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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

全生庵の御朱印(東京・台東区)〜鉄舟・圓朝・幽霊の競演

▼普門山 全生庵御朱印です。(臨済宗国泰寺派/東京都台東区谷中5-4-7 )f:id:wave0131:20211006183915j:plain

ぜんしょうあん」です。正確には「ぜんしょうぜんあん」。

右上の印は「山岡鉄舟居士開創」、続いて中央は「正観世音菩薩」、左下は「全生庵」でしょう。

 

葵正観音」は、かつて江戸城の守り本尊だったそうです。

元は日向の国の寺にあった像が、京都、江戸城、東京大塚と転々として、明治維新後は鉄舟の自宅から、ここ全生庵に移され本尊として安置されているそうです。

 

御朱印は、境内に入って左手の寺務所できちんと対応いただけました。

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▼ 寺は谷中墓地方面から「団子坂下」交差点に向かう通り「三崎坂」に面しています。

 

▼三崎坂には、こんな昭和の長屋のような家屋がまだ残っています。

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それでも一つ一つ消えていく運命ですが、リニューアルやリノベーションで新しい店舗が造られ、生き延びている家屋も多くあります。

 

御朱印の日付とは違い、写真のほとんどは2020年撮影です。

全生庵近辺の観智院前の木が紅葉していました。

f:id:wave0131:20211006183937j:plain左下は「初音六地蔵」と呼ぶそうです。

 

この付近の「三崎坂」は右を見ても、左を見ても寺院ばかりが続いています。

規模も大小さまざま、宗派もそれぞれで、現在では御朱印、御首題をいただける寺も多いようです。

 

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トップに掲載の御朱印の日付は2015年です。

その頃は谷中に寺は多しと言えども、御朱印、御首題をいただける寺はまだ少なかったように覚えています。

 

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とは言っても概ねネット上でのことであって、

初めて目にする寺の名称の御朱印、御首題を目にするたびに、掲載者が先駆的な「御朱印開拓」をされていることに感心させられます。

 

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そして、そんなネット上の御朱印を参考にさせてもらっていることに、掲載者に対して感謝の気持ちも湧いてきます。

 

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全生庵明治維新に殉じた人々を弔うために幕臣、政治家であった山岡鉄舟の発願により1883年(明治16年)に創建されています。 

 

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谷中の寺町が形成されたのは1657年の「明暦の大火」後とされていますので、

全生庵は比較的新しい寺と言えます。

 

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そうでもない寺も時々見かけられますが、谷中の寺院もほとんどがきれいに整備され、掃き清められ、植栽も手入れが行き届いていることに常に感心させられます。

境内が広ければ、それだけ手入れも大変になります。

全ての寺が寺男や墓守を雇えるわけではなく、住職や奥さん、家族の手による維持などと想像させられる寺も見かけられます。

 

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人々が常に気持ち良く参拝に訪れられるのも、裏で大変な努力がつ費やされているということです。

 

▼「本堂」

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▼「鐘楼」

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本堂裏手の傾斜地が墓地になっています。

▼その途中のお堂は「当境鎮守八幡大菩薩」。「当境」の意味は「この地域」?

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全生庵建立の立役者 山岡鉄舟が眠る立派な墓があります。

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▼「全生庵殿鐡舟髙歩大居士」と彫られています。

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▼そしてこちらは幕末から明治、江戸から東京で活躍した名人落語家、初代「三遊亭圓朝」の墓所f:id:wave0131:20211006184043j:plain

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▼碑文は圓朝と交流のあった明治の元老井上馨書によるものだそうですが読めません。

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圓朝は怪談噺も得意だったそうで、参考とした幽霊画のコレクターでもあったそうです。

▼その「幽霊画」コレクションが全生庵に残されていて、毎年夏に開催される「圓朝まつり」「幽霊画展」で公開されているそうです。       【写真は「全生庵」】

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▼高台で墓地を見守るのはゴールドに輝く「聖観音」。f:id:wave0131:20211006184017j:plain

手前の黒々とした石造りの地蔵像と対照的な明暗を表しています。

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▼境内にはたくさんの石碑も建ちます。こちらは「念ずれば花ひらく 眞民」。

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眞民」は坂村眞民(さかむら しんみん)と言い、仏教詩人で癒しの詩人ともいわれるそうです。

その詩です。

「念ずれば花ひらく
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか
となえるようになった そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった」

 

▼こちらは全生庵山号普門山」。古い寺号標なのでしょう。

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▼これは読めません。コーサンです。

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山岡鉄舟ゆかりの全生庵でしたが、

▼こちらにも鉄舟が再興した寺があります。

wave2017.hatenablog.com

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