所属かと思ったら、高崎市になるそうです。

しかし、飛び地になっていています。

 

合併交渉で藤岡市と決裂、新たに隣接しない高崎市と合併したそうです。

ということは、藤岡市とは相性とかナカが悪いわけですね。

 

▼とはいえ、そんなことには関係なく、藤岡市民もたくさんの人々がこの神社に参拝にやって来ることは容易に想像できます。

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訪問時は社殿が造営中でした。そのせいか境内は雑然としていて落ち着きませんでした。

▼千本鳥居には程遠いマバラな間隔の鳥居。

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しかしこの神社、いつか1000本では収まりきれない鳥居が奉納されるやもしれません。

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訪問時、宮司さんはお留守のようでしたが、宮司さんの奥様か、身内の方かわかりませんが連絡いただき、間も無く宮司さんが車で駆けつけていただきました。

たった1人の御朱印のために用先から急いで駆けつけ、笑顔で対応いただき、帰り際はお二人で見送っていただいたこと、頭が下がりました。

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この時は短時間の対面でお話もできませんでしたが、宮司さんの印象は朴訥、親切、正直、不器用、なんて言葉が頭に浮かびました。

ワタシが感じた宮司さんの第一印象は言い当てている部分もあるでしょうが、まったく宮司さんの真の姿が見えていなかったというのが正解のようです。

 

訪問の翌年からこれまでの、おそらく宮司さんの直の言葉であるFBを覗いて見て、初めて理解できた事がたくさんありました。

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ワタシが参拝した翌年、2017年にに新社殿も落成したようです。

新社殿の天井画奉納者は多岐に渡り、於菊稲荷神社は地方の小さな稲荷社の一つではなく全国区になっていました。

宮司さんの人柄、発想、行動力、広いネットワークを感じさせられます、スーパーです!

新社殿落成の頃から、FBにそれまでに多くの記事はなかった御朱印案内も頻繁に現れています。

そして限定御朱印の授与も始まっています。

個人的にはあまり興味のない「限定」ですので、どうしても批判的な言葉が多くなってしまいますが、この神社だけは批判するワタシ自身が批判されるべきのようです。

単にブームに乗るのはあたり前とし、しかし柔軟性と、その先が見える眼と行動力がこの神社の未来を創っていくように思います。

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於菊稲荷神社のマバラな鳥居が「千本鳥居」になるのは、そんなに遠くないことでしょう。

 

素盞雄神社の御朱印(荒川区)〜奥の細道 三千里、芭蕉旅立ちの躊躇

▼素戔雄神社の御朱印です。f:id:wave0131:20190730114314j:plain

▼同じく2013年の御朱印

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この神社もかなり前から見開きスタイルを採用しています。

左ページは「行く春や鳥啼き魚の目は涙いくはるや とりなき うおのめはなみだ)」という芭蕉奥の細道、最初の一句。

もっとも希望者のみですから、片面の神社印のみもいただけます。

6年間に何も変化のない御朱印です。

「千住天王」とあるのは、祇園信仰系の神社であり、地元の人たちは「天王様(てんのうさま)」と呼ばれる事もあるそうです。

 

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千住宿の手前の隅田川に「千住大橋」が架かっています。

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1594年、隅田川に初めてかけられた橋です。江戸時代に、もう少し下流の両国橋が1660年にかけられるまで、この橋しかありませんでした。

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松尾芭蕉が深川の庵をたたんで、隅田川を遡り、奥の細道の第一歩を踏んだのが、ここ千住大橋のたもとです。

千住大橋北詰の小さな公園に「矢立初めの地」の碑があります。f:id:wave0131:20190801120820j:plainその先には芭蕉像が建つ「千住宿奥の細道プチテラス」があり、JRとメトロの南千住駅前にも芭蕉像があります。

いつの間にか千住は「芭蕉の街」の様相を呈するようになりました。
 

そして千住大橋の手前に鎮座するここも、御朱印にあるように芭蕉の色濃い神社です。

国道4号線日光街道沿いにある鳥居です。f:id:wave0131:20190729165950j:plain

▼南にあるこちらが表参道に当たるのでしょう。f:id:wave0131:20190729170015j:plain

▼境内西側にも鳥居が開いています。f:id:wave0131:20190729170019j:plain

街中にある神社ですので多くはない緑ですが、綺麗に整えられていいて清々しさを演出しています。f:id:wave0131:20190729170011j:plain

岩造りの子落としの獅子は、金網での保護ではなく、足元だけに石と鉄棒で囲いがつけられています。これならイタズラされにくいでしょうね。f:id:wave0131:20190729170031j:plain

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f:id:wave0131:20190729170023j:plain社殿は昭和の再建だそうですが、鉄筋コンクリート造りとは思えないほど見事な堂々とした佇まいです。f:id:wave0131:20190729170036j:plain

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神社は役小角の弟子が奇岩を祀ったことに始まる平安時代の795年の創建と伝わります。本殿の裏側に稲荷神社、菅原神社、福徳稲荷の末社が並んでいます。f:id:wave0131:20190729170048j:plain

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f:id:wave0131:20190729170044j:plain▼ゴールドに光り輝く龍は神楽殿の奉納額。f:id:wave0131:20190729170054j:plain

▼江戸名所図会にも描かれている地蔵堂庚申塔f:id:wave0131:20190729165954j:plain

▼江戸名所図会では「飛鳥社 小塚原 天王宮」として神社が紹介されています。f:id:wave0131:20190729165958j:plain

▼神社の創建に由来する「瑞光石」を祀る社。f:id:wave0131:20190729170003j:plain

▼天王宮、瑞光石の全体は富士塚になっています。f:id:wave0131:20190729170007j:plain世界遺産になった富士山も毎年登山者の多さで問題となり騒がれていますが、もしかしたら江戸時代の方がもっともっと人気があったかもしれません。f:id:wave0131:20190729170059j:plain

▼そして芭蕉碑です。神池に通した橋を千住大橋とみなし、その奥に碑が建ちます。f:id:wave0131:20190730123833j:plain

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千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。 行く春や鳥啼き魚の目は涙 これを矢立ての初めとして、行く道なほ進まず」と、「奥の細道」の冒頭部分が紹介されています。

 

それにしても芭蕉は「奥の細道」への旅路を前にして胸踊るどころか、旅に出る決意をしたことを悔やんでいるような内容です。

ホテル予約もない、当時の歩きによる旅ですので心細いこともあったのでしょう。

ですから芭蕉はここ千住にグズグズと7日間も逗留しています。

早く出かけなさいよ!

そもそも「前途三千里」というのは、どこから計算したのでしょう。現実は156日間、600里、2400kmの行程だったのに・・。

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芭蕉が置き忘れた傘をかぶってみれば、彼のそんな心情が少し理解できるかもしれません。f:id:wave0131:20190730123923j:plain

南千住の駅から歩ける距離にある神社です。

少し寄り道して延命寺首切り地蔵→小塚原回向院→旧上野の黒門が残る円通寺を訪問してから神社に向かうのが、とってもおすすめなコースです。

 

素盞雄神社となりの「荒川ふるさと文化館」。f:id:wave0131:20190909160901j:plain

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wave2017.hatenablog.com

 

伊佐須美神社の御朱印(会津美里町)〜不死鳥のごとく天高く舞い上がれ新社殿

伊佐須美神社御朱印です。(福島県大沼郡会津美里町f:id:wave0131:20190729170155j:plain

こちらも昨今のブームによるものではなく、以前からの見開き御朱印の老舗です。

この時にいただいた御朱印は、WEBなどでよく見かける独特の書体の個性のある御朱印ではありませんでした。

ワタシの場合はどちらでも一向に構わないのですが、書き手さんによって異なるのかもしれません。

そのせいか、どう見ても1ページ分で収まる朱印と墨書きの内容です。

それでも見開き御朱印の「老舗」です。

 

右上に「岩代一之」のスタンプがありますが、

令制国の歴史的一宮では伊佐須美神社は「陸奥国二宮」に区分けされています。

「全国一の宮会」の加盟社としては「岩代国一宮」なのだそうです。

岩代国」は明治に陸奥国から分立してできた四つの国の一つだそうです。

「一宮」もいろいろあって複雑です。

どこも「一宮」と名乗りたい気持ちは理解できますが・・。

 

中央の神社印はすべて旧字が使われていて「会津総鎮守伊佐須美神社」のようです。

 

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全国に「美里町」はいくつあるのでしょう?

桜ヶ丘、光が丘、桜台などと同じように全国に溢れかえっている地名で、安っぽく感じられなくもありません。

しかし、ここはただの美里ではない「会津美里町」なのです。

会津」の2文字が付くだけで、他の美里町からは抜きんでています。

 

▼そして「会津総鎮守」の一ノ鳥居は、杜を背負って素晴らしい面構えをしています。
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多くの寺社を訪問していると、鳥居や山門を見ただけである程度、どんな雰囲気の神社か、どんな空気の寺か分かる場合があります。

伊佐須美神社」は、間違いなく雰囲気のある社だと感じます。

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▼手水社で手を清めると、その脇にあるのが「菅原神社」。

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境内社なのですが独立した神社のように「神牛」さんが、参拝者からナデナデされるのを待っています。

f:id:wave0131:20190729170207j:plain多くの受験生たちの参拝は本殿を上回るかもしれません。

 

▼通安全を願う「道主命神社(みちぬしのみことじんじゃ)」。初めて聞く名称です。いろんな神がいるものです。神は無数です。

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▼堂々とした立派な楼門の造営は比較的新しく1989年だそうです。

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それにしては年月をもっと多く重ねたような風格が備わっています。

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さて、ここまでは最初に一の鳥居を見た時に感じた雰囲気のある神社に間違いありませんでした。

 

▼しかし、楼門をくぐり境内に入ると小さな社殿にテント、仮小屋のような造作があるばかりで雰囲気はありません。なんですか、これは?

f:id:wave0131:20190729170227j:plain何はともあれ、伊弉諾尊をはじめとする四祭神にご挨拶します。

 

2008年に本殿と授与所を焼失したため、現在は仮本殿だそうです。

ほとんどの神社、寺院は火災の歴史と共にあります。そしてその都度、不死鳥のように蘇り再建されて来ています。

 

御社殿造営復興奉賛のお願い」の大きな立看板横の横のテント内で、おねぇさんから1口5000円の協賛金をお願いされてしまいました。

ボンビーにとてもそんな余裕はないので、協賛金というより「では お賽銭代わりに!」と10分の1口、500円をお渡しすると、再建予定の本殿が描かれたA3サイズのパース図をいただけました。

 

▼一の鳥居横にも掲げられていた再建予定の本殿図。

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何処かで見たような絵です。

そうです古代出雲大社の様子と同じです。

出雲大社は48mほどあったそうですが、伊佐須美神社では32mの本殿を作るのだそうですが、随分と壮大な計画を建てたものです。

現在の神社境内にこの姿も想像つきません。

また、1口5000円が何口集まれば目的の数字に届くのか、これまた想像つきません。

 

しかし、きっといつか不死鳥のごとく蘇り、巨大な拝殿、そして天空を突く本殿にお目にかかれることでしょう。

舞い上げれ!

 

伊佐須美神社を参拝したらこちらも訪問しましょう。

wave2017.hatenablog.com

 

宝蔵寺の御朱印(京都市)〜今や珍しくもない見開き御朱印の記事をしばらく続行

▼無量山 宝蔵寺白歳 生誕三百年」の見開き御朱印です。(浄土宗・京都市中京区裏寺町)

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2019年は、伊藤若冲の弟「白歳」の生誕300年を記念しての見開き御朱印だそうです。

それにしても「つらいつらい 花も紅葉も なきぞよき」とは!?

ワタシも満開の桜の木の下を、天高く馬肥ゆる秋の紅葉を横目に仕事場に・・。そんな多忙な時期だった頃「花も紅葉も なきぞよき」と思うどころか、嵐になればイイと、意地悪な気持ちを抱いた時もありました。

「白歳」の歌の意味は少し違うかもしれませんが、当たらずといえども遠からず、の「つらいつらい」です。

 

▼同じく、本尊「阿弥陀如来」の御朱印f:id:wave0131:20190729174629j:plain

▼同じく、購入した朱印帳に予め押されていた御朱印f:id:wave0131:20190729174613j:plain

▼同寺の朱印帳f:id:wave0131:20190729180232j:plain

▼いただいた散華。f:id:wave0131:20190729180236j:plain

▼朱印受付にはこの写真以外にもたくさんのサンプルが並んでいて、何が何だかわからない万国博覧会状態。f:id:wave0131:20190729174038j:plain

で、適当にお願いしたのが上に掲載の御朱印3種です。

「髑髏図」の御朱印はWEB上で見飽きていますのでスルーでした。

朱印帳を含め、納めた金額は忘れました。いや正確には忘れたい金額でした。

 

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ブームで人気の御朱印となり、インパクトと種類の多さは、その寺社の実際の姿とは必ずしも一致しないことは心得ています。

▼宝蔵寺のある裏寺町は、寺町の裏というより河原町通りの裏です。

f:id:wave0131:20190729174020j:plain場所柄小さな寺であることは事前に理解できていましたが、でも本当に「ここ?」と疑いたくなるほど小さな寺です。

 

▼自身が勝手に描いたものとはいえ、御朱印人気の賑々しさをイメージしていると、そのギャップは大きく、山門さえも気づかず通り過ぎてしまいます。f:id:wave0131:20190729174017j:plainしかし、朱印の案内は通り沿いの山門に英文も含め明確に貼り出されています。

そもそも伊藤若冲、ワタシが経験した美術や日本史の教科書に、その名は一文字もありませんでした。f:id:wave0131:20190729174055j:plain若冲に陽の目があたり始めたのは比較的新しく、20年ほど前の頃からでしょうか?

その後の展覧会などで爆発的なブームを起こしています。f:id:wave0131:20190729174051j:plainTVや雑誌などマスコミに取り上げられる事が多くなり、同時にここ宝蔵寺も御朱印ブームと共に「若冲ブーム」を一緒に歩んできたイメージです。f:id:wave0131:20190729174047j:plainワタシの場合は、スーパーリアルな若冲の絵は当初アレルギーを起こしました。

しかし、アレルギーもマスコミという妙薬により完治しています。

「治療」というより「洗脳」というのが正しいかもしれません。

これでもかという情報攻勢に教化されること、逆らいきれません。

若冲アレルギーから解放されるどころか、その魅力の理解者になってしまっています。

恐ろしいことにマスコミは誰を、何を、何処に、どのように導くべきか、そのコントロールは熟知しているようです。今更ですが・・・。

 

▼ともあれ伊藤家の菩提寺で親族の墓は若冲が建立したもののようですが、若冲自身の墓は他の寺にあります。f:id:wave0131:20190729174101j:plain

▼訪れた3月のせいでしょうか「花も紅葉も なきぞよき」というような雰囲気はなく、裏寺町の寺の境内は静かです。f:id:wave0131:20190729174042j:plain御朱印を求めるらしき参拝者とのすれ違いも一人の女性だけでした。f:id:wave0131:20190729174033j:plain2019年、どうやら若冲ともどもこの寺の御朱印も爆発的ブームは去り、落ち着いた人気にソフトランディングしているようです。f:id:wave0131:20190729174030j:plainそれでも御朱印受付の寺務所内には3人の女性。そのうちのお二人は、筆を手に紙に向かってヒタスラ奮闘中でした。

彼女たちの頭にも「花も紅葉も なきぞよき」という言葉が掠めているかもしれません。

f:id:wave0131:20190729174025j:plain若冲、白歳のみぞ知る、宝蔵寺の未来と御朱印の未来です。

 

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