氷川女體神社の御朱印
武蔵一宮「ひかわ にょたい じんじゃ」(さいたま市緑区宮本2-17-1)
女體=女体です。
メインの神社印「武蔵一宮」は新しくなっていました。
朱印は神社名ではなく「一宮」を強調したいのかと勘ぐってしまいます。
両年ともいただいた御朱印は、ありがたい事に直書きいただいています。
▼氷川女體神社の御朱印(2021年)。
神社前は「見沼氷川公園」になっていますが、
かつても神社周辺は「見沼(みぬま)」という広大な沼でした。
そこには竜神が棲んでいたという伝説が残っていて、
古くから「竜神さま」を祀る祭祀「御船祭(みふねまつり)」が行われてきて、その祭りを執り行っていたのが当社です。
御朱印にスタンプされてるグリーンの龍は、その「竜神さま」を表しているのでしょう。
とは言え、2015年にはそんな「竜神さま」をアピールするスタンプなどありませんでした。
▼氷川女體神社の御朱印(2015年)。
その代わりと言うか、2015年には右上に「女體宮」の丸印が押されています。
▼一般の御朱印帳にはこの3種類の中から記帳いただけます。
▼氷川女體神社にいわゆる最寄駅はありません。
一番近い武蔵野線「東浦和駅」からは3km近くありますが、東浦和駅からバスが出ています。
降車するバス停「朝日坂上」からも徒歩5分以上あるようです。
▼神社前は用水路が流れています。
▼赤い「氷川女體神橋」の先の公園内には、かつて神社が行なっていた「磐船祭 祭祀遺跡」があるそうでうす。
神社は小高い丘の上に鎮座します。
▼参道となる石段の写真は2021年と2015年の訪問時撮影が混在しています。
でもその区別がつかないほど、6年間に変化はありません。
鳥居には「武蔵国一宮」の扁額が誇らしげに掲げられています。
▼石段を上がって境内から振り返った鳥居です。
「武蔵国一宮」と称していますが、同じ一宮、同じさいたま市内でも、その参拝者の数は大きく異なります。
もちろん境内の広さも比べ物にならないし、何と言っても交通の便が悪いロケーションが影響しているのでしょう。
それでも2021年は数組の参拝者と出会いました。
2015年の夕方近くの参拝時は全く人の気配がなく、社叢による薄暗さと寂しさばかりが記憶に残っています。
当然、御朱印も1種類だけでした。
2021年は4種類の御朱印が用意されているのですから、それだけ参拝者の数も6年前からは、いくらかでも多くなっているのでしょう。
それだけではないでしょうが、やはり御朱印の「力」もバカにできないものになっているのでしょう。
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと記されています。
「稲田姫命(いなだひめのみこと)」と表現する場合もあります。
もう一つの一宮、大宮氷川神社(主祭神:須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたるそうです。
「氷川女體神社」の神社名はそこに由来するのでしょう。
「女體神社」と言う名称を持つ神社は、他にも数多くありますので祭神は同じく奇稲田姫命や伊邪那美命なのでしょう。
▼美しい姿の本殿は鰹木が4本。
次のような俗説があります。
男神を祀った神社は、鰹木が奇数本、千木が外削ぎ。
女神を祀った神社は、鰹木が偶数本、千木は内削ぎ。
千木は先端が
垂直に削られているのが外削ぎ、
水平に削られているのが内削ぎ、だそうです。
あくまでも俗説ですので、根拠はあいまいで、この説に当てはまらない神社も多くあるそうです。
▼「椨の木」の案内板が立っていました。
「たぶ」と、ルビが振ってなければ読めませんでしたが「タブノキ」でした。
▼そしてこの御神木は、7、8年前のことですが、TVの「ナニコレ珍百景」で紹介されています。
古木にコブができ、偶然に奇妙な姿を形成することは多く、
キツネ、蛇、龍、ハート形、神官の姿など様々な形を見せることがあります。
偶然とは言えその形は動物が多く、この神社では「クマ」さんのようです。
いくつかある境内社を見ていきましょう。
▼境内東側に建つ「龍神社」は、龍神伝説の「見沼の龍神」が祀られています。
氷川女體神社の原点と言えるかもしれない「龍神社」です。
▼東屋は休憩所になっています。
▼「稲荷社」。
▼こちらも「稲荷社」のようです。
▼そして「御嶽神社」です。
▼「神輿庫」。
▼神輿庫の前に「彩のかがやき」と「こしひかり」が植えられた小さな「神饌田」。
▼「参集殿」。
ブログタイトル副題で「もう一つ」の武蔵 一宮 としましたが、
大宮氷川神社の記事でも書いた通り三社が「武蔵一宮」と称しています。
さらに「大宮氷川」と「氷川女體」「中山神社(氷川簸王子神社)」の三社を一つの神域とした「氷川神社」であったとする説もあるそうです。
氷川女體神社は「もう一つの一宮」ではなく「確かな一宮」とも言えるかもしれません。