「阿字観」というものがある。
「wiki 」によると以下の如し。
空海を宗祖とする真言宗に坐禅の行はないと思うが、それと同じような目的の瞑想法でしょう。
▼これです。(写真「西の国から」)
勇んでこの行を経験したいとは思わないからよく分からないが、
禅宗の座禅で向き合うのは、せいぜい僧堂内の板張りで目にする対象はない。
しかし真言宗で行なう観法としての「阿字観」は、梵字の「阿」と向き合うそうだ。
▼そこで今回も「Adobe Firefly」の登場。
「真言宗に阿字観というの修行のひとつがある。そこで寺の方丈で梵字の阿の字に向かい阿字観を体験する若い女性の後ろ姿。その横に座る僧侶の横顔も描く」
というプロンプトがマズかったのか、まったく「阿字観」になっていない。
「アジカン」の「ジ」が抜けて「アカン」のだ。
正解な部分は「後ろ姿」だけだ。
まぁ、予想はしていたがこんなものでしょう。
阿字観という難しい言葉は、西洋頭のAdobe Fireflyが理解するには困難なのでしょう。
ところで、
これまでいただいた御朱印の中で明瞭に「阿」の梵字の朱印はないか探してみた。
▼あった! 上の写真で女性が向き合っている「阿」の字が同じ蓮台に乗っている。
東京・亀戸の「東覚寺」は本尊を「大日如来」とする真言宗の寺。
御朱印の左下の寺印は「東覺密寺」。密教の真言宗寺院は「密寺」と名乗る。
左は「アーンク」と読み胎蔵界、右の読みは「バン」で、金剛界にある大日如来を表すそうだ。
「密教」で考えられている世界観を分かりやすく表現した仏画、曼荼羅。
上の曼荼羅は京都・東寺のものですが、これをさらに分かりやすく表したのが
空海の「立体曼荼羅」として「東寺 講堂」で仏像たちが立体的に表現している。
「阿字観」から梵字に話が進んでしまいましたが、
▼初めて「アジカン」と言う言葉を耳にした時、頭に描いたモノは、
サバ缶ならわかるが「アジ缶」?「味感」?
何が何だか分からない「アジャカン!」と寂しい頭脳だ。
バチアタリなことに「アジ」と聞けば、
梵字も知らない凡人が頭に描くのは「阿字」ではなく「鯵」のはず。
そこで、次回は「Adobe Firefly」に「鯵」について働いてもらうことにする。
西洋頭で「阿字」は理解できなくても「鯵」はわかるだろう。