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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

宇賀福神社「銭洗弁財天」の御朱印(鎌倉市)〜ゼニゼニ マインドを ザブザブ ウオッシュ

▼正式名称 銭洗弁財天宇賀福神社御朱印です。

(神奈川県鎌倉市佐助2-25-16)f:id:wave0131:20210607193627j:plain

銭洗弁財天宇賀福神社御朱印(2013年)。f:id:wave0131:20210607193622j:plain

右下の添え書きが「古都かまくら」から「かまくら隠れ里」に変化していました。
でも、いつも参拝者があふれていて「隠れ里」のイメージはありません。

鎌倉駅から徒歩20分という距離で言えば「隠れ里」かもしれません。

 

御朱印は「銭洗いセット」などを扱う社務所でいただけます。

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コロナ禍でもこの人出です。

普段から週末や休日はいつもこれ以上の参拝者でごった返しているので、御朱印対応などに丁寧さや親切さは期待できません。

 

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▼10台くらい駐められる駐車場もありますが、土日休日は閉鎖されているようです。

 

▼源氏山公園、葛原岡神社から銭洗弁天に降りました。

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▼多くの参拝者は鎌倉駅方面から20分ほど歩くことになりますが、ダラダラとしたこんな坂道を登るハメになりますので、真夏は汗が噴き出します。

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本ブログは「化粧坂切り通し」経由で一気に高度を上げたので、あとは楽な下りです。

 

「金運招福」の神社は他でも数多くありますが、
銭洗弁天」というのは関西など他の地域には見当たりません。

主に関東にある神社の境内社として存在しています。

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したがって関東の人間が「銭洗弁天」というと、ここ鎌倉の宇賀福神社を指していますので「銭洗弁天」の親玉的存在ということになります。

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銭洗弁財天」は元々は現在も鎮座する扇ケ谷の「八坂大神」の末社でした。

そして1970年に独立して、現在の神社名になっていますので比較的新しい神社です。

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元本社の「八坂大神」は知らなくとも「銭洗弁天」は誰もが知る存在となり、
本社と末社知名度は大逆転、正に「本末転倒」ですが、意味は違います。

いずれにしても「金運」「財運」アップのご利益というPRは、恐ろしいほど人々を魅了させ、参拝者をとめどなく集めることになっています。

そして参拝者を集める力としては鎌倉の寺社のベスト3に入るかもしれません。

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神社は崖に囲まれているので、入口はトンネルが掘られています。奈落の底へ続くような下り坂の隧道です。

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やがてお金が輝くような光が見えてきます。

このトンネルは第2次大戦前後に設けられたようです。

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▼トンネルを抜けた右手の「手水舎」は使用不可です。

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▼稲荷神社のように木製の鳥居が境内まで連続しています。

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▼視界が開けたその先は人・人・人・・・ですが、今回の密集度はまだ優しい方です。

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ビフォアコロナの休日は境内に立錐の余地が無いほど混み合っていて、思わず引き返しています。

 

▼トンネルが出来る前の当初の参道方面に回ってみます。

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▼佐助稲荷方面に続くこの細い道が元々の参道だったようです。「隠れ里」の言葉通りの雰囲気です。

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▼当然こちらにも鳥居が連なっていますが、こちらは鳥居を抜けると市杵島姫命を祭神とする「本社」の正面になります。

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▼本社にお参りするには忍耐が必要です。

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神仏習合の名残りで、ろうそくと線香も供えます。

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▼「本社」の左手に宇賀神を祀る「奥宮」となる社が鎮座する岩窟内です。

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源頼朝年である1185年、の月、の日、の刻に夢告をうけ、ここに湧く霊水を見つけ、社を建て「宇賀神」を祀ったのが神社の起こりと伝えられています。

「巳年、の月、の日、の刻」という、良く出来すぎた話です。

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その後の1257年、5代執権北条時頼がここの霊水で銭を洗って一族の繁栄を祈願したのが銭洗の始まりとされています。

ですから、いただいた御朱印にも北条家の家紋「三つ鱗」が押されています。

 

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800年間、人々の欲望を受け止め、銭を洗い続けてきた霊水は、これまで一体いくらの金額になるのでしょう?

もしかしたら霊水は、高度経済成長期からバブル期までの、日本経済の飛躍的成長の一翼を担ってきたかもしれません。

尽きる事を知らずコンコンと湧き出る人々の欲望に対して、霊水も尽きてる訳にはいかず、今日もコンコンと湧き出し銭洗いです。

 

▼「奥宮」手前には、小さな弁財天像と宇賀神さんらしき姿も見えます。

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岩をくり抜いていますので、霊水窟は一種独特な神秘的雰囲気を持っています。

 

身の程をわきまえ、本ブログは不浄な心だけ洗うにとどめます。

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▼こちらは紛うことなき「宇賀神」。

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▼本社裏手の石段を登ると「上之水神宮」。

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▼石段を降りて池の先に「下之水神宮」。

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▼水の豊富な鎌倉らしい「一条の滝」です。

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この一角はとても雰囲気の良い風景を見せていて人々がベンチで憩っています。

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▼「七福神」。f:id:wave0131:20210607193746j:plain

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▼ここも神仏習合の名残りのようです。

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ザブザブ洗って濡れた心も乾いてきました。

ゼニもココロも洗える神社を出ます。

葛原岡神社の御朱印(鎌倉市)〜倒幕を目にできなかった「日野俊基」復活

葛原岡神社御朱印です。(神奈川県鎌倉市梶原5-9-1)f:id:wave0131:20210604185150j:plain

▼葛原岡神社境内社 合鎚稲荷神社御朱印f:id:wave0131:20210604185154j:plain

葛原岡神社御朱印です(2016年)。f:id:wave0131:20210604185146j:plain

▼2021.05現在は「恵比寿神」「大黒神」の御朱印もいただけます。

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▼「葛原岡神社」は標高90m以上ある「源氏山」の一角に鎮座します。

 

JR「北鎌倉駅」からのハイキングコース、「鎌倉駅」から「銭洗い弁財天」経由などルートは色々ありますが、いずれも徒歩30分前後かかります。

 

葛原岡神社には数台駐められる駐車場もありますが、途中の道幅は狭く、急坂もあったりで、運転に自信のある方、または勇気のある方でないと無理でしょう。

 

▼本ブログは「海蔵寺」方面から険しい坂の「化粧坂」を這い上がってきました。

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このルートは一般的ではありませんが、平坦地から一気に源氏山にたどり着けます。

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若々しい顔の頼朝が小さな公園から鎌倉の街を見下ろしています。

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桜の名所でもある「源氏山」は源頼義・義家父子が奥州遠征の際に、
この山に白旗を立てて戦勝祈願をしたとも、代々源氏の屋敷があったことに由来するとも言われています。

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▼「佐助稲荷」や「銭洗弁天」方面からの訪問者は、標高差50mのダラダラと長い坂や石段を相手にすることになります。

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▼葛原岡神社への参道途中、鳥居の少し手前左にある「国指定史跡 日野俊基墓入口」の石柱。

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葛原岡神社に参拝に向かう多くの人が行き交いますが、ここへ立ち寄る人は僅かです。

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鎌倉時代後期の公家であり、後醍醐天皇の秘書的役割を担っていた
日野俊基ひのとしもと)」は葛原岡神社の祭神です。

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日野俊基は荒廃した鎌倉幕府を倒すため、後醍醐天皇を中心としたクーデターを計画し、楠木正成を説得するなど幕府打倒の中心人物として奔走しています。

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しかし事前に北条側に計画が漏れ、1324年「正中の変」で捕らわれ、その時は許されたものの、1331年の倒幕計画「元弘の変」で再度捕らわれ、翌年ここ葛原岡で斬首されています。

 

具体的な人物イメージを求めても彼の肖像画は見つかりません。

NHK太平記」の日野俊基です。

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現実の容姿はどうであれ、人物を語るのにイメージは必要ですので・・。

 

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辞世の詩を「古来の一句 死も無し生も無し 万里雲尽きて 長江水清し」として、
悲劇的な最期となった俊基の潔さと無念さが滲み出ています。

その日野俊基の処刑から1年後の1333年に鎌倉幕府は滅亡しています。

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観光地の古都鎌倉は武家政権創始者頼朝をはじめ、幕府サイドの寺社が多いのは当たり前です。
誰もが知る建長寺円覚寺鶴岡八幡宮、ここ源氏山など、ほとんどが鎌倉幕府側から見た歴史を持つ寺社です。

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そんな中で鎌倉幕府を打倒した朝廷側、後醍醐天皇側を讃えるのが葛原岡神社です。
鎌倉でもう1社、朝廷側の護良親王を祀るのが「鎌倉宮」です。 

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さて、葛原岡神社に到着しました。

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神社は明治20年日野俊基の活躍を明治維新の先駆けとして評価された明治天皇の意思により葛原岡に創建されました。

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創建から130年余りの神社は、祭神とは直接関係のない思われるものも多く造られています。

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▼祭神 日野俊基とは無関係とは言え、この神社に参拝する女性たちの人気を集めている「縁結び石」。

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「縁結び」に「恋みくじ」「ハート形絵馬」、日野俊基の名前も知らない女性たちの天下泰平を祭神も苦笑いしてるかもしれません。

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▼社殿に向かう参道途中にある「合鎚稲荷神社」は珍しい名称です。

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何も知らなくて最初は「稲荷神社」と読んでしまいました。

あいかぎ稲荷」ではコソ泥を讃えるような稲荷になってしまいます。

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失礼しました。

鎌倉時代の鍛冶職人に由来する、刀を打つ時の「合鎚あいづち)」だそうです。

 

あいかぎ稲荷」と読み間違えましたが、

▼でも眷属の狐は「」を持っています。「合鍵」ではないでしょうが・・。

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▼参道一番奥にコンパクトな造りの社殿です。

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▼2016年の社殿前は木々が覆いかぶさり、いくらか暗いイメージでしたが・・・

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2021年は、かなり明るくなっていました。

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コロナ禍とはいえ、大雑把に言えば鎌倉の街、日本はとりあえず平和です。
「ご安心を!」と祈ります。

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▼「昇運の神龍」は祭神を120年間護り続けてきたそうです。

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▼「俊基御終焉之地」の石碑。

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「今は平和となった世の中で、貴方を知らなくても、縁結びを求める人々に幸をお与えください!」

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日野俊基の専門分野ではないでしょうが、
そんなことをお願いして葛原岡神社を出ます。

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海蔵寺の御朱印(鎌倉市)〜鎌倉攻めの新田義貞も諦めた 切り通し「化粧坂」を這い上がる

▼扇谷山 海蔵寺本尊 瑠璃光如来薬師如来)」の御朱印です。

臨済宗建長寺派/神奈川県鎌倉市扇ガ谷4-18-8)f:id:wave0131:20210601203559j:plain

▼ 「鎌倉三十三観音 第26番海蔵寺御朱印

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海蔵寺は他にも「鎌倉十三仏」や「鎌倉二十四地蔵」など複数の霊場札所となっていますので、当然それぞれの御朱印がいただけます。

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▼今回は鶴岡八幡宮脇の「そうびえん」駐車場から歩きました。

「そうびえん」駐車場は、1日1000円と安いので、八幡宮周辺を訪問するには便利な駐車場です。

海蔵寺拝観だけの駐車なら山門前に「檀信徒 拝観者」用の広い無料駐車場があります。

 

八幡宮脇の駐車場からは1.2kmほどで、15分くらいで海蔵寺に到着。

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GWの5月4日でもコロナ禍で参拝者はまばらです。

 

▼数年前の11月は大勢の訪問者で賑わっていました。

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▼5月でもモミジは紅葉を保っているのでしょうか? と思いましたが「春モミジ」というのだそうです。

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鎌倉は谷だらけです。

谷といっても深い谷ではなく、低山と低山に挟まれた狭隘な平地で、大抵は行き止まりとなっています。

その「谷」の文字がついた地名がいたるところにありますが、
」とか「たに」と読まず、すべて「やつ」と呼びます。

ここ海蔵寺は「扇ガ谷」ですので「おうぎがやつ」と読みます。

ほぼ鎌倉だけに見られる呼び名です。

 

▼同じ文字を使っていますが、海蔵寺山号の読みは「せんこくざん」です。

f:id:wave0131:20210601204038j:plain扇谷山」も音読みにしてしまうと情緒はどこかへ飛んで行ってしまいます。

 

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海蔵寺に赤い「野点」は寺と1セットです。これが無いと海蔵寺らしくありません。

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寺の創建は1253年、鎌倉時代の建長5年で、北鎌倉の「建長寺」と同じ創建年になります。

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しかし、1333年の鎌倉幕府滅亡と同時に焼失していますので、寺はその後に再興されて現在に至っています。

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禅宗らしく趣のある「薬師堂」は、江戸時代に北鎌倉の「浄智寺」から移築されたものと伝わります。

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▼内部は土間になっていて薬師三尊像と十二神将像が祀られています。

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堂内には入ることは出来ず、身近に仏像を見られないのが残念です。

千社札が貼られているので、かつては堂内に入れたのかもしれません。

 

▼手入れされた裏庭も、少し離れた位置で進入禁止となります。

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▼日頃の手入れの大変さが思いやられます。

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▼ほぼ「やつ」の行き止まりで、裏庭には山腹の岩肌がむき出しとなります。

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▼その岩肌をくりぬいて「やぐら」が築かれています。これも鎌倉地方特有のものです。

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やぐら」は墓と理解していいのでしょうが、

▼こちらは「雨宝殿」と言って鳥居の奥に「宇賀神」が祀られています。

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▼山門右手前にある「底脱の井(そこぬけのい)」。

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鎌倉時代中期、桶に井戸の水を汲んでも底が抜けてしまうと詠まれた歌に因む井戸。

水が豊富な鎌倉には「鎌倉十井(じっせい)」と呼ばれる井戸があり、その一つに数えられています。

▼さらに寺の左奥に「十六井戸」があります。

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▼岩をくりぬいたトンネルを抜けます。

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▼井戸の手前にある句碑らしき文字は「十六の井 その名所やを ほろ月」。

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▼おどろおどろしい井戸の入口です。

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▼撮影日など条件がが変われば一気に明るくなります。

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▼中は暗くてよく分かりません。

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▼フラッシュを焚くと「4×4」の穴が見えます。

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▼岩窟の正面に観音菩薩と小さな弘法大師像。

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16の穴から水は湧き出ているものの本当は何に使われ、何を意味しているのか不明。

井戸ならば16もの穴は不要で 1 穴で十分なはず。

海蔵寺のミステリーです。

 

 

海蔵寺から逆戻りして「源氏山」を目指し「化粧坂」切り通しを登ります。

▼観光都市鎌倉ですので道案内は充実しています。

あたかも、ここから「銭洗弁天」や「源氏山」に簡単に行けるような案内です。

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間違ってはいませんが、この道案内は一言「険しい坂道」の「注意書き」が必要です。

とにかく進んでみましょう。とは言え本ブログは2度目の「化粧坂」です。

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途中ここでも「春モミジ」や、のどかな佇まいの建物が見える道を進みます。

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▼そして鎌倉七口化粧坂」アクセスポイントに着きます。

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ここで軽装でスカート姿の女子は引き返します。高齢者も引き返します。

少なくとも足元はスニーカー以上でないとキツイです。

▼少し登って振り返ると、この高低差です。

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▼ここまで上がってきた坂は谷底に落ちています。

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▼眼を上に向ければ、無情にも「これが坂?」と疑いたくなります。

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それでも今回の坂はヌカるんでいません。

雨が降った翌日の足元は最悪になります。

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ちょっと言葉では脅してきましたが、
実はこの坂は頑張ればスカート、パンプスでも越えられるでしょう、おそらく。

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確かに険しい坂道ではありますが、標高差は20mか30mくらいだと思われます。

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手を突きながらでも、這いつくばってでも数分間だけ頑張れば抜けられます。

▼坂の頂上間近地点です。手を突きたくなるように這い上がります。

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▼振り返れば、やはり難所です。馬や鎧姿の武者は無理でしょう。

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鎌倉幕府を滅亡させた、あの新田義貞も、下りなのにこの切り通しは越えられず、ルートを稲村ヶ崎へ迂回しています。

▼「切り通し」の形状がよく分かる下り方面に進んでいく男女は、やはり若者です。

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▼険しいながらも、ほんの数分、這い上がった坂の先で待つのは、多分自らは這い上がらなかった源氏山に座る「頼朝」です。

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▼源氏山に着いたので、当然、次回記事はこの神社です。

 wave2017.hatenablog.com

蚕養国神社の御朱印(福島・会津若松市)〜かいこ・蚕・蝅・蠺・蠶・蠶、桑子、飼う子、神の子

蚕養国神社御朱印です。(福島県会津若松市蚕養町2-1)f:id:wave0131:20210610191941j:plain

正確には「蠶養国神社」と書いて「こがいくにじんじゃ」と読みます。

 

▼この文字すべて「かいこ」です。

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蚕は異名で「桑子」(くわこ、くわご)があります。

そして、人間が飼育しやすいように改良したのが「」と言われています。


さらに「飼う子」が転じて「カイコ」、または「神の子」から「カイコ」と呼ばれるようになったそうです。

 

蚕の文字はそんなところですが、

蚕養(さんよう)」とは「繭をとるために蚕を飼育すること」で、

養蚕(ようさん)」とは「繭をとるために蚕を飼育すること」で

文字を逆に並べても同じ意味です。

ところが「蚕養(さんよう)」は「こがい」とも読むそうです。

 

ここまできてやっと「こがい くに じんじゃ」が少し分かってきました。

 

▼地元の方でないと誰も正確に読めない神社は「会津若松駅」からですと徒歩11分。

神社鎮座地の町名も「こがいまち」です。

 

▼蚕養国神社の創建は811年と伝わり、式内社とされています。

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▼古い石の鳥居の扁額には「蠶養宮」と書かれています。

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養蚕は山間部の現金収入手段として多く見られた産業で、ここ会津も盛んだった時期があったのでしょう。

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養蚕から生糸の生産、絹織物に連想させられるのは、
今は何と言っても「富岡製糸場」でしょうか?

さらに米沢藩主「上杉鷹山」や「あゝ野麦峠」などが思い出されます。

「鷹山」は傾いた米沢藩で特に「織物業」に力を入れ、養蚕業・絹織物へと発展させています。

あゝ野麦峠」は副題が「ある製糸工女哀史」とされ、吹雪の中を危険な峠道を越え、懸命に就業し生きた飛騨地方の農家の少女たちを描いたノンフィクションです。

 

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「鷹山」は江戸時代、「あゝ野麦峠」は明治から大正の描写、
富岡製糸場」は明治5年に操業され、長い時代を経て1987年操業を停止しています。

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日本の養蚕業は早くも弥生時代には中国から伝わっていたそうでが、江戸時代までは生産量も貧弱で、絹製品は主には中国から輸入されていました。

その間の努力によって輸入品に劣らぬ品質・量が生産できるようになったは幕末時代です。

その後、明治に入り隆盛期を迎え「富岡製糸場」「あゝ野麦峠」の時代になります。

しかし、第2次大戦と1940年の「ナイロン」の発明で養蚕業は、ほぼ壊滅しています。

 

▼それでも「神威赫赫(しんいかくかく)」たる力は現在にもおよび、遺伝子組み替えカイコの飼育・まゆ出荷など、新たな養蚕業が始まっているそうです。

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▼繭ひとつひとつにも様々な人の喜び哀しみ努力が、思いっきり詰まっているのでしょう。

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▼「峰張桜」は、1000年間「こがい」の歴史をジッと見守ってきた神木です。

 

「蚕養国神社」は珍しい名称ですが、
googlemapで検索してみると上田市にも見つかりました。

そちらは「大星神社」の境内社でした。

上野東照宮の御朱印(東京・台東区)〜栄誉権現社「御狸様」=「お他抜きさま」=「おたぬきさま」の御朱印

上野東照宮栄誉権現、通称おたぬき様の「他抜御朱印」です。f:id:wave0131:20210601165537j:plain栄誉権現社」は有料拝観区域内にある「おたぬき様」を祀る社です。

御朱印は有料拝観しなくてもいただけます。

 

上野東照宮御朱印(2014年)。f:id:wave0131:20210601165533j:plain

中央の朱印は当初の祭神である「天海僧上  東照神君  藤堂高虎」の3人の名です。

 

上野東照宮御朱印(2012年)。f:id:wave0131:20210601165528j:plain

上野栄誉権現」や「大相国一品徳蓮社 崇誉道和大居士」などの添え印が押されています。

家康の戒名は「東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」とか

一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」などと表されるそうです。

どちらにしても長い戒名です。

 

▼令和3年の御朱印案内です。

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▼限定御朱印は「東照宮HP」にも詳しく紹介されています。

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印刷物らしき限定御朱印は遠慮しました。

賑やかなデザインの御朱印ですが、見開き印刷物御朱印は食傷気味です。

 

御朱印は「唐門」に向かって右手の社務所で。

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▼または、社殿拝観受付脇での授与の場合もあります。

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御朱印が数ヶ所で、いくつもいただける上野公園内、そのうちの1社「東照宮」です。

そして、東京にもう1ヶ所の「芝東照宮」とは対照的な華美さを見せる「上野」です。

 

▼「上野」と言ったら子供たちや女子にとっては「パンダ」でした。

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▼いつも賑わっていた動物園入園券売場も・・・

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▼閑散としています。臨時休園になって、もう長い月日が流れました。

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当然、上野公園全体で人出は少なくなっていますが、
▼中には「なりきり」で頑張っている女子も見受けられました。

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京都、浅草などで見慣れた和服姿の若者たちの姿を久しく眼にすると、
なぜかホッとするような気持ちにもなるから不思議です。

 

▼そんな上野公園ですが、東照宮はそこそこの人出が見られます。

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▼石造りの鳥居と神門をくぐった先の参道正面に「唐門」。

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▼今回はまず有料区域の社殿拝観からスタートです。

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これまで東照宮には何度も訪問しているものの有料区域には参拝しておりません。

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▼閉ざされた「唐門」内部に入りましょう。

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有料区域に参拝する人はそれほど多くはありません。
皆さん、絢爛豪華な「唐門」だけの拝観で充分に満足してしまうのかもしれません。

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▼有料区域はエメラルドグリーンの透塀(すきべい)の瑞垣で囲まれています。

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▼有料区域に入ってすぐに眼につく石の彫り物。

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母子でしょうが、獅子なのか虎なのか、はたまたライオンなのか不明。

 

▼訪問時は有料区域内の一部が整備工事中でした。

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▼普段はこの樹齢600年の「大楠」の下まで進むことができるそうです。

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▼石燈籠が並ぶこの区域も工事中の幌フェンスで仕切られ、その合間からの「ノゾキミ」状態でした。f:id:wave0131:20210601181800j:plain

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▼「おたぬきさま」の「栄誉権現社」も幌布のフェンスがあり、正面からの撮影はできませんでした。f:id:wave0131:20210601181836j:plain

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▼社殿内は照明があり「おたぬきさま」が浮かび上がっています。

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▼しかしガラスケースに手前の鳥居が反射してよく見えません。

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江戸時代、大奥などで災いをもたらした「悪タヌキ」でしたが、
大正時代にここへ安置されてからは大人しくなったそうです。

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家康のあだ名は「たぬき親父」でしたし、戒名も「栄誉」の文字が使われていますので、この「栄誉権現」「おたぬきさま」も、家康の化身と見てもおかしくないのではと思いますが、違うようです。

 

▼ようやく反射しない角度を見つけました。

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「おたぬき様」は黒ずんでいて、石造なのか木造なのか判別つきません。

法衣をまとい、踏ん反り返った「悪ダヌキ」は、現在は「他を抜く」語呂合わせで、受験・就職・必勝の神様とされているそうです。

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▼透塀の内側に足を踏み入れると絢爛豪華な「金色」一色の世界です。

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1651年、家光がハデハデに改築されたと伝わります。

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▼拝観順では本殿が最初に眼に入りましたが、幣殿、拝殿と連なっています。

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▼「唐門」の正面になる「拝殿」です。f:id:wave0131:20210601181949j:plain

すべて重文指定されている社殿は、唐門などと一緒に4年間の修復工事が行われ、
2014年にお披露目となっています。

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修復期間の4年間の唐門は、ほぼ原寸サイズの写真にされたシートで覆われていて、
諸外国からの訪問者を少なからずガッカリさせていました。

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▼少し雲行きが怪しくなってきたと思ったら・・・

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いきなり雨が降り始めました。
たぬき親父」と理解している東照大権現の「怒り」かもしれません。

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▼このゴールドの扉の奥深くにいらっしゃる「東照大権現」さまに改めてお参りです。

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創建当時は「東照神君天海僧正藤堂高虎」が祭神だったそうですが、
現在は家康、吉宗、慶喜を祭神として祀られています。

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▼「おたぬき様」は機嫌を直してくれたのか、すぐに雨は止み、晴れ間が見えだしました。

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▲▼裏側から見た「唐門」になります。

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日光」「久能山」に次ぐ「上野東照宮」であることが納得できる絢爛さでした。

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▼唐門内外の昇り竜・降り龍は左甚五郎作だそうです。

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▼社殿造営時に雪除けの願いを込めて植えられたという「きささぎの木」は約350歳。

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ここまで有料区域内だけの紹介で長くなりました。

 

 

▼以下、解放されている境内の点描です。

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▼「五重の塔」は東照宮ではなく、上野寛永寺の管轄になります。

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以前から「五重の塔」の足元には入れません。

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▼ライトアップ用の行灯でしょう。

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▼再び「五重塔」を眼にしながら、参道を引き返します。

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今や上野公園内で1番の見処とも言える「上野東照宮」でした。

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