▼宝珠山 地蔵院 錫杖寺の御朱印です。(真言宗智山派/埼玉県川口市本町2-4-37)/
▼寺の名称の「錫杖(しゃくじょう)」とは、地蔵菩薩などの遊行僧が手にしている金属製の杖のような道具です。(下の写真は新宿・太宗寺の地蔵)
弘法大師は錫杖で大地をツンツンと突いて、出湯や水を湧出させた言い伝えが各地に残っています。
身を守る道具でもあったという見方もあり、用途はいろいろだったのでしょう。
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▼「錫杖寺」のある川口の街です。
▼その川口という名が全国的に有名になったのはこの映画によります。
半世紀以上前に作られた映画ですが、吉永小百合の出世作と言える映画で、川口市の鋳物の街をモデルにした青春映画だそうです。
もちろん白黒映画。見ていませんので話にもなりませんが、当時、吉永小百合がまだ高校生だったそうですから、とんでもなく昔の映画です。
▼そしてキューポラです。
一般人はほとんど口にも、耳にもしない言葉「キューポラ」ですが、簡単に言うと溶解炉のことです。ワタシたちが目にするのは、鋳物工場の屋根から出てる先端部分、煙突部分だけですが。
しかし、鋳物の街だからこそのキューポラも、今やベッドタウンと化した川口から、その姿を消そうとしています。
▼それでも川口市に住む人たちは「錫杖寺」は知らなくても、きっと「キューポラ」は知っているでしょう。
▼その錫杖寺山門の前、道路を隔てた向かいに古い橋の欄干だけが残っています。
「凱旋橋」の遺構で、日露戦争の凱旋パレードの際に架けられた橋だそうです。
川口の鋳物は日露戦争を契機に、砲弾や機械部品などの製造で発展し続け、全盛期には映画のモデルとなるほどだったのでしょう。
▼そんな川口の歴史は、この寺にとってはつい昨日の事のような話かもしれません。
寺は奈良時代に創建されたと伝わりますので、そこから滔々と流れた時間を考えますと、川口にキューポラのある時間は、快速電車が駅を通過するようにほんの僅かなものです。
キューポラ時代からさらに遡って、鋳物の街になる前の江戸時代の川口は、日光街道の脇街道「日光御成街道」の宿場町だったそうです。
その宿場もとうに消え、そしてキューポラも消えようとしている川口で、唯一、変化はしても消えないのが寺と神社です。
長い歴史を見続けてきた寺社は、もちろん川口だけに限らず、どの地域にも言える事でしょう。
普段はこの寺に御朱印を求める人はそれほど多くはないように予想されますが、寺のHPによりますと、平成の終わり、令和の始まりにはたくさんの人が御朱印を求めに参拝されたそうです。
そんな御朱印ブームの出来事も、悠久の時を見つめ続けてきた寺にとっては瞬きのようなホンの一瞬の歴史として未来に伝わっていくのかもしれません。