墨書きは「五方山 熊野神社」です。
寺院の山号と同じように「・・山」と冠する神社は、
つい最近記事にしたような覚えがあるのですが、具体的な神社名が思い出せません。
「・・山」と名乗る神社は珍しいなと感じながらも、
記憶がないのは大して珍しく思っていなかったのでしょう。
ブログ記事なんて無責任でも構わない、イイカゲンなものである典型みたいですが、
もともと百科事典を目指して記事にしてるブログではないのでお許しを!
立石熊野神社の五角形のトリカゴに入っているスタンプが押された御朱印は初めて目にしました。
御朱印右下のカラスは少し窮屈そうで「出せ、出せ!」とバタついているようにも見えます。
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▼熊野神社は、蛇行しまくりの中川の半島のような位置にあります。
「京成立石」の街は、距離的にはそんなに遠くない東京湾岸沿いに住む身ながら、全く馴染みがありません。
それでも民放TVで立石の飲み屋街、商店街は
東京の絶滅危惧種の一つとして度々紹介されますので、目と耳だけは知っていますが、それだけです。
▼ところが立石の熊野神社境内はこんな形をしています。
ペンタゴンです。
となると、立石の飲み屋街や商店街に興味はあるものの、それより先に神社を訪問しなければなりません。
何しろは五角形は算数、数学でお目にかかって以来久しく、
▼記憶として新しいペンタゴンはここです。
(写真はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/から引用)
日本軍に攻撃された真珠湾に継ぐ、米国の悪夢、9.11 米国に対する同時多発テロのタターゲットの一つにされました。
米国としては屈辱と怒りと憂鬱な記憶です。
同じ六角形でも神社は攻撃される事はないでしょう。
▼2017年1月の訪問です。
神門の白い神社幕には五角形に囲まれた八咫烏の神紋が明瞭です。
▼茅の輪がまだありました。
茅の輪は本来「夏越の祓え」で1年の前半の穢れを、
「年越しの祓え」で1年の間の穢れを落とし、新年を心身共に清らかな状態で迎えるという意味を持つものでしょうが、
最近はその期日期間が曖昧というか、柔軟になっている感じがします。
1年中常設されている神社も見かけるほどです。
▼2009年に建立された銅製の五重塔。
神社に建つ五重塔は時々見かけますが、金属製の塔は珍しいかもしれません。
2009年の建立にしては新しさは見られませんので、どこかから譲り受けたのかもしれません。
▼境内の一角にポニー舎。神馬扱いではないようです。
▼かなりガッカリして憂鬱そうな表情で、作り物のように動きません。
ポニーのこんな姿は誰しも愛おしく感じるに違いありません。
▼2020年5月。憂鬱なコロナ禍の再訪ですので御朱印は遠慮しました。
神社は平安時代中期、安倍晴明が熊野大神を勧請して創建されたそうです。
安倍晴明を題材にしてたくさんの小説やコミック、映画などにもなっていますが、一つも見聞きしていません。
陰陽師として呪術や、当時の科学であった天文道や占いなどに卓越した知識を持っていたそうですが、
その人物像は晴明の死後、神秘化され、創作的な部分も含め伝承によるところが大きいでしょう。
境内も陰陽五行説に習った正五角形をしていますが、
晴明がその形を作ったのか、
晴明がこの地を訪れる前から五角形だったのか分かりません。
また、なぜ晴明が関東にやって来て、
なぜこの立石の地に立ち寄ったのかは千年も前の事なので分かりません。
言い伝えですので詳細は不要でしょう。
晴明が熊野権現を勧請した後は、
悩まされていたこの地域の水害が治ったとも伝わります。
いずれにしても安倍晴明ゆかりの神社は、東京では立石熊野神社が唯一です。
社殿右手に境内社が続きます。
▼小さな稲荷社。
▼香取、稲荷、水神社。
▼楠の御神木は300歳以上とか。
▼裏参道鳥居です。
▼ペンタゴンはこんなところにもデザインされています。
▼今回も五重塔を見上げます。
▼小型で金属製ながら精巧な造りのようです。
神社には幼稚園が併設されているのでその関連の公園でしょうか?
五重塔から続く神社の敷地と思われますが、五角形の外です。
▼シマウマはすっかり溶け込んでいます。
イラストですが・・。
▼何種類かの動物たちが描かれていて、なかなか面白い発想の公園です。
▼子供達が喜びそうな造形が施されています。
▼ずいぶんハデなおしっこを飛ばしていると思いましたが、ブルーの網でした。
参拝者の少ない境内と公園を巡っていると
コロナ禍の憂鬱を忘れさせてくれました。
晴明の息吹は少ないものの、五角形の中も外も楽しめる神社でした。