授与所には境内社二社の御朱印を含め、何種類もの御朱印サンプルが並んでいました。
スタンダードな神社印と令和の御朱印をいただきました。見開き扱いでした。
神社印は鶴が羽ばたいているデザインでしょうか? 「令和」の筆書きとともに見事な筆さばきです。
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▼神社は茨城県の最西端にあります。日光街道や東北新幹線の西になりますので何となく茨城県という感じがしません。ほとんど群馬か栃木というイメージです。
車でないと訪問しづらい神社で、鉄道ですと東北本線の「栗橋駅」からタクシーかバスになりそうですが、バスは1日3便しかないそうです。
下道で自宅から北に向かう場合、google map は国道4号線、日光街道を使わせません。
▼小岩近辺から野田を抜けるまで、ひたすら江戸川堤防下の道を走るように誘導されます。もう何度も使わせられた道ですが、今回の光景は初めて!
江戸川堤防は菜の花が満開でした。それも延々と続きます。気が遠くなるような菜の花の数でしょう。
しかし堤防沿いの道路は延々と狭いのです。信号はほとんどありません。
空いている道なので他の車も結構なスピードで走ります。
菜の花の道を行くようでとても気持ちが良いドライブのですが、対向車とすれ違うのにもほとんどギリギリに近い道幅は気を抜けません。
そんな道路なので一般的な車についているカーナビは誘導しない道です。
たまにスリルある道に誘導させる google map のコワイところでもあります。
▼そんな道を含め、1時間40分ほど費やして10時頃神社に到着です。
何かと特徴ある御朱印で目を引く神社ですので、参拝者も多いのかなと思いきや、他に訪問者は見当たりません。
朝10時というと神社参拝には決して早い時間ではないのですが人はいません。
▼でも八部咲きのサクラはキチンと参拝者を迎えてくれます。
一の鳥居も二の鳥居も幟が立てられています。神社が息をしている合図です。
▼手水社には珍しいミニ手押しポンプです。ちゃんとポンプの上下で水が出ました。
▼手水社の裏にはこちらもミニの傘が満開。どうやらおみくじのようです。
寒くなく、暑くもなく、桜の花の下の境内は気持ち良い春を独り占めでもったいない気がします。
「鶴峯八幡宮」は「つるがみね」と読むそうです。
しかし神社でいただいたハサミ紙のHPアドレス案内には「tsurumine.jp」となっていて「が」がありません。どちらでもよい事ですが・・。
ところで「鶴」の文字が使用されている神社は数多くあります。なかでも「鶴峯」は多くあって「鶴峰」「鶴嶺」だったりしますが。読みは少しづつ違うかもしれません。
千葉県には「鶴峰」と呼ばれる神社が三社もあるとか。
そのうちの市原市にある「鶴峯八幡宮」は未訪問ですが、やはり御朱印が人気で「関東三鶴」とも呼ばれているそうです。
「関東三鶴」は鎌倉市の「鶴岡八幡宮」、館山市の「鶴谷八幡宮」そして三社目が当社だそうですが、諸説あって富津市の「鶴峰八幡宮」を三社目とする見解もあります。
この神社はそんな「関東三鶴」とは関係のない古河の「鶴峯八幡宮」ですが、
一の鳥居の幟には「源頼朝創建 鶴岡八幡宮 分祀」と書かれていましたので
「関東三鶴」と全く無関係とは言えません。
▼流造りが美しい本殿です。
▼社殿裏にある御神木は3本連なっていました。「樫」の木だそうです。
▼こちらは日光街道「旅の神」。江戸時代から日光街道を行き交う人々が旅の安全と足腰の健康を祈願したのでしょう。
祈願法は左・右・左の足踏みを3回繰り返すそうです。それにしても日本にはいろんな神がいるものです!
▼いくつもの神社が集められています。
▼「春日稲荷天神社」は「握り参拝」と言って、願いを込めて鈴の緒の先に付けられた「棒」を握るそうです。
本社の拝殿で柏手を打ち、旅の神社で足踏みし、天神社でニギニギする、と何かと楽しく忙しい神社です。
▼「鶴岡八幡宮の御榊」は鎌倉からこの神社にいらしたものなのでしょうか?
▼最後に地元古河出身の自由民権運動従事者「小久保城南」に挨拶して帰ります。
明治期の自由民権運動さえもよく知らないので、本当は全く知識ない人ですが、
ハイ!お辞儀!!
帰る頃には他の参拝者の車が2台、3台と現れました。
やはり地方ナンバーでした。