玉造稲荷神社の御朱印
「たまつくり いなり じんじゃ」主神:宇迦之御魂大神(大阪市中央区玉造2-3-8)
筆書きは「玉作岡(たまつくりのおか)」。神社の正式名称は単に「稲荷神社」です。
▼社号標の先にも「玉作岡」の石柱が建ちます。鎮座地の住所も最寄駅も「玉造」。
▼いただいた紙製の「勾玉栞」。
ここまでくれば「玉造」「玉作」の意味がわかります。
神社周辺は古代、
三種の神器である「玉」を造る技術集団「玉作部」が居住していた事から神社名の起こりとなり、そしてここは今で言うところの「上町台地」である事から「玉作岡」となっています。
▼前回記事の大阪城から歩きましたが、1.5kmもなかったように思います。
▼「豊国神社」が鎮座する大阪城公園を後にします。
別れを告げた城を名残惜しげに振り返れば、地元の女子高生らに笑われそう!
▼風も強くなってきて足元のシューズをビショビショにしながら歩いていると住宅街の先に目的の神社が見えてきました。
▼冒頭に掲げた「玉作岡」の石柱が建つ表参道に向かいました。
これまで御朱印巡りの旅では10年間くらいの中で、本格的な雨に出会ったことがなく幸運でしたが、今回のこの日ばかりは大当たり!
何回も旅に出れば、何回かは雨に会って当然でしょう。
▼「神威照天地」「福寿満山海」の文字通りですから理解が易しいでしょう。
神社の言い伝えによれば創祀は紀元前になるので、現実的には不詳かつ全くの古社と言う事でしょう。
勾玉作りの時代からの伝承ですので不確かなことばかりですが、
当社は聖徳太子の祈願、豊臣、徳川の崇敬と保護を受けたものの、その間何回も神社の建物は戦火などにより焼失したそうです。
▼社殿も最終的には大阪大空襲で全てを失い、戦後に再建された建物が現存。
▼拝殿前の狛犬たちは雨に濡れて色を濃くしていますが、それほど古い造りではないでしょう。
前回記事でも記していますが、背中にリュック、左手にビニール傘、右手にカメラ代わりのスマホ。
ピントも、ブレも構わず闇雲にスマホカメラのシャッターを押すものの、撮影結果は散々。
今回の旅は、安物の重い一眼レフを持ち出さず、古いスマホのiphone「SE」をカメラ代わりに使用。
さすが現使用の「X」とはカメラとしての使用のクォリティは違うようです。
▼「白龍池」に観音さまが現れ、雨乞いの神とされてるそうですが、現在雨はたっぷり降り注がれています。
▼「万慶稲荷神社(まんけんいなりじんじゃ)」と「新山稲荷神社(しんやまいなりじんじゃ)」。
戦国時代から江戸時代に大阪城内や武家屋敷内に祀られていた稲荷社がここに集められています。
▼狐たちも雨に濡れながら何やらヒソヒソ話。
▼こちらは読みが難しい「胞衣塚大明神」。「よなづか」と読みます。
胎児を包んでいた膜や胎盤のことを「よな」と言い、豊臣秀頼が淀殿から生まれた時の胞衣(よな)が祀られています。
雨はますますひどく、風も強くまるで嵐状態になってきて、とてもゆっくり参拝できる状況ではありません。
▼資料館や秀頼奉納の鳥居などなど、この神社はまだまだ見所いっぱいなのですが、残念ながら嵐のため写真も撮らず、見逃した箇所も多数。(▼写真は「玉造稲荷神社」)
「玉造人」と「秀頼」に逢いに行く、と題していますが、アラシのため
ほとんどすれ違ったに過ぎないような参拝に終わった玉造稲荷神社でした。
しかし御朱印がいただけただけでも幸いでした。
▼午後1時過ぎ、嵐の雨宿り! 朝早かった新幹線内での弁当以来でハラペコ。
行き当たりばったりで入店したのですが、地元では有名店のようでした。
▼シンプルなラーメンと唐揚げをオーダー。
麺、スープ、具材とも文句なし!
何と大阪でラーメン食は初体験、とっても美味しかった。
▼それにしてもこのネーミングは意味不明な摩訶不思議?
ファンタジスタ、トランジスタ、「メンタジスタ」なのでしょうか?
ゴチソーさまでスタ!