▼同じく奥宮の御朱印。でも「仮殿奉拝の証」のスタンプ付です。
▼同じく2012年の御朱印。
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▼当神社のHPに掲載されていた絵ハガキです。明治〜大正時代の穴守神社の写真を色付けして当時に絵ハガキにしたもののようです。
賑やかな鳥居周辺の様子が、何か妙に艶やかな色気と風情があります。女性の姿が数人写っているからでしょうか?
江戸時代から戦前までは門前町や鳥居前町は遊興の場所でもあったりして、現代よりも繁華だったことでしょう。
上の絵ハガキは神社がまだ現在の羽田空港の敷地内にあった頃のものです。
神社は戦後、羽田空港拡張のため地域の住民もろとも、現在の地に強制移住させられたそうです。
▼現在もポツンと大鳥居だけ空港敷地内、羽田空港一丁目に残されています。もっともこの鳥居も、相次ぐ空港拡張のため元々の位置から移設されているそうです。
▼以下4枚は2012年時点の穴守神社の写真です。綺麗に整った境内でした。
▼本殿右手にあった「奥之宮」は、とっても良い雰囲気を持っていました。
▼ここからは2019年の写真です。神社の東側にある鳥居。
▼こちらは南側の参道になります。
▼社標がある西側のこの参道が表参道に当たるのでしょうか?
▼進んで境内に入ると2019年5月時点では大規模な工事が行われていました。
▼竣工は2020年3月だそうです。
▼主な建物の拝殿、本殿、社務所、神楽殿はそのまま引き継がれそうです。
どうやら主な建物を除いた境内の防災上懸念される植栽と、老朽化した奥宮とその参道の整備が主な目的のようです。
▼朱の鳥居も神楽殿の横に並び重ねられていました。冒頭掲載の7年前の写真の奥宮は、しっとりとした、少し薄暗い感じが好きだったのですが、2020年にはきっとパァーと明るい奥宮になってしまうんでしょうねぇ?
防災上が理由ではやむを得ないのですが、個人的には少し残念な気がします。
▼ご覧のように、お狐さまも今は大人しく竣工を待ちわびています。
▼狐塚にあったお狐さんたちでしょうか? こちらもひと塊りになって耐えています。それにしても東京周辺では改修、整備中の神社が多いように感じるのはワタシだけかしら?
神社だけに限らず寺も、境内は砂利石や土からタイル状の石張りになったり、カフェが出来たりと、途方もなく明るく開放的で現代的スタイルを目指す造りに向かっている。
これまでは寺社に併設されているのは、主に幼稚園などの保育・教育施設だけ。それだけでは人は集まらない、憩えない。
そこが変化してきて、女子を中心とした若者たちに、寺社の境内利用が彼らのライフスタイルの一部として、もっと身近なものとなるようにとの試みなのでしょうね。
記事冒頭に掲げた絵ハガキが現代版になったような、賑やかで、明るく、色気のある寺社のスタイルとして人々と共存を目指すのでしょうが、これも有名寺社と都心部に限られるんでしょうねぇ?
地方の弱小寺社の戦略が限定御朱印だけでは限界があります。
時代の様々な流れと動きに、大きく媚びず「みざる いわざる きかざる」のスタンスを取る寺社もあります。どちらも未来を見据えての方向なのかもしれません。
▼奥宮はここに集められていました。
▼仮殿にいくつもの神社がところ狭く一堂に祀られています。
神社の「穴守」という名称の由来と、この「招福砂」の2つの言い伝えは、元は江戸湾の沿岸沿いの神社ならではの面白いものがあります。
また江戸時代には「穴守」という言葉から、遊女たちの信仰も集めたと wiki に載っています。
ぜひ自身で調べてみてください。
▼「御神砂」はオタマで掬って、小さな紙袋に入れて持ち帰るようになっています。
▼「招福には玄関へ、病気平癒の場合は枕元の下に・・」だそうです。深く考えずにいただいてきた「御神砂」、ワタシの場合は撒くのではなく、やはりおバカな頭、枕の下が適した置き場所でしょうか!