▼簸川神社の御朱印です。(東京都文京区千石2-10-10)
簸川神社の読みは「ひかわじんじゃ」です。「氷川」ではなく「簸川」と表すのはこの神社だけのようです。
御朱印には「江戸七氷川」「ねこまた氷川」の印がありますが、どちらも知識のないものです。
しかし「江戸七氷川」は東京で御朱印収集をしている者ならば、多くの人がその名を知っているとか。
そこで詳しく解説されている【古今御朱印覚え書】さまのサイトで勉強させていただきました。
江戸に鎮座していた七所の氷川神社だそうです。ありがとうございました。
「ねこまた氷川」については「いぬたま・ねこたま」もしくは「ねこまたぎ」くらいしか知りませんが、
「たま」ではなく「また」でした。
これも【坂のプロフィール】さまでお勉強。
「ねこまた」は猫又、猫貍、猫股などと書き、日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などに出てくるネコの妖怪だそうです。
その妖怪話の一つの舞台になっているのが、簸川神社近くで現在の「不忍通り」に「猫又坂」があり、かつては「猫又橋」もあったそうです。
いやぁ〜、ネットは便利です。
こんな内容のサイト、人の役に立つブログに敬意を表します。
▼御朱印は社殿左手の社務所窓口で丁寧に対応・記帳いただきました。
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▼簸川神社は「千川通り」から少し北に入った高台にあります。
「千川通り」は、かつての「千川上水」が暗渠化され、道路に使用されています。
▼神社の周辺はほぼ住宅街ですが、隣接するように「小石川植物園」があります。
植物園の正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」とやたら長い名称ですが、四季折々の木々が素晴らしい姿を見せてくれます。
▼その植物園の西端に社号標が建ち、神社の入口があります。
車で入れそうで駐車場も見えますが「車両進入禁止」のカンバン。
▼しかたなく神社前を左に進みます。mapで確認すれば神社裏にも駐車場がありそう。
道路は途中からさらに狭くなり進みたくない細道です。
▼案の定、行き止まりのように思える道ですが、くじけず、ここを90°右折。
▼進むのを躊躇させられる急勾配の細い道は一通ではありません。
▼ヒヤヒヤして登り切った坂上に横道が見えました。
駐車場の案内はありませんが、見当をつけて右折すると無事、神社境内に入れました。
慣れてしまえば何てこともない進路ですが、運転に自信のない方は入り込まない方がいいかも。
あるいは逆方向からの進路ならば急坂を登ることはないでしょう。
▼急坂は「氷川坂(簸川坂)」だったようです。
▼神社境内駐車場から「氷川坂(簸川坂)」を徒歩で戻って正面に回ります。
▼「御大典記念」碑は大正六年の文字が刻まれています。
▼清々しい「一之鳥居」。
▼簡潔に非常にわかりやすく書かれた神社のガイド板です。
▼「進入禁止」だった駐車場は関係者専用のようです。
▼その奥の建物は・・・
▼「小石川の杜」? 神社の持ち物のマンションでしょう。
東京の神社の多くはマンションなりビジネスビルを所有しています。
どのような経営で神社が成り立っているかを考えると、最近とみに気になるのが社務所や敷地内のビルです。
ゲスの勘ぐりにならない程度に観察してしまいます。
▼石段の上に「二之鳥居」です。
由緒によると簸川神社の創建は孝昭天皇の時代とされているので、紀元前ということになります。日本書紀の世界です。
のちの平安時代後期、源義家(八幡太郎)が奥州下向の際に祈願したとも伝わります。
その後もこの地域で衰退、再興、遷座などを繰り返す中、江戸時代には「氷川大明神」として「江戸七氷川」に数えられています。
明治に入って「氷川神社」へ改称。
さらに大正時代に現在の「簸川神社」へ名称を変えています。
「簸川」は普段使わない文字を含み読めませんが、かろうじて「簸」に「皮」の文字が含まれているので「ひ」と読むことを納得できます。
出雲国「簸川」にちなむそうです。
▼現社殿は1958年の再建。2021年6月は「茅の輪」が設けられていました。
▼「茅の輪」を潜る前に背中に気になる社が・・・
旧社殿かと思いきや、神社入口にあった説明板によると「五社神社」だそうです。
▼庚申塔が集められています。
どこでも見かけられる庚申塔ですが、江戸時代に大流行した民間信仰は現在では忘れられてしまい廃れてしまった信仰と言えるでしょう。
▼境内社は「水神社」と「稲荷社」。
▼小さな社ですが、それぞれ龍が彫刻され手抜きはありません。
▼何のショーケース?かと思うモダンな造りは、神楽殿の「水谷殿」。
▼順序が逆になりましたが「茅の輪」を潜って拝殿でお参りです。
コンクリート製ですが、凛として立派。好感の持てる造りです。
▼かつては景勝地だった高台には集合住宅が並びます。
イワシが獲れすぎで猫も食べなく、またいで過ぎる「ねこまたぎ」とは
まるで関係のない「ねこまた氷川」に鎮座する神社でした。