田無山 總持寺(田無不動尊)の御朱印
▼総持寺、関東三十六不動霊場 第十番の差替え御朱印。(2012年)
▼御朱印はこちらの受付でいただきました。
▼最寄駅は西武新宿線「田無駅」ですが、田無神社の元別当寺でしたので、ほぼ神社に隣接しています。
▼寺の創建は不詳ですが、江戸時代初期と伝わり、明治に入ってから田無山 総持寺と改称されたそうです。
▼多摩新四国の古そうな石柱。
▼綺麗な花が供えられた戦災者慰霊塔「平和観音」が門前に建ちます。
▼山門の前を横切る小道は「やすらぎのこみち」と案内がありました。
少し歩いてみましたが「やすらぎ」を覚えるような小道ではありませんでした。
無神経なせいかもしれませんが・・。
総持寺は「新東京百景」に選ばれています。
「新東京百景」は1982年に選定されていますので、40年前ということになり、
目まぐるしく移り変わる東京は「新々東京百景」の選定が必要かもしれません。
▼堂々とした山門が大きな寺であることを示しています。
1980年の再建だそうです。
▼山門の表側は力強い金剛力士像が立ちます。
▼アレッ? 吽形の右手は「OK!」「マル(金)」でしたっけ?
仁王像もいろいろです。
▼境内に入って振り返った山門です。
▼本堂は1850年に再建されているそうです。
「おとなりさん」の田無神社と比べると、こちらの境内はヒッソリ、ヒッソリです。
▼本尊はこちらでしょうが、本堂は扉が閉められていました。
▼唯一暗唱している真言。3回唱えます。
▼境内を見て回ります。
▼十三重塔は最近やっとその意味を知りました。
wiki から引用です。
仏塔とは、仏舎利を安置した仏教建築をいう。卒塔婆、塔婆、塔、ストゥーパ、供養塔とも呼ばれる。 ストゥーパとはサンスクリット語で「高く顕れる」という意味であり、仏教の世界観である涅槃の境地を象徴している。 ストゥーパが古代インドから中国に仏教が伝来した際、 は「卒塔婆」と音訳された。「塔婆」や「塔」はこの略である。
▼水子 子育地蔵にもたくさん花が供えられています。
▼巨大なケヤキは、本堂が再建された落慶記念に1850年に植えられたものだそうです。
▼ケヤキの奥は「妙見堂」。
妙見菩薩は、北極星、北斗七星を神格化した仏様のこと。 菩薩なのですが、天部の仏様だそうです。
▼写真がトンでしまってますが、
真言は「おんそじゅりしゅたそわか」。とても覚えられません。
▼左の「興教大師」像は平安時代後期の僧「覚鑁(かくばん)」です。
▼6月下旬の訪問。アジサイはこれから本番を迎えるところでしょう。
▼庭の奥の社は案内がなく、何なのか分かりません。
▼竹が美しい裏庭に入り込んでみました。
同じ竹でも「竹林」と「竹藪」では、「天国」と「地獄」ほどの差がありますね。
これぞ「やすらぎのこみち」ならぬ「やすらぎのこにわ」です。
憩いましょう!
▼隣接する「田無神社」の記事。