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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

東蕗田天満社の御朱印(茨城・八千代町)〜賑わいの御朱印と 賑わいの社務所前

東蕗田天満社御朱印です。(茨城県結城郡八千代町大字東蕗田)f:id:wave0131:20200622184005j:plain

何種類もある御朱印のなかから

「もっともスタンダードな御朱印をお願いします」

と伝えて、戻されたものが

東風吹かば 匂いおこせよ梅の花・・・」

道真の最も有名な歌が筆書きされた御朱印でした。

東蕗田天満社の数あるカラフルな御朱印の中でも

比較的おとなしい色使いです。

 

御朱印の受付はここでしたが、社務所前には大勢の人が御朱印待ちしていて驚きました。

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待ち時間は30分ほど。

 

社務所敷地内に入る前から御朱印の案内が掲げられています。

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▼さらに社務所建物内にも・・、目移りがします。

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多くの参拝者に道真の和歌を知っていただきたい、という神社側の気持ちが御朱印の種類に表されています。

 

何種類も求める参拝者がいるので神社側は大変です。

待ち時間が長くなるのも止む得ません。

しかし受付担当の女性は辛抱強く、至極丁寧な対応でした。

多くの人が御朱印を求めてやってくるのも分かるような気がします。

 

▼見開き専用というか、通常の御朱印の2ページ分を1ページにした横長のオリジナル朱印帳も並んでいました。

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御朱印込みで4,000円とか。

ん〜〜〜ん!

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▼どのように読むのか分からない東蕗田天満社は茨城のイナカに鎮座。

交通手段は車以外の参拝は困難なようです。

神社の駐車場は他県ナンバーの車も含め満杯に埋まりそうでした。

 

東蕗田天満社は「ひがしふきた てんまんしゃ」と読みますが、

」は季節になるとスーパーなどに出てくる野菜というか山菜というか、あの「ふき」「フキ」です。

店では漢字で書いて売っていることはないので「蕗」は難読文字です、ワタシには・・。

▼神社の周辺は一面田畑です。

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蕗田」と呼ばれるくらいですので、

昔は「ふき」が盛んに作られていたか、山菜として採れていたかしたのでしょう。

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ビニールで養生された畑が広がっていますが、何が作られているのか分かりません。

「ふき」ではなさそうです。

「ふき」の栽培や収穫などは見たこともなく想像も困難です。

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道真が懸念することもなく

▼梅も桜も「主なしとて」春を忘れないようです。

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▼神社の東側にあった石の門は裕福な家の入口のように見えますが・・?

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▼駐車場から見えた北側の参道から進んでみます。

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▼「神饌幣帛料供進社 天満社」と彫られています。

f:id:wave0131:20200622184210j:plain戦前まで公費が使われていた神社という理解で間違いなかったかしら・・?

 

裏参道は桜が明日にも満開になりそうな様子です。

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裏参道は春裏ら、ウララ、ウララ〜。

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▼額は読みづらい!「正一位天満宮」かな?

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▼境内に入るとガランとした林のようなイメージです。

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▼こちらが表参道のようです。

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やはり閑散とした境内です。

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賑やかで派手な御朱印に境内も負けずに華やかな神社があります。

またハデな御朱印でも境内はジミな神社も ままあります。

授与する御朱印で収集者に一躍有名になる地方の神社に華やかさは追いつきませんん。

 

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▼なにか困惑気味な獅子たち。

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▼ポツンと鎮座する社殿。いや、見ようによってはデ〜〜〜ンとしてる。

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▼装飾彫刻は賑やかでハデです。

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▼持ち上げ担いでいるのは、手水舎だけでないことを最近知りました。

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屋根や軒下の通称「がまんさん」は大抵赤鬼。

正式名称は「がまんさん」ではないでしょうね?

 

▼さすが天満社。柱の彫刻は梅の木。

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▼本殿にもギッシリの彫刻です。

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▼本殿周辺の林間に祖霊社八幡神社はじめ末社がいくつも並びます。

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社務所前の人だかりの賑わいとは対照的な境内は

落ち着いて参拝巡りができた神社でした。

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千葉最強の一大繁華街の変容 〜千葉神社・千葉天神の御朱印(千葉市中央区)

千葉神社御朱印です。(千葉県千葉市中央区院内一丁目)f:id:wave0131:20200527194542j:plain

中央の朱印は一見「魚」か「鯉のぼり」のデザインかと思いましたが、

よく見ると「神紋(三光紋)」と「社紋(九曜紋)」をあしらった印でした。

 

 

千葉神社摂社 千葉天神御朱印f:id:wave0131:20200527194551j:plain

千葉神社 2013年の御朱印f:id:wave0131:20200527194537j:plain

千葉天神 2013年の御朱印f:id:wave0131:20200527194546j:plain

2013年と2019年の訪問で、それぞれ本社と摂社の御朱印をいただきました。

それぞれ墨書きはなんら変わりませんが、中央の朱印が全く違うものになっていました。

 

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千葉神社へは千葉駅から1kmもありません。

千葉駅からモノレールが出ていますが、神社前で止まってくれるわけではないので、初乗り200円を利用する人はいないでしょう。

 

赤字経営のモノレールの駅名は「栄町」。

千葉駅から神社へ歩く場合も、この「栄町」を通ることになります。

 

かつての「千葉栄町」は新宿歌舞伎町に負けないくらいの繁華街でした。

ソープ街、密集飲食店街、コリアン、華僑、おヤクザさんなどをイメージさせる街でした。

 

バブルがはじけた後の現在は、千葉人気は廃れ、数多くの店舗、建物が廃業廃墟となり、歯抜け状態のパーキング街と化しています。

 

▼そんな街の隣にある「院内」の千葉神社ですが、神社周辺は小ぎれいに化粧し直した飲食店が並んでいます。

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様々な理由から江戸時代の大きな寺社の門前には、花街や遊廓、岡場所がありました。

東京なら浅草、花園、根津、富岡など有名寺社のほとんどが「遊興の場」を隣接していました。

千葉栄町もそんな時代の名残りであるかもしれません。

 

▼そんな千葉栄町のダークなイメージを払拭しようとしたのか、神社前一帯に新し目な公園ができています。f:id:wave0131:20200527195034j:plain

江戸時代までは寺社の神「聖」さと、人々が営む「性」に今ほどの隔たりはなかったように思います。

 

日本が高度経済成長に至る前までの神社や寺院の木々に覆われた境内は、

若い男女が出逢うのに格好の場所だったはずです。

 

現代のように気軽で安価なラブホがない江戸時代の「水茶屋」「出会い茶屋」は庶民が気軽に利用できるような安価なものではなかったでしょう。

そんな時代の境内の利用方法に神仏も微笑ましく男女を見て、許していたのではないでしょうか。

 

もとより、陰陽に五穀豊穣を繋げて見てきたわけで男女のシンボルも奉納されたり祀られたりしているのだから、許すも許さないもなく性そのものがもっと大らかな存在だったのでしょう。

 

そんな考えがいつから変化したのか、現代は「聖」と「性」は近づいてはいけません。性に対する寺社のスタンスはほとんどがタブーでしょう。

若者たちにとって現代の「性」は極端に不自由な「ヤッカイゴト」になってしまいました。

 

▼神社前に「聖」と「性」の間には緩衝材としての公園が必要なのです。クリーンなグリーンです。f:id:wave0131:20200527195041j:plain

しかし「神聖」と「人性」は紙一重かもしれません。

 

かなり大回りしてしまいました。

▼こちらは境内の西側からの入り口。f:id:wave0131:20200527194813j:plain

▼公園を前にしたこちらが正面です。

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楼門ですが、主祭神北辰妙見尊星王が分霊されているそうです。

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▼正確には尊星殿(そんじょうでん)と呼ばれています。

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▼境内側から見ると全体像がよく理解できます。

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中央「福徳殿」、上階「開運殿」、東「日天楼」、西「月天楼」と、4つにそれぞれ名称が付いています。

 

▼社殿は2階建で、それぞれ拝殿となっています。

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▼2階が主祭神である通称「妙見(みょうけん)」の北辰妙見尊星王でしょうか?

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妙見(みょうけん)」と言われても耳で記憶していても人に説明できません!

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wiki から引用します。

妙見菩薩(みょうけんぼさつ、旧仮名遣:めうけんぼさつ)は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰菩薩(ほくしんぼさつ)などとも呼ばれる。

星座を神格化したそうですが、メソポタミアギリシャみたいで良く分かりません。

さらに別名が多いとチンプンカンプンです。

 

単純に「星の神様」と理解することにします。

「星の巡りが悪い」とか言いますので、その「巡り」を良い方向に導いてくれる神ということで間違い無いでしょう!

 

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▼社殿の左奥に摂社の千葉天神が構えています。

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真っ赤かな千葉神社社殿よりこちらの方がシットリ、ドッシリ落ち着いた、歴史を感じさせる社殿ですが、かつては千葉神社の社殿だったそうです。

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以下、境内や末社の様子です。

美寿之宮

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亀岩ですが、人面石に見える部分もあります。

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末社

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▼「星神さま」「石神さま」などが一列に鎮座します。

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妙見池に架かる神橋

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この付近はよく整備された、とても心和む空間でした。

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ハイっ!「癒し」という言葉はキライなヘソマガリですので・・。

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▼境内東にある鳥居です。

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▼鳥居をくぐると狛犬というか、楼門前の狛犬よりステキな唐獅子が一対。

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▼以下は高札に書かれている通りです。

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▼左の赤字を「生活保護」と読んでしまいました。衣食住は上を見たらキリがない。

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神紋の太陽、月、星、北極星、北斗七星にはじまり天神さまの神社は、

天、大空、宇宙というスケールを感じさせられ、

神社周囲の街の変化とともに進化していく神社のようです。

 

信濃国分寺の御朱印(長野・上田市)〜日本の道100選「海野宿」の沈黙

▼(山号ナシ)信濃国分寺御朱印です。(天台宗・長野県上田市国分)f:id:wave0131:20200629113257j:plain

現寺院は後継ですが、江戸時代までは「浄瑠璃真言国分寺」と呼ばれていて、

寺院朱印と筆書きの「八日堂司」は国分寺の別称だそうです。

「八日」は寺の縁日に因むものです。

 

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▼寺は上田市にあり、東京方面からですと「上田駅」の手前になります。

北陸新幹線ができてから在来線が移管され「しなの鉄道」という、

鉄道ファンではないので私鉄なのか第3セクターなのかよく分からない路線にある

信濃国分寺駅」が最寄駅ということになるのでしょう。

 

▼電車ではなく、車で東京から寺を目指すと上田の手前、さらに国分寺の手前に

北国街道の「海野宿」があるので寄り道します。

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宿場はあまりにキレイ過ぎます。明るすぎます。

「綺麗に整備しました」感が表面に出てしまっています。

木曽の妻籠宿や馬籠宿とは雰囲気が大きく違うように感じます。

 

海野宿は江戸時代には佐渡の金運搬や、参勤交代、善光寺の参詣客などで

大変な賑わいだったそうです。

「日本の道百選」や「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。

 

2013年10月の週末は午前中だったせいか、通りには人の姿が遠くに一人だけ。

 

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店舗らしき建物も表戸が閉ざされサイレント。

まだ元気な10月の日差しと影が静かさを増幅しています。

沈黙の宿場町です。

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▼「本陣跡」前でウロウロしていると・・・

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どこからともなく人の良さそうな おカァさんが現れ、

本陣内を案内しますよ!」と声を掛けられました。

 

「案内」? 

有料?  ボランティア?

色んなことが頭をよぎるもののフン切り悪く

んっ、んぅ〜〜ん、じゃお願いします

 つい、ハッキリ断れない優柔不断な性格が出てしまいました。

 

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おカァさんは久しく話す相手が現れたかの如く、嬉々として話し始めました。

いや、案内・説明していただいたのです。

 

しかしこの後の予定がハードに詰まっている中、

おカァさんの説明もロクに耳に入ってきません。

 

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▼このガラスも特徴のあるものだという話でしたが、その内容は忘れました。

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せっかくのおカァさんの案内なのに失礼しました。

必ずもう一度ゆっくり説明を聞く機会を作って参上いたします。

 

▼今回目的の信濃国分寺です。

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741年に聖武天皇の命により国ごとに建立された国分寺ですが、

当初の信濃国分寺は現寺院より南にある「信濃国分寺跡」に建てられたそうです。

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しかし国分寺はどこも衰退、再建を経験し、平安時代末期頃に現在の地に移った後も戦火で失われた建物は多く、現在の本堂は1860年の竣工だそうです。

 

秀忠が関ケ原の合戦に間に合わなかった原因ともなった「上田合戦」でも兵火に見舞われたとか。

 

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▼近隣の人たちには「八日堂のお薬師さん」と呼ばれ親しまれているそうです。

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▼現存する建物の中で最も古い三重塔は室町時代中期の建築だそうです。

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本当は海野宿も国分寺も沈黙どころか

その長い年月の歴史を雄弁に語っています。

 

「歴史とは現在と過去との対話」だと英国の歴史家が語っています。

そこには現在の知識を持った上での問いかけでなければ

対話にもならないでしょうが・・。

 

 

太宗寺の御朱印(東京・新宿区)〜「どん底」経由で「閻魔」に出会え

霞関山  本覚院 太宗寺御朱印

たいそうじ」浄土宗(東京都新宿区新宿二丁目

太宗寺閻魔王」の御朱印(2020年)。f:id:wave0131:20200611172148j:plain

▼同じく 太宗寺閻魔王」の御朱印(2013年)。f:id:wave0131:20200611172139j:plain

太宗寺江戸六地蔵御朱印f:id:wave0131:20200611172134j:plain

太宗寺「新宿山手七福神御朱印f:id:wave0131:20200611172144j:plain

▼2020年、寺務所での案内。

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御朱印の種類は記されておりませんが、

今回記事掲載の3種類のほか本尊の「阿弥陀仏」の御朱印もいただけます。

 

▼寺の住所は新宿区2丁目ですが、もっと分かりやすく言えば「新宿御苑前」です。

 

▼地下鉄丸の内線「新宿御苑前駅」が最寄駅になりますが、

新宿三丁目駅」方面から繁華な街並みを歩きましょう。道草です。

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銀座には見られない無国籍というか無節操な色合いが通りに張り出しています。

 

現在の新宿の呼び名は江戸時代までは「内藤新宿」。

品川・板橋・千住に次ぐ江戸四宿の一つです。

現在の新宿1丁目〜3丁目にその宿場町は延びていました。

 

内藤新宿」の頃の話になると面白く、長くなるので別の機会にしましょう。

 

▼三丁目の繁華な通りを右往左往すると、カメラを構える人だかりがあります。

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▼人だかりは、明治期創業の「末廣亭」です。f:id:wave0131:20200611172212j:plain

 

落語定席の「寄席」は、もう都内には4つしか残っていないそうです。

なかでもここ「新宿末廣亭」はTVなどの中継もあったりで一番有名かもしれません。

 

▼タテに読むのか、ヨコに読むのか分からない寄席文字の看板。

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末廣亭コアは「落語」です。と言っても演目は何でもありです。

 

▼この日は講談師 神田松之丞 改め神田伯山」の真打昇進を祝す花が満開でした。

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吉本興行全盛の現在は

末廣亭」「寄席」「講談」「真打」「神田松之丞」という文字を並べても、

全く興味もなく、分からない人も多いでしょうが、

▼今は欧米の人達の方が興味あるかもしれません。

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この街も「新宿ゴールデン街」に近いせいか、諸外国からの観光客が目立つようになりました。

 

▼彼らはこの店も目的かもしれません。新宿のホーンテッドマンションどん底」。

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新宿で伝説の店舗は数多くあります。

それは歌舞伎町に多いのですが、そのほとんどが消滅、変貌しています。

 

内藤新宿」と同様、そんな話は長くなりますが、

▼ここ「どん底 На дне」は戦後の1951年創業以来、現役の伝説の店です。

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多くの文化人たちもやってきた

楽しいこと 間違いなしの

新宿の「どん底」内の体験は自身でお確かめください。

ゴリキーに出会えなくとも「苦い」酒が飲めるかも・・。

 

▼あまりに楽しく、時を忘れたおトゥさんかしら?

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南国の夢でも見ているかもしれません。うらやまし〜です。

▼寄り道が長くなりました。寺に向かいます。f:id:wave0131:20200611172442j:plain

寺に足を踏み入れると「圓光大師霊場」の石柱。

圓光大師? どなたでしたっけ?

そうだ、浄土宗開祖「法然」でした。

弘法大師空海伝教大師最澄、元三大師の良源、このくらいしか覚わりません。

 

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▼ここを起点として本堂まで100回往復するわけですが、

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現代でも「百度参り」をする人がいるのでしょうか?

多くの人は昇殿して長い時間頭を下げ

一度参り」を終えてから、お札かお守りいただいて帰る。

世の中忙しいから、ほぼファストフード状態です。

 

▼「閻魔殿」です。

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かつては太宗寺は内藤家の菩提寺でもあったのですが、

いまや「新宿の閻魔さま」として知られているようです。

 

ここ太宗寺に限らず「閻魔様」はどこでも人気です。

やはり、穏やかな表情の如来、菩薩様より憤怒の形相は覚えやすいし、

時にはユーモラスで強烈なインパクトが人々に慕わられる理由かもしれません。

 

それとも、いずれお会いするその時に寛大な裁定がおりますよう、

どん底」に落とされないよう、

生きている今のうちから媚を売ろうとするのが人気の正体かもしれません。

 

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1月と7月の「地獄の釜開き」以外は閻魔殿の扉は開きません。

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金網の隙間から真っ暗な堂内を覗きますが、

▼このボタンを押すと照明が1分間点灯します。

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▼金網が邪魔してダメ写真です。「江戸三閻魔」に数えられます。

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きっと iphoneならレンズが小さいから金網の隙間にレンズを当てれば、こんな写真にならなかったかもしれません。

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そんなことは今気づきました。

これからは仁王門の像などはスマホで撮ってみることにしましょう。

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閻魔様も大きいのですが、

ステキなお顔の「奪衣婆」さんも相当な大きさがありました。

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皆さんは、ぜひとも1月と7月の「地獄の釜開き」「薮入り」の折に参拝ください。

 

▼順序は逆になりましたが閻魔殿の手前に「江戸六地蔵」です。

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江戸の出入り口6ヶ所の3番目として、1712年に建立された丈六の地蔵菩薩像は5体が現存していますが、

永代寺の1体だけ廃仏毀釈により失われています。

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▼以下2枚の写真は2013年の撮影。現在と変わりはないです。

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▼対面に「不動堂」。寺で唯一趣のある建物です。

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御朱印掲載の「新宿山ノ手七福神」の布袋尊もここに祀られています。

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不動堂には「三日月不動尊」も表記されています。「三日月」? 不明です。

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▼不動堂の右隣に「稲荷社」。

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▼さらに右に「塩かけ地蔵」。

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地蔵菩薩は塩を舐めたり、塩をかけられたりと、塩と縁が深い。

昔は塩も貴重品だっったからでしょうね?

 

▼本堂はモダン過ぎて建てられた年代も今は知りたくない気持ちになります。

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本堂だけならば、なかなかオモシロイ建物で、教会の建物としても通用しそうです。f:id:wave0131:20200611172424j:plain

しかし寺の境内に入って、広大な空間の真ん中に立ち・・・

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ぐるっと見回すと、なにかチグハグで心細い思いをさせられるのはワタシだけ?

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それでも、写真は掲載していませんが、

太宗寺はほかに「内藤家の墓」や「切支丹燈籠」などディープな見所豊富!

新宿ミニ博物館」とも謳われています。

ぜひ七福神とは別に訪問ください。

 

田無神社の御朱印(東京・西東京市)〜ファンタスチック五龍神は百花繚乱のご利益

田無神社御朱印です。(東京都西東京市田無町三丁目)f:id:wave0131:20200629165307j:plain

▼同じく、通年でいただける田無神社の書置き御朱印。印刷物でした。f:id:wave0131:20200629165302j:plain参拝日にいただけるもののうち、一番ハデな御朱印を選んでみました。

 

▼田無神社、遷座350年記念の御朱印帳。f:id:wave0131:20200629165312j:plain

▼田無神社、2015年の御朱印f:id:wave0131:20200629165256j:plain

▼戻された朱印帳を開くと栞や絵葉書など色んなものが差し込まれていました。

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▼大変分かりやすい御朱印メニュー。どれも初穂料300円というのも好感が持てます。

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神社印や朱印帳に使用されている袴や狩衣のイラストデザインは、センスの良いプロの手によるものだと思います。

御朱印メニューの案内カンバンもプロでないと、ここまで整理された分かりやすいものにはならないでしょう。

 

種類が多いのに番号もなければ、授与・非授与の区別も分かりにくい神社も多くありますが、田無神社は⭕️ ❌で表示されていて

これでわからない人はいないでしょう。

 

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▼神社は昔は田無市に鎮座でしたが、

2001年に保谷市と合併して西東京市になっています。

改めて西東京市という文字を見るとちょっとヘンです。

もともと東の京なのに、さらに西を付けて「西東」の京になっています。

南東北東なら分かりますが、「西東」の方角はどちらでしょう?

もちろん「さいとうきょう」ではなく「にしとうきょう」ですが・・。

東京以外の人などは間違って読むかもしれません。

 

▼神社は交通量の多い青梅街道沿いにありますが、

一歩横道に入ると表参道の鳥居があります。

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七夕てるてるトンネル」のカンバンも神社印などと統一感が出ています。

 

▼鳥居をくぐると直ぐ右に五龍神の一つ目「龍神」。

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五行説において「夏を象徴する南方の守護神」だそうです。

ご利益は「学業成就・勝負運・出世運」。

 

▼祠と言うか、小さな屋根付き門の上から覗いて見ると、いらっしゃいました。

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▼参道左手に続くのは「龍神」。

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秋を象徴する西方の守護神。

ご利益は「金運・良縁成就」。

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▼悩み多き龍? 伏し目がちな顔が人間臭い!

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▼続いて「賀陽家屋敷稲成神社」が見えてきます。

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元は備前岡山藩の侍医だった賀陽家が現在の田無神社の代々宮司を務めているそうです。f:id:wave0131:20200629165421j:plain

かつて賀陽家屋敷内に鎮座してた稲荷社なのでしょう。

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▼柄杓の取り払われた手水舎は、最近やっと慣れました。こちらも「白龍」です。

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▼綺麗に整えられた参道に幟がたくさん、参拝者もたくさん。

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ここまで来るだけで神社の様子やスタイルがある程度想像できます。

 

▼狛獅子たちは年代物なのでしょうか、かなり「カド」が取れています。
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▼とにかく拝殿まで進みましょう。f:id:wave0131:20200629165528j:plain

▼いや、待ってください! まだここにもクセのありそうなヤンチャな獅子が一対。f:id:wave0131:20200629165537j:plain

▼図体が大きくないせいもありますが、何となく悪戯っ子の子獅子に見えます。f:id:wave0131:20200629165533j:plain

▼この時期はどの神社も茅の輪が造られています。f:id:wave0131:20200629165542j:plain

∞を描くようにくぐるんですが、参拝者が多いのでやめときましょう。

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鎌倉時代後期の創建と伝わる田無神社は、もとのとは「龍神」が祭神だったそうです。

現在の主祭神は「大国主命」。

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本殿には「龍神」も合祀され、土用を象徴する中央の守護神。

ご利益は「運気の向上・幸福招来」。

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普段「龍神」のお姿は見ることはできないそうです。

明治初期に造立、彫られたと言う拝殿の見事な彫刻から、その姿を想像しましょう。

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▼本殿というか、覆屋でしょうか?f:id:wave0131:20200629165612j:plain

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 「赤」「白」「金」と続いてきた五龍神。

残りの2つを探します。

 

北参道付近にありました「黒龍」。

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冬を象徴する北方の守護神。

ご利益は「身体健全・夫婦円満・交際運」。

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▼顎髭が生えているように見える「黒龍」です。

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▼最後は「龍神」。

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ゴジラのように立ち上がっているように見えます。

春を象徴する東方の守護神。

ご利益は「庭園守護・スポーツや芸能の技芸向上・就業成就」。

 

▼西参道近くの素戔嗚尊を祀る「津嶋神社」。

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ご利益は「疫病除け、子供の守護、農神・家畜の守護」。

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津嶋神社の脇に「子育て犬」。

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ワンチャンですので、ご利益は「安産・子育て」。

▼カミ様ではないですが、参拝者が撫でていくので「黒光り」しています。

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▼西参道を一旦出て、再び戻ります。

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▼「弁天さま」は「語学、技芸の上達、財運向上」のご利益あり!

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▼「少彦名社」は「病気平癒、身体健全」のご利益。

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▼「日露戦役記念碑」。

f:id:wave0131:20200629165703j:plain古印体のような文字は、

日露戦争の元帥陸軍大将、満州軍総司令官であった大山 巌による揮毫だそうです.

司馬遼太郎も讃えていますが、寡聞にして知らず。

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稲荷社鹽竈神社などが並びます。f:id:wave0131:20200629165709j:plain

▼昭和の大横綱、故大鵬幸喜親方が開いた土俵だそうです。f:id:wave0131:20200629165650j:plain

昭和の時代は「大鵬・巨人・卵焼き」が子供たちに人気がありました。

現在も子供たちのワンパク相撲に利用されているとか。

 

大鵬の身長と同じ高さの石碑と、ここにも龍がいます。「青龍」でしょうか?

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▼近代の戦場に赴く兵士たちにお守りとして削られ、疲れ果てた「楠木正成」像。

なぜこの地に?

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▼どうやら正成の子孫が、この地に移り住んだようです。f:id:wave0131:20200629165745j:plain

恵比寿・大黒社

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▼禅寺にある「開梆(かいぱん)」に似ています。f:id:wave0131:20200629165728j:plain

備え付けの木槌で「ゴンッ!」とひと突くきすれば

家内安全・病気平癒・身体健全・家畜守護」を約束!

 

▼御神木だったのでしょう。

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▼「和敬清寂の庭」。f:id:wave0131:20200629165511j:plain

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和敬清寂」とは、茶道における心得を示す標語だそうです。

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▼参道入口の看板に案内されていた「七夕てるてるトンネル」のようです。f:id:wave0131:20200629165501j:plain

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▼人が集まる神社の典型的な造作の授与所のように思います。

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▼「一楽萬開」?  知らないことばかりです!

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神社のHPから引用です。

一楽萬開札を受ける事により、龍神様より最初の楽をいただけるといわれています。この最初の楽を一楽と言い、一つの楽が次の楽を呼び次々に楽が集まり、「萬の道」すなわち人生が開かれることを一楽萬開と言います。楽とは身や心が楽しくなることであり、すなわち生活や心身が豊かに健やかになることでもあります。

 

▼「おみくじ」ホールです。f:id:wave0131:20200629165550j:plain

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おみくじも華やかさと楽しさがプラスされた演出で、子供や女子に大人気でしょう。

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ご利益も、おみくじも百花繚乱でした。

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▼最後に2015年の拝殿。

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社殿に鬱蒼感のある木々が覆いかぶさっていました。

現在は当時より明るく華やかになった田無神社でした。

▼ほぼ隣接する「総持寺」の記事。

wave2017.hatenablog.com

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