▼吉水神社社の御朱印です。(
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▼吉水神社。
そろそろ桜の開花情報がTVなどでウルサイくらい放送される季節。
時の移りが速すぎます。小学生の頃は正月から桜の時期までは、もっと時間が長かったはず。
どうも今はその頃とは違う次元で生きてるようです。
花見で真剣に浮かれるほどミーハーではないつもりでいても、いざそんな花見場面に身を置けば、ヘソ曲がりもそれなりに浮かれたフリをします。
この時期は日に日に暖かくなる陽光の下、桜を目にしてヒネクレ者も無条件で心膨らむ思いになります。
たくさんの花の中でも特に桜は人を思わぬ世界に導く花木。
桜の季節を何回も経験していると、記憶にあるのは楽・悲・甘・苦で、何でもあり。
決して楽しい事ばかりではなかった。
自分の事などどうでもイイけど、日本列島サクラだらけになります。
南から始まって北海道までその開花情報は長きにわたり、その開花時期は同じ地域でもその高度によって違います。
ここ奈良県吉野山も「下千本」から「奥千本」まで4つのエリアに約600mの高低差があるから、その開花時期も少しずつ異なります。
ここは「中千本」になるのだろうか?
▼「一目千本」とかでこんな光景が見られるようです。借物の写真。
▼武士を捨てた西行は吉野山の奥千本、標高700m以上の庵で3年間、侘び住いをしました。
侘び住いを愛した西行。これは井原西鶴の画だそうだから、西行が生きていた時代とは相当かけ離れています。
桜が大好きだった彼は、時にはこんな時間もあったかもしれない。
悠々自適な暮らしとしたら、うらやましい!
西行法師のイメージともかけ離れるが、吉野山は平安時代には既に桜の木があったそうだから、彼のこんな姿も全くのウソッパチとは言えない。
まぁ絵画は好き勝手に描いて良いわけですが・・。
▼その庵を芭蕉も訪れているそうです。奥の細道を廻り終えて、帰り道にでも吉野に寄ったのかしら。
芭蕉は西行をかなり意識していたというか、好きだったんだろうね?
もしくは師と仰いでいた? でなければワザワザこんな山奥までやって来ない。
それも2度もです。
よくわからない! 「曽良」も同行だったのかどうかもわからない。
しかし、本ブログが訪れたこの時ははだれも歩いていない中千本「東南院」前。
▼「一目千本」が満開の頃、きっとこの道も「一目千人」となるんだろうなぁ。
東南院は境内にちょっと入っただけ。御朱印を貰うのもメンドーなのでパス?!
メンドー?
御朱印収集人の風上にも風下にもおけない。
御朱印をいただくのに限らず、忙しい時は昼ごはんを食べるのもメンドー!に感じる。
メンドーでも昼飯ヌキでは身体に悪い。
実は他の身体にワルイ事はケッコー好きなのですが・・・。
観光客はほとんどいないから、腹が減ってもお店がありません。
なんとか1軒見つけた。客は他に1組、店内も道路と同じく閑散としています。
何度も言いいますが豪華なゴハンの写真は基本掲載しません。
そんな機会も少ないから・・。
しかし、これはほぼ質素だから掲載。
きつねうどん、山菜、柿の葉寿司。
姿・形は質素だが、値段は「普通」、お味も「普通」。
普通が一番! でも普通を継続するのは一番難しい!!
高級旅館の食べ切れないたくさんのご馳走より、ホテルのオシャレな夕食より、この程度でマンゾクできる方が余程シアワセと思っています。
負けオシミ?????!!!
世の物事、比べたらツラくなったり、ゴーマンになったりするね!
と言うこと自体すでに比較してる事になるか?!
▼明治以前は僧坊だった吉水神社を訪問します。
▼ここも世界遺産。もとは寺。
あちらこちらに「世界遺産」の四文字が。
主
祭神が「後醍醐天皇」でちょっと意外っ!?
▼焼失して再建中の「勝手神社」仮殿。
▼ここで後醍醐天皇が南朝を開いた? なんとも山奥の朝廷だわね!
西行は奥千本の最奥で侘び住いを愛でたが、都を追われた後醍醐はどうだったのか?
何としても都を奪還して京都に帰りたかったが、ここ吉野で亡くなりました。
陵墓はここ吉野の如意輪寺にあり、京都方面に当たる北向きに葬られたとか。
すこし同情しようか?なっ。
この神社境内に見晴らしのきくビューポイントがあり、吉野の桜を一望できる「一目千本」の看板があります。
▼冒頭で掲載した借り物の写真をもう一度掲載。
▼訪れた時に同じビューポイントで撮ったもの。
桜がないと何の変哲も無い山の写真。オソマツ!
この時期、観光客が見当たらないのも理解できます。
「桜有り・桜無し」の落差がヒドすぎる!
秀吉がここで盛大な花見を催したのは有名。
派手好きな彼は京都醍醐寺の花見も有名。
吉野へは家康や、伊達、前田などの武将をはじめ5000人ほど供ぞろえだったとか。
ピクニックにしては京都から吉野へは遠いわねぇ!
それも吉野へ到着してからは3日間も雨が降り続いたとか。
怒って、イラだって、八つ当たりした秀吉の姿が目に浮かばないでもない。
竹中直人だけど、目に浮かんだのは・・。
ここ奈良県の山奥、吉野の桜は様々な人物とともに千年以上の歴史を紡いできたようです。
変わらずに、さらに千年の未来にバトンタッチできればイイわね!
昨日15日、高知県で桜開花宣言され、東京も開花まで秒読み段階に入った。
だからって、どうしたって言うのっ?
いや、皆さまには楽しい桜見物のひと時、花見の宴ができますよう祈ってます!
前回記事はグチだった! でも少しスッキリしました。
話すことや、書くことはグズグズ、モヤモヤした気持ちをいくらか解放してくれます。
読んだ人には不快だったかも? おユルシを!!!