▼五十稲荷神社の御朱印です。(東京都千代田区神田小川町3-9-1)
神社の読みは「ごとう いなり じんじゃ」もしくは「ごとお」です。
▼五十稲荷神社の御朱印(月替り・コスモス)。
「霜降」の文字は24節気のひとつで「そうこう」もしくは「しもふり」と読みます。
朝晩の気温が低くなり、霜の降り始める頃、現在の暦では10月23、24日頃と言われています。
御朱印の日付は10月24日でちょうど「霜降」ということになります。
▼五十稲荷神社の御朱印(限定・ハロウィン)。
「ごと〜 いにゃり」というふうに読そうです。
▼直書きいただけた、通常月替り御朱印の案内。
▼期間限定御朱印3種類の案内。
「ごと〜いにゃり」「にゃんだかんだ」「かんにゃづき」とダジャレが効いています。
ススキとカボチャの和のデコレーションがオシャレです。
▼この透けて見える衝立はグッドアイデアです。
授与口でガラス窓を締められるでもなく、奥に消えて揮毫いただく訳でもない、
されど双方が100%見えるわけでもない、衝立がちょうど良い距離感を作っています。
▼「きつねみくじ(500円)」を購入してみました。
神社の「おみくじ」には、ほとんど興味なく、購入するのは珍しいことです。
「キツネ」の中に何回も折りたたんで小さくした赤い紙が入っていました。
▼「中吉」でした。生活は「ホドホド」「中庸」「知足」がベストなのでしょう。
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▼神社は「神保町駅」をはじめ地下鉄駅がいくつもある交通至便な地に鎮座します。
どこの駅から歩いても数分でたどり着けるでしょう。
▼数年前、御朱印がいただけなかった頃にも1度訪問しています。
社殿などの老朽化が激しく「アバラ家」的雰囲気でしたが、キツネ様の棲家としての役割は十分に果たしていました。
2021年、改めて訪問します。
▼「神保町駅」から「靖国通り」を東に歩き「駿河台下」交差点です。
この地域は学生街であり、世界的にも大規模な古書店街、スポーツ用品店街、楽器店街としても知られています。
▼スキー・スノボ用品を始めとした「ヴィクトリア」本店はオールスポーツショップ。
▼靖国通りを挟んだ「ヴィクトリア」を見ながら、こんな路地を右に入ります。
▼大通りの喧騒から一気に人の気配がなくなります。先に緑の木が見えます。
▼参道もない小さな神社は、いきなり神社のものらしき黒い建物に目をひかれます。
▼最初に社殿の側面に見ることになります。
前回の参拝時にはあった陰気なブロック塀が取り払われていました。
▼神社前を一旦通り過ぎて、鳥居が正面になるように逆方向から歩いてみます。
▼こんなブランド酒の空き瓶を眺めながら進みますが・・
▼神社の鳥居は真正面にはとらえられません。
▼いずれにしても、神社はオシャレでモダンな雰囲気に一新されていました。
▼2021年に社殿、社務所の建て替えとともに境内の整備がされたそうです。
左手の社務所の建物は、建て替え前は「小屋」という表現が適当でした。
▼鳥居は古いものをそのままに塗り替えられたようです。
▼キツネたちも化粧直しされ、誇らしげで、気持ち良さそうな表情です。
五十稲荷神社の創建年は不詳ですが、慶長年間に「伏見稲荷大社」から分霊して祀られたのが起こりとも伝わります。
江戸時代には多くの大名屋敷内に稲荷社や、大名の地元から勧請された小さな神社がありました。
屋敷内に一般人は入れませんが、一部の屋敷では月次の祭日などには門戸を開放し、一般町民の参詣を許していました。
足利藩主の戸田家の屋敷内稲荷社でも、祭礼日の5日と10日には屋敷の門戸を開放し、一般町民の参詣を許可していたことから「五十稲荷神社」と呼ばれるようになったそうです。
当時は、足利鎮座の「榮富稲荷大明神」も合祀されたので「栄寿稲荷大明神」「栄寿稲荷神社」とも呼ばれていたそうです。
使われていない手水水盤と狐塚。隠し絵のごとくキツネたちが溶け込んでいます。
▼五十稲荷神社を出て周辺を歩くと「豊川稲荷」が見つかりました。
京都の街の角角に「お地蔵さん」が祀られているように、東京ではビルの角角に稲荷社や小さな神社が見られます。
▼神輿庫もありましたので由緒も祭りもある「豊川稲荷」のようです。
▼「駿河台下」交差点方面に戻り、古書街を歩いてみましょう。
靖国通り沿いにも古書店、専門書店などがひしめき合っていますが、
▼「神田すずらん通り」にも個性豊かな書店がひしめき合っています。
しかし日本の書店数は、この20年間で約半減しています。
ここ神田の書店街は大きな変化はないものの、人々の本離れの影響を受けていることは例外ではないようです。
ここ数年を顧みると、書店街のランドマーク的存在だった大きな書店が閉店・閉鎖を余儀なくされています。
もちろん生き残りと、ニーズを踏まえて新しい形としての書店を模索しているブックストアもあります。
「金次郎」は薪木を背負って「歩き読み」していましたが、
現代のここ古書街ではリュックを背負って「歩きスマホ」の若者も見かけられます。
そんなことが書店を閉店に追いやる一側面でもあるのでしょう。
▼もちろん変わらない、変わりたくない人々、店舗もあります。
「神田ぶらじる」の正式名称は「茶房 神田伯剌西爾 (かんだぶらじる)」です。
▼「さぼうる」は神保町の「変わらない」代名詞かもしれません。
▼もう少し前は「岩波ホール」のサインが目立っていたように思いますが・・・
衰退する古書街の店主たちに見てほしい、
神社の進歩発展のサンプル的存在の「五十稲荷神社」かも、と感じました。