奉拝の下のスタンプは「栃木県名発祥之地」?でしょうか。
中央の朱印は「下野之国 神明宮」。
神明宮ではこのほか「盛哉」の2文字を加えた見開きの御朱印もいただけます。
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天照大御神を祀る「栃木のお伊勢さん」です。
▼社標の「神明宮」は「明」の字が「日月」ではなく「目月」になっていますが、どういうことなんでしょう? 不思議です。日本国中の神明宮、神明社、神明神社、皇大神社、天祖神社はすべて伊勢神宮を総本社とする神社です。
別の記事でも同じことを書いていますが、自分自身のためのオサライです。というのも名称が何故これほどバラバラなのか不思議で理解に苦しむからです。
▼拝殿は「来るべきところを違ったかな?」と思わせるような寺院風で、不思議です。もとは明治期、尊皇愛国思想の教化のための施設で大教院、中教院、小教院と地域単位ごとにあったうち、府県単位の栃木中教院の建物を改修して拝殿としたそうです。
受け売りですので、まったく難解な内容は半分も分かりません。
▼扁額は「盛哉」。「哉」の字が何か足らないようで少しヘンです。 不思議です。そもそも人の名前以外は耳にしない言葉で、意味不明。
明治28年の日付がありますので中教院の施設にあったものをそのまま掲げているのでしょうか?
まぁきっと、現代で言えば「盛り上がってイコーゼ!」の掛け声?
写真は忘れましたが、この「盛哉」の奥に「目月」の「神明宮」の扁額が掲げられています。 不思議です。
▼天照大神はこちらの神明造の本殿に御坐す。鰹木、千木を合わせて「十千木」。「栃木」の由来ともなっていますが、他の説もあり、あやしげな話でもあります。
▼ですが、栃木市の市章は千木をデザイン化しているようです。
3kgの頭では、よく理解できない不思議イッパイの神明宮に頭クラクラしてきますが・・。
▼こちらの蔵は見るだけで大変分かりやすいクラです。東京の者にとって川越の街ほどポピュラーではなく、忘れらたような存在ですが栃木も小江戸であり、蔵の街でもあります。
▼川沿いの整備された遊歩道を進むと江戸時代にタイムスリップします。江戸時代から、この「巴波川」を利用した水運による交易で栄えたから街だから蔵が残っているのでしょう。「風情」の見本のような蔵並みが続きます。船頭さんの説明とともに小さな船で、ユラユラ遊覧するのも楽しいかもしれません。
▼8月にはこんな催し物も開催されます。