錦屏山 瑞泉寺の御朱印
山号「錦屏山」の読みは「きんぺいさん」。
「どこもく地蔵尊」奇妙な名称です。
▼御朱印は山門をくぐった先の建物内でいただきました。庫裏?寺務所?方丈?
▼円覚寺など北鎌倉の寺院に次いで知名度の高い寺ですが、鎌倉駅からは遠い。
瑞泉寺は1年を通じて様々な植物が楽しめる花寺として知られていて、
メジャーな寺院ですが、鎌倉駅から直接歩くと30分以上必要です。
もちろん観光都市鎌倉は主な寺社方面に向かうバスが数多く運行されています。
でも多くの観光客は荏柄天神社や鎌倉宮などを訪問し、その延長線上で瑞泉寺を参拝することが多いかもしれません。
何度も訪れていて、謂わゆる「土地勘」もある鎌倉ですが、
何しろ山々に深く狭く切り込むような「谷戸(やと)」の多い土地柄なので、
ある地点から目的地までの最短距離を探っても、
山を大きく迂回するようなルートしかない場合があります。
2023年に訪問したのは「光触寺」を参拝した後で、
瑞泉寺へ向かうのには金沢街道を西に戻るように山を大きく迂回する3kmほどのルートが普通でしょうが、
直線距離はもっと短いはずと、googlemapで探したら、ありました。
▼「天園ハイキングコース十二所側入口」から進むルートが見つかりました。
距離は半分くらいになって1.6kmほど。
▼光触寺をあとにして十二所の住宅街を抜け山に入ります。
「天園ハイキングコース」のメインルートに合流する登り口です。
しかしこのルートを使用する人は少ないようで道は狭く荒れ気味で、何よりは藪が頭上に覆いかぶさっていて屈むように進むことになりました。
ルートの難所は標高差70m、その距離400〜500m。
ですが、たかをくくってしまいました。
▼ところどころぬかるむ登山道に足を取られ、藪漕ぎのような気持ちです。
建長寺から瑞泉寺に至る天園メインルートは、よく整備されていて、こんな狭くぬかるんだコースではないはず。
▼「天園ハイキングコース」メインルートに合流直前はこんな道です。
googleさん、やってくれます! 確かに徒歩最短ルートでした。
これはgoogleの車ルート最短案内でも経験していることなので拍手ものです。
▼メインルートと合流するとやっと空が見えました。ここからは下るだけです。
瑞泉寺参道途中に降りてきました。
▼少し西に戻って「総門」から参拝スタートです。
▼総門から山門までは200m以上あります。
▼フラフラッと梅の木の小径に入っても進めます。
▼車での訪問ならばこの先まで進んで、拝観受付の先に駐車スペースがあります。
▼「史跡瑞泉寺境内 名勝瑞泉寺庭園」の石柱が建ち、なだらかな石段が続きます。
▼「夢窓国師古道場」の石柱。夢窓国師(夢窓疎石)は瑞泉寺の開山。
語呂が似てますが麻雀の「国士無双」ではありません。
禅僧「夢窓国師」は作庭家でもあり、京都天龍寺や西芳寺の庭園が有名です。
▼少し急ですが、左手に古刹ならではの趣のある旧石段へ進むこともできます。
▼そして、やっと「山門」です。
▼山門周辺にいくつかの石碑が見つかります。
▼「松陰吉田先生留跡碑」と書かれています。
1854年、吉田松陰は米国への密航を実行する前に、伯父である瑞泉寺住職に会いにきたと伝わります。
松陰は何度も瑞泉寺に足を運んでいたようです。
▼「山崎方代歌碑 」。「やまざき ほうだい」は甲府出身の歌人。
「手の平に豆腐をのせて いそいそと いつもの角を曲がりて帰る」
▼「吉野秀雄歌碑」。吉野は明治生まれの歌人・書家・文人墨客。
「死をいとひ生をもおそれぬ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」
▼山門手前右手にあるのが「手水場」のようです。 水盤もないので皆んな見逃します。
この創りは夢窓疎石のセンスかもしれません?
▼ここまで相当の道草でしたが、いよいよ山門をくぐりましょう。
▼山門の先の風景です。
▼傍らには半跏趺坐の像。地蔵?
▼鐘楼は「錦屏晩鐘」という名称がつけられています。
鐘楼周辺には大宅壮一の文学碑なども見かけられます。
瑞泉寺は開山当初から禅宗文学が盛んで、鎌倉には近代まで多くの文人が集い、住み、多くの文学作品が生まれています。
そんな経緯から鎌倉では文士たちの文学碑が数多く見られるのでしょう。
▼「本堂」です。
瑞泉寺は1327年、開山を夢窓疎石として鎌倉幕府の幕臣により創建されています。
当初は瑞泉院と呼ばれ、鎌倉公方足利家の菩提寺となっていたそうです。
また夢窓疎石は円覚寺、南禅寺、浄智寺などの住職にも就いていました。
▼瑞泉寺に観音堂はないので、「鎌倉三十三観音」の千手観音は本堂内に待つあっれているのでしょう。
梅の木が目立ちますが、瑞泉寺は1年中様々な花で彩られますが、さすが1月は水仙が見られるだけでした。
▼境内左手奥に鎌倉二十四地蔵尊の「どこもく地蔵」が祀られている「地蔵堂」です。
「どこもく」とは何とも奇妙な聞きなれない言葉ですが、
その昔、地蔵堂の堂主があまりの貧苦から逃げだそうとすると、地蔵が夢枕に現れて、「どこもく、どこもく」 と告げたそうです。
苦しいのはどこも同じ「どこも苦」、そこから逃げ出すな、ということのようです。
語呂から妙な文字を想起させられました。
「DOCOMO 苦」では叱られそうですが「DCOMO 9」ならば大丈夫でしょう。
でも近頃のDOCOMOの業績は悪くないようで「どこもらく」が適当かもしれません。
地蔵堂前には大黒、布袋像もありますが、堂内奥には高さ160cmくらいありそうな立派な地蔵像が立ちます。
▼本堂裏手からは茶室も見え、天台山、錦屏山を背景とした夢窓国師が作庭した名勝「石庭」が続いています。
▼石庭は時間や季節のよって様々な表情を見せるのでしょう。
岩盤を掘り込んで作られた冬の石庭は迫力はありますが、寒々と荒涼たる姿のようにも見えます。
同じ「石庭」でも京都の龍安寺などとは趣がかなり異なります。
やはり「史跡瑞泉寺境内」は、様々な花が咲き誇る時季の訪問がベターでしょう。
▼2月中旬には数多い梅の木も花がほころび始めます。
▼「どこもく」の下界へ戻ります。