御朱印はいただけるかどうか分からなかったのですが、ご住職が丁寧に対応くださいました。
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▼寺と隣接する北澤八幡宮の参拝時に、趣のある山門を見つけ訪問してみることにしました。
▼新緑を背に風情ある山門は、御朱印の有無に関わらず境内に入ってみたくなります。
「粟嶋の灸」と書かれた看板が、この時点では意味不明でした。
▼分かりやすい境内図がありましたが、北澤八幡宮の隣りですので江戸時代は別当だったのでしょう。
▼きれいな境内に足を踏み入れると何度も振り返ってみたくなります。
▼ツツジはもうほぼ咲き終わったようです。
境内に見えるお堂は後回しにして・・・
▼まずは本堂に向かいます。松の緑も光っています。
▼幼稚園が併設されているせいか「こいのぼり」が泳いでいました。
寺の境内に鯉のぼりは見慣れず珍しく思いますが、子供の節句、ひな祭り、そして七五三を祝すなどは、本来神仏とは直接関係ない行事かもしれませんが、子供の無事な発育を願い、成長を感謝するのに現代では対象としての神仏は欠かせないかもしれません。
▼ガラス張りの確か八角形。境内で異彩を放つお堂は弁財天が祀られていました。
▼こちらは不動堂・閻魔堂。中に入れました。
▼ギャハハッ、の閻魔さんです。
▼淡島堂拝殿です。
全国にある淡嶋神社の総本社、紀州の淡島神社から江戸時代初期に勧請して森厳寺の境内に祀られたそうです。
▼江戸名所図絵にも「北澤 粟島社」とあります。
江戸時代から「淡島の灸」「淡島の針供養」として知られていたそうです。
山門のカンバン「粟嶋の灸」の意味がだんだん分かってきました。
ここは寺としてより「淡島さま」として有名だったようです。
森厳寺は隣接する北澤八幡宮の別当でもあるのですが、もともと淡島明神社の別当だったのでしょう。
近くに「淡島通り」という名称の道路があるのも、古くは世田谷区代沢の旧町名が「淡島」と呼ばれていたのも、灸や針供養で有名なこの神社が元になっているのでしょう。
「粟嶋」が「淡島」に変わったのは、どうしてか分かりません。
淡島堂は小振りな社ですが装飾の彫刻はなかなか見事でした。
淡島堂と言う名称のお堂は、あの浅草寺境内にも「女人守護のお堂」としてあるそうです。現在でも針供養が行われるそうですが、浅草寺は何回も行っているのに気づきませんでした。
浅草寺のことは粗方知っていると思ってましたが落第です。
世田谷には昭和に区民によって選ばれた「せたがや百景」があり、森厳寺も選定されているそうです。
▼季節になればイチョウの巨木も境内を黄金色に輝かせるに違いありません。
混乱する春から夏が過ぎたら、黄色に染まる境内を何の気兼もなく訪問でき、御朱印もいただける普通の秋が訪れる事を願うばかりです。