▼正確には「松島青龍山 瑞巌円福禅寺」、要するに瑞巌寺の御朱印です。
▼購入した朱印帳の扉にある文字。
読めませんが、朱印帳に解説文が挟まれていました。
「しも」と読み「ただ・・するのみ」「ひたすらに」という意味だそうです。禅修行、禅用語の一つなのでしょうか。よくわかりません。
▼朱印帳は裏表紙に大きく伊達家の家紋のみでシンプル。禅寺らしい匂いがします。
旅の2日目は平泉の寺々で1日を費やしました。今回の東京から北上は芭蕉と同様、平泉までです。
▼宮城に戻り、石巻に2日目の宿をとりました。相変わらずの安ホテルですが、フレンドリーなスタッフと、まだ新しい建物は清潔でとても満足でした。
▼部屋の中にはこんなものが。すべて無料だそうです。
今じゃ珍しいことではないのかしら?
もちろん食事は外へ。
前日、海のない大河原で魚をいただきましたので、この夜は石巻、海のある街で肉にしました。逆でしょ!
街に出ればおいしい魚を提供してくれる店は見つかるでしょう。しかし2日連続で魚は選べない。
▼料理が出てくるまでチョイ飲みです。
熱いトマトスープとともに冷たい生ビール、2杯目は熱いオニオンスープとともに冷たいハイボール。
すごい飲み方、組み合わせです。とはいえ、この組み合わせはかなりイケました。
スープバーがある店の名前は、あえて出すこともないでしょう。
さて翌日、ホテルの朝食をいただいて奥の細道、3日目の始動です。
しかし、いつものことですが、ほぼ御朱印を目的に旅に出ると1泊旅ならともかく、3泊予定の3日目ともなるとダレてきます。
もう「どうでもいいか!」とも思われてくるのが常です。
ともあれ午前中一番の訪問寺はムリムリでも張り切って行ってみましょう。
と、ホテルを出ると、ちょっとオドロキ、
▼石巻に「三越」です。ショップでしょうが、まるで町の電気屋さんのような佇まい。
「三越 石巻」。日本橋三越の威厳も優雅さも、ここには何もありません。
デパ地下しか用のない身分ですが「百貨店」の未来は気になるところでもあります。
▼松島に到着です。「五大堂」は後にします。
▼観光客で溢れている海沿いの歩道を一歩入ると「日本三景展望台」。
なんで城なのかわかりません。登ってみようかと思いましたが有料なのでパスです。
▼今日一番の目当ての寺です。この入り口は周囲が工事中のせいか興ざめの趣。
しかし一歩奥に進めば、観光客はいるものの海沿いの喧騒は静まります。
日本三景の松島を象徴する無料の「五大堂」は誰しも足を踏み入れても、瑞巌寺本堂に拝観料700円を支払う人は「誰しも」ではないのでしょう。
▼整然とした参道は遥か遠くに延びています。
▼参道途中にこの立て札。改めてあの時、TVに映し出されていた信じがたく恐ろしい水の力の様子が思い出されます。
寺の方々も国宝が水に浸かり、流されるのかもしれないと、どんなに心を砕き、心配されたことか、計り知れません。
▼長い参道の左手には「法身窟」
「岩窟に遁世していた法身禅師と執権 北条時頼が出会ったところと伝えられている」そうです。鎌倉時代の半ばのことです。
▼やっと拝観受付です。ここで御朱印をお願いします。「五大堂」の御朱印もここでしかいただけません。
▼受付の正面に「中門」と「御成門」が見えます。
2つの門はそれぞれ重文に指定されているそうです。
▼右に進んで庫裏前の庭に入ります。
▼ここ庫裡から本堂への回廊が続いています。完璧な「禅顔」です。
▼庫裡は台所。煮炊きもするでしょうから、その煙を出す部分は入母屋造となっています。いわゆるエントツでしょうが・・・。
瑞巌寺は寺名も延福寺→円福寺→瑞巌寺と変化していますが、宗派も天台から臨済宗建長寺派、そして現在の妙心寺派と改められています。
有名な禅寺というと関東では鎌倉の建長寺や円覚寺、京都の建仁寺や妙心寺、仁和寺などのように七堂伽藍が揃った寺をイメージできますが、ここ瑞巌寺に残る伽藍は庫裡と本堂だけのようで、そこはいささか拍子抜け。
しかし、撮影禁止の本堂内には京都二条城のように絢爛な襖絵とともに様々な10の部屋が見られ、国宝たることが理解できます。
臥龍梅は時季になれば見応えがありそうです。
▼本堂正面は38m、奥行きは24mあるそうです。
▼本堂を一回りしたら、こちらの宝物館「青龍殿」をのぞいてみます。
ここも撮影禁止ですので、陳列されているお宝は自身の眼で、もしくは別メディアでどうぞ。
▼帰りは受付を出て参道の左側にある通路を歩みます。
供養のための窟が続いています。
なぜかワタシには瑞巌寺で一番の印象に残る場所となりました。
そこはミニ四国霊場ともなっていました。
千年の歴史と400年の本堂に別れの挨拶です。