右上スタンプに「忍城下七福神」とありますが「おしじょうか」と読むそうです。
また行田八幡神社では上記の2種類のほか、境内社の「目の神社」の御朱印も授与されていて計3種類あります。
それにしても、どこの街にも七福神はあります。
もちろん多くは新しく開設されたものでしょう。「忍城下七福神」も2011年につくられたそうです。
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そもそも「忍城」も知らないし、「忍藩」と言うのも調べてから知ったこと。
そう言えば「おし」と読むのは、富士山麓に「忍野(おしの)八海」というのがありますが、東京では「不忍池」とか「忍岡」で「しのぶ」の読みの方が身近です。
▼その「忍城」の現在は博物館として復元されたものです。
「忍藩」は10万石という規模だったそうなので、そこそこの藩だったわけです。
▼そんな古くからの街に行田八幡神社はあります。
▼境内社の愛宕神社。御朱印をいただいた大国主神社の写真がありません。何をしているんだか?
理由はわからないのですが、神社訪問時は祭りでもないのにとっても多くの参拝者で混雑していました。
人の多いのに嫌気して、写真もそこそこに早々に切り上げたのです。
行田の駅は埼玉北部、熊谷の1つ手前にあり、市の北部を流れる利根川を渡ると群馬に入ってしまいます。
隣接する市の一つに「加須市」があります。
「かぞし」と読みますが、ワタシの周辺では「かすし」と、間違って覚え込んでいる人がいます。「かす」では、アンマリです。
事さように23区に住んでいる者にとって行田市とか、加須市などは縁がないマイナーな街なのです。
▼ところが埼玉県の名称の起源となった「埼玉(さきたま)古墳」があります。
▼古代蓮の里では42種類のハスが12万株もの花蓮を見ることができるそうです。
▼さらに江戸時代から足袋づくりが盛んな地域だったようで「足袋蔵」とよばれる蔵造りの建物が街のあちらこちらに残っています。行田の足袋は作業用や旅行用が多く作られ、昭和13年(1938年)には足袋生産量は8,400万足で全国生産の80%を占めていたそうですから驚きです。まさに日本一の足袋の街だったわけです。
和装を捨ててしまった日本人の多くは、足袋を履いたことのない人がほとんど。
そんなことから「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」として日本遺産に人てされているそうです。
▼そんな行田の歴史は「忍城博物館」でも知ることができます。
行田七福神の御朱印をいただきながら、知らなかった行田の街、歴史を知るのも悪くありません。