前回記事の八坂神社の近くにある龍ヶ崎観音。
▼東福山 龍泉寺(天台宗・茨城県龍ケ崎市下町)の御朱印です。
御朱印をお願いしていると、紺紙金泥の書置き御朱印がある旨の案内に気づいたので、そちらもお願いすると、寡黙そうな住職は快く「はい!」。
こちらの紺紙の御朱印はいつでもいただけそうだ。
期間限定とか、セールスまがいの言葉もなく「こんなスタイルもあるよ」程度のさりげなさが良い!
300円と500円。千円札をそのまま納めていただきます。
こういう場合は、たいてい「じゃ、お賽銭として・・」という言葉が返ってきます。
わたしも「お願いいたします」と返します。
数行前に「寡黙そうな住職」と書いたけど、ワタシもこの時は無駄口たたかず「寡黙」に去る。
人は、1回だけの出会いでは何も分かりません。
▼寺はオープンなイメージで好感が持てます。
門が固く閉ざされ、通用門だけ出入りができる構えの寺も多々あって、そういう寺は御朱印収集人にとっては「何とでもなれ、えいっ!」と入る、勇気の必要な寺となります。
しかし、この寺のように門戸を広く開けていると、わたしたちもホッとすわね。
敷地を囲む塀も低く、地域の人たち、訪れる人たちに寛容な心広さを、勝手に感じます。
▼手水舎もたゆまなく水が流れます。ここまでで、おおよそこの寺の性格がわかります。
もちろん、住職が変われば寺も変化するでしょうけど。
▼木陰にベンチとアッシュトレイが置いてあります。
▼ベンチに腰掛け蝉の鳴き声を浴びていると、観音さまが微笑んでくれます。
▼古い奉納額がたくさんある。
奈良時代の創建だそうだけど、当時の様子は想像もつきません。同じこの場所にあったとしても、おそらく小さなお堂が一つ?
▼この姿勢の賓頭盧尊者は初対面。足だけ「中宮寺 半跏思惟像」のようだけど、やや投げ出しているような感じがおもしろい。左足の下は蓮台かしら?
▼こんなお堂が2つあります。供物に参拝者の心が少し見えてくる。
▼子供を抱いている地蔵は確か「子安地蔵」?
▼母が子を思う心を形にすると、こうなる?
▼観音か地蔵か分からないが、お腹あたりに文字が刻まれています。
▼「念ずれば花ひらく ??」読めない!
調べてみると「??」は「真民」だった。
真民? 日本の仏教詩人「坂村真民(さかむらしんみん)1909-2006年」だそうだ。
▼地蔵さんたちは、どこでも、いつでも愛らしく優しげです。
▼原始的な、自然な人間からドンドン遠ざかる ワタシたちは、子を授かることさえ、今や当たり前ではなくなりつつあるようです。
欲しいのに得られない子、欲しくないのに生まれた子、
そして、5歳の子の最後の言葉
「あしたはもっともっと できるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして」
不条理はこの世から無くならない!
▼水子地蔵たちは微笑みながらも、少し悲し気。
これからもこの寺が多くの人々に救いと、眩しいくらいの希望を与えられますよう願うばかりです。