▼大内山 仁和寺の御朱印です。(真言宗御室派総本山・京都市右京区御室大内)
▼仁和寺では通常は5種類の御朱印、毎月8日には薬師如来の御朱印、さらにイベントごとに限定の御朱印がいただけるようです。
京都へ出かけても御朱印をいただくのは、ほぼ 1寺社に 2体だけ。
仁和寺も最低5体はいただけるのでしょうが、
寺内を駆けずり回って全ての御朱印をいただくテンションは持ち合わせません。
いただいた「御朱印について」に説明されている通り「参拝」の証です。
2体あれば十分な「証」です。
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▼観光都市京都の主な寺へのアクセスは、目的の寺社前で止まってくれるバスが一番便利かもしれません。
バスに乗って「御室仁和寺」で下車。
▼巨大な仁王門の真ん前で降ろしてくれます。
写真左下の築地塀の五本の白線が寺院の格式を表しています。
以前は単に「観光道路」と呼ばれていたそうですが、
宇多天皇が真夏に雪見をするために衣笠山(別名きぬかけ山)に絹を掛けたと伝えられる故事にちなみ「きぬかけの路」と命名されました。
「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産の仁和寺ですが、
▼仁王門を始め、五重塔など建物は全て重要文化財と理解しても大きな間違いではないでしょう。
と言っても古都京都の寺院ですから、
やはり応仁の乱で寺の伽藍全てを焼失しています。
ですので建物の多くは江戸時代、家光の許によって再興、再び伽藍が整備された以後のものがほとんどです。
その中でも、建て替えのための御所に建てられていた「紫宸殿、清涼殿、常御殿」などをいただき、仁和寺に移築されたものもあるそうです。
寺を囲む築地塀の五本の白線が示すように、仁和寺は格式の高い門跡寺院です。
平安時代の宇多天皇が完成させ、出家して宇多法皇となり、寺を自分の住まいともしました。
そして宇多法皇の後も代々皇族が歴代の門跡となっていることから「御室御所」と呼ばれるようになりました。
そうなんです、当時は寺であって、寺ではない「御所」だったのです。
伽藍の数や敷地の広さに大きな違いはないかもしれません。
皇室とはいえ何とも贅沢な住まいだったと言えます。
▼仁王門をくぐってすぐ左手にあるのは本坊となる仁和寺御殿の「勅使門」。
この中は有料エリアです。入ってみましょう!
▼南庭と呼ばれる白砂の庭からは、勅使門の内側と仁王門の屋根が見えます。
▼勅使門をバックに飛び上がる写真を撮る観光客のために、親切にも白砂の中に舞台が造られています。
▼「白書院」。黒書院も同じですが、襖絵は昭和に入ってから描かれたものです。
▼御殿の中心的建物「宸殿」の内部です。やはり焼失して大正期の再建です。
▼煌びやかな「宸殿」から打って変わって「黒書院」の襖は墨絵です。
▼北にある庭は、白砂の南庭とは対照的に池泉式。
▼池越しに見えるのは茶室「飛濤亭」と五重塔の先端。
▼こちらは「霊明殿」。
▼「霊明殿」内部です。
▼東京の寺社では見られない京都ならではの庭です。
▼再び、勅使門を見ながら有料エリアを出ます。
▼葉を落としている桜の林は「御室桜」と呼ばれるそうです。京都の3月23日は開花前です。
仁和寺を訪れて時間のない観光客は、有料エリアは外しても十分に寺を堪能でき、記憶に残りそうです。
▼江戸時代初期の建立の「五重の塔」ですが、現代的でキリッとした印象です。
なぜか人は高い建物に魅了されます。
タワーマンションに憧れるのとちょっと違います。
いや、やはり同じかも・・。
「スカイツリー」や「あべのハルカス」、そしてタワマンなどの高所は、
人を含め様々なものを見下ろしたい、あるいは自身のステータスとしたい、
「これみよがし」の「高さ」なのでしょう。
五重の塔も権威を示すランドマークとしての役目も持っていたことは確かでしょう。
▼400年近く立ち続ける「観音堂」は固く扉が閉まっています。
▼「大黒堂」も建ちます。大きな寺社は「何でもあり」です。
▼寺境内の最奥にやってきました。「弘法大師」以外の文字は読み取れません。
▼「中門」も「御影堂」も江戸初期の伽藍再興の時の建立です。
▼お大師さまは御簾の奥にいらっしゃいました。
「南無大師遍照金剛」を唱えて合掌です。
▼黄金色の蝉の合唱も見つけました。合掌!
古の時代から日本の匠たちは、きっと現代の小学生が持つ彫刻刀より見劣りする道具で、様々な形を作り上げてきたのでしょう。驚嘆です。
▼屋根のトップには強烈な宝珠が載っていました。
▼3月末のこの時期にピンク満開。草木の名称は全く疎いので・・。
▼国宝の「金堂」です。本尊阿弥陀如来が安置されています。
wiki 引用です。
金堂(国宝)- 慶長18年(1613年)に建立された京都御所の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年 - 1644年)に移築したもので、近世の寝殿造遺構として重要。現存する最古の紫宸殿である。宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺から瓦葺に変えるなどの改造が行われたものの、宮殿建築の雰囲気をよく残している。
▼国宝の屋根両サイドにボケッと立つのは、2人の仙人。
2人は3000年に一度だけ浮かび上がる亀を5回見たという、15,000歳の超古老たちです。改めて寺の屋根にはいろんな姿を見ることができることを思い知ります。
▼「経蔵」。扁額は「経坊」となっています。
▼寺の鬼門にある「九所明神」の本殿。京都中の神社9社の明神が祀られているとか。
▼まだまだ見逃した見所がありますが、タイムアウト。
素晴らしい世界遺産とは言え、広大な寺は疲れます。
やはり京都は「小さな寺」が好みです。