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御朱印迷宮

関東を中心とした寺社の御朱印記録です。参拝・収集目的に少しでも役立てば幸いです。

日本寺の御首題(千葉・多古町)〜千葉県には「日本寺」が二つ

▼正東山 日本寺の御首題です。(日蓮宗・千葉県

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持参の御首題帳に直書き、押していただきましたが、黄色だか、金色だかわからないインキは水性なのでしょうか? 書いていただいた文字がすべて、時間経過とともに、すっかりニジんでしまい正確には文字が読み取れません。

しかし、とっても人好きのする住職のお人柄と親切さに、ニジんでも「ごあいきょう」です。

 

▼こちらは書置きです。

f:id:wave0131:20190926203533j:plain日付を入れていただきましたが、グリーンのインキが正解だったかも?きっとグリーンのインキの用意がなかったのでしょう。何ら問題ありません。

 

▼同じく書置き。こちらが基本形ですね。

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上記3つの御首題は朱印と首題ほかの文字の内容は同一です。

文字がスタンプか筆書きかの違い、筆文字の色の違いだけです。

ここにこの寺の姿勢と住職の人柄が想像できます。

 

来客中にもかかわらず、声かけしたら親切に、いやそれ以上に対応いただきました。

そんな人柄が御首題にも現れています。

現在のブームに素直に向き合って、せっかく御首題を求めてやってくる参拝者に何とか「喜んでいただきたい」という気持ちがアリアリと見えます。

 

そしてその気持ちからたどり着いたのが、御首題の基本形を一切変更せずに、安っぽいスタンプやイラストも使用せずに「文字色の多用」のみという、素晴らしいゴールです。

 

収集者が好む目立つ「映え」の御首題を考えると、どうしてもブライトな色使いになるのでしょうが、安っぽさと紙一重です。

ダークでディープ、ダルでグレイッシュな配色の筆書きになれば「映え」も維持しつつ、さらに品格が向上するかもしれません。

 

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そもそも千葉にもう一つの「日本寺」があるとは知りませんでした。

f:id:wave0131:20190926194436j:plainワタシにとってポピュラーな「日本寺」は同じ千葉でも安房鋸南町、鋸山の「日本寺」でした。

f:id:wave0131:20190926194440j:plain鋸南町の「日本寺」は曹洞宗で大仏やノゾキで有名。

f:id:wave0131:20190926194444j:plain読みは鋸南町が「にほんじ」、ここ多古町は「にちほんじ」で日蓮宗アジサイが有名だそうです。

毎年6月には「あじさい祭り」が盛大に開催され、桜の季節も人出が多いそうです。

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▼「身代わり観音」。おなじみ「タワシでゴシゴシ」「イタイのイタイのとんでけ〜」です。

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▼「鐘楼」はこの位置から見ると写真を変倍したようなノッポな姿。

f:id:wave0131:20190926194452j:plainしかし威風堂々、とても見応えのある造りになっています。

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▼「一切経」。たくさんの経典が納められているのでしょうか?

f:id:wave0131:20190926194500j:plain何しろ明治までは「関東三大檀林」のひとつ「中村檀林」が開かれていました。大勢の学僧たちが学んでいた大学のような寺だったのです。

 

▼「珊瑚樹」は秋になると赤い実をつけます。少しだけ赤くなっていました。

f:id:wave0131:20190926194504j:plain創建は1319年の古刹です。最盛期には千人近い僧が学んでいたそうです。

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▼本堂扁額は「正東学座」。

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▼「檀林時代、講堂の柱に架かっていた獏」という説明がされています。

f:id:wave0131:20190926194524j:plainアジアの伝説の生き物は麒麟、獅子、鳳凰、獏などですが、ギリシャ神話ではケンタウロスやペガサス、キメラなどで、やはり洋の東西で雰囲気はかなり異なります。

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▼本堂左手奥に空気感の異なる神域があります。

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▼大小3つの社は「宇賀神」「妙見宮」「薬師様」と説明されていました。

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f:id:wave0131:20190926194547j:plain「豊田 岡田 稲荷大明神」の幟がありました。

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▼同じような社殿がもう一つ。

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▼おびただしい数の奉納狐像。

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▼中央は「妙見宮」。f:id:wave0131:20190926194602j:plain

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▼その手前の小さな社。

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▼「波の伊八」の彫刻と案内がありましたが、どれがどれだか?

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▼庫裏のようです。こちらで御首題をいただけます。

f:id:wave0131:20190926194645j:plain寺では勉強会や、山本周五郎作品の「一人語り」などのイベントがあり、住職に勧められましたが、東京からこの寺までの距離を考えると無理です。

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▼そしてこの寺は紫陽花の時季になると様相が一変するそうです。その数8000株とか。

f:id:wave0131:20190926194706j:plain他のイベント参加は無理でも、ぜひとも紫陽花の時季頃には再訪してみたいものです。

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▼八日目の蝉のような花が数輪残っていました。

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葛西神社の御朱印(東京・葛飾区)〜江戸川区葛西ではなく、葛飾区東金町の葛西神社

 

葛西神社御朱印です。(東京都葛飾東金町f:id:wave0131:20190925190531j:plain

8月の月替りの御朱印なのでしょうか?

バックは涼しげなイラストで墨書きと朱印を限界的にジャマしてなくステキなセンスの御朱印と思います。

 

今更ですが、月替りや限定とかの朱印に飛びつかない人間ですので、普通はいただける朱印を2体までお願いします。

 

どこに参拝しても多くの寺社が限定とか、月替りの御朱印を授与していると、結果、何の限定なのか、何月の月替り朱印なのかを知ろうとしないことが多くなりました。

 

御朱印と付き合ってる年月はそんなに古くはないものの、キラキラ、イラスト御朱印ではなく、

▼基本のこの御朱印がいただければ本望なのです。

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▼葛西神社、平成の御朱印です。5年という時間で何も変わっていません。f:id:wave0131:20190925190543j:plain

限定や月替りはほとんど「ついで」という気持ちでいただきます。

 

▼当社へはJR「金町駅」から徒歩約12分。

 

▼車で訪れると、そのまま車で入っていいものなのか、ダメなのか躊躇します。

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しかし、ほとんどの神社が鳥居を潜っての車の進入を許しています。

でも多くの神社は、その入口の幅が普通車でギリギリの狭さとなっているのがほとんどですので躊躇するのです。

ここ葛西神社は、地域柄車の導入路を広く設けているものの、やはり一礼できずに車で乗り入れることに躊躇します。

手前に駐めて境内の様子を確認してから車の進入を試みること度々です。

 

▼無事境内に車を駐められ、改めて表参道らしき正面の鳥居に向き合います。

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▼お清めをして進むと・・・

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▼木々に覆われた大鳥居が遠慮がちに迎えてくれます。

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▼境内を少し左にカーブすると緑に囲まれた拝殿が優しく迎えてくれますが、

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▼彼ら、彼女らは そんなにアマイ顔では迎えてくれません!

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狛犬に対する興味は少ないものの、GAFAのようにいつも自分のことを彼らに「見透かされている」ように感じます。

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何を知られても今更失うものは少なく、恐れるものではないのですが、同じ「見透かされ」「監視」であっても、狛犬GAFAでは、その中身が違います。

 

GAFAは表面的な行動からその人物を特定していき、また未来予想を限りなく正確に分析するのでしょうが、狛犬に限らず寺社の境内に入ったら「心のうち」を「見透かされ」ているようで恥じるのです。

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つまりGAFAに対しては「恐れ」なんて感じませんが、寺社の門をくぐると神仏には「怖れ」を感じます。

 

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もちろん「怖れ」を感じるのは自分自身のせいです。

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自身の行動や心情に恥じるものがなければ「怖れ」もないはずです。

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しかし、行動も思考も常に右往左往、人の言葉にも影響されっぱなしの軟弱人間、煩悩まみれの人間には「狛犬」は「怖い」のです。

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狛犬」だけに限りません。寺社の境内に一歩踏み入れれば、あらゆるものから「攻め」を感じたこともありました。

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幸い最近では「狛犬」たちの目線にも臆することのない方向に向かっているようですが。

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ところで「葛西神社」が鎮座するのは江戸川区の葛西地域ではありません。

葛飾区の東金町、ほとんど埼玉と千葉の県境に近い東京の端に鎮座しています。

なのに「葛西神社」です。

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その昔、隅田川の東側は「下総国」でした。隅田川の西側は「武蔵国」。

その2つの国、両国を繋ぐ隅田川に架けられた橋が「両国橋」です。

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当時この地域は「下総国葛飾郡」と呼ばれ江戸川を境に東は「東葛」、西は「葛西」に区分され、さらに「葛西」は「上葛西」と「下葛西」に区分されていました。

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何しろ「下総国葛飾郡」は広大で、現在の東京・埼玉・千葉・茨城にまたがっていたので、地域の発展とともに細かく区分して地域名をつけないと不便になっていったのでしょう。

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「葛西神社」は「上葛西」と「下葛西」にある33郷の総鎮守だったのでその名前が残っているのです。

▼ということで御朱印にも書かれている「祭囃子」発祥の杜であるそうですが、「葛西ばやし」がどんな囃子かYOUTUBEで聴いてみましたが、誰でも聞き覚えのある耳に慣れた「まつりばやし」でした。

f:id:wave0131:20190925190718j:plain前回「佛光寺」の記事でもそうでしたが、今回も境内の様子や説明はせず、ここまで進んでしまいましたが、ここまでの写真のように立派な摂社も多く見処満載の神社です。

▼「稲荷社」。

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▼「葛西天神社」。

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▼こちらは「勝海舟直筆の碑」は「香取神社」と読めます。当初は「香取宮」→「香取神社」→明治14年「葛西神社」と改められてきたそうです。

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▼「念仏講」の人々が悪魔祓いのために元禄時代、1694年に建てられた「鍾馗(しょうき)石像」と説明板にありました。「しょーきさん」でしょうね?

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▼「祓戸神社」。

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▼出ました! ほとんど富士塚の「富士社」。

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▼頂上は「富士大神」の石碑。

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▼力石でしょうか?

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▼「金町招魂社」。

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▼境内の南外れにある鳥居は区内最古だそうですが、どのくらい古いのかわかりません。半ば土に埋もれたような高さに見えますが、江戸時代は平均身長が155cmですから、これでも十分見上げる高さだったかもしれません。

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▼相当年季が入っています。

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新たな狛犬に表舞台を譲り、風雨に耐え続ける小さな古い狛犬は思いっきり健気です。

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東京のはずれですが、JR常磐線金町駅」から徒歩ですと約10分ほどで着くそうです。

柴又帝釈天に参拝した折などに脚を延ばすのがベターかも?

 

▼葛西にはない「葛西神社」でしたが、こちらは葛飾にはない「葛飾八幡宮」です。

wave2017.hatenablog.com

佛光寺の御朱印(京都・下京区)〜御朱印だと思っていたけど「法語印」でした!

▼渋谷山 佛光寺御朱印です。(真宗佛光寺派f:id:wave0131:20190924193108j:plain

御朱印受付でなにやら、読むのにとてもメンドイ注意書きのようなカンバンが目立ちました。

「絵手紙」をいただきに来たわけではないので、スタンダードな印を1体だけいただきました。

中央に書かれている「常照我」は親鸞の言葉のようです。

 

▼「御朱印をいただけますでしょうか?」と受付の女性にお願いして、頭上を見上げれば、こんな案内板。

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絵入り法語印受付について | 真宗佛光寺派 本山佛光寺

 

▼下を見れば、こんな案内が・・。f:id:wave0131:20190924193130j:plain

絵ハガキはともかく、御朱印御朱印ではなく佛光寺では「法語印」というので呼ばれていました。

 

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そもそも浄土真宗の寺の多くは「原則 御朱印はない」と理解した方が良さそうです。

「原則」「基本」ですので、印をいただける寺もいくつもあります。

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ワタシたちは、ひっくるめて「御朱印」と称していますが、本来、御朱印の生い立ち上、寺では「納経印」と呼ばれるのが普通でした。

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しかし浄土真宗では長い「お経」を唱えなくとも「南無阿弥陀仏」と「念仏」することで「阿弥陀さまによる救い」のチケットがいただけるというのが「教え」だったように記憶?しています。

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馴染みのある般若心経も真宗日蓮宗では唱えませんから、般若心経を納経しようとしても受け取ってもらえないはず。

それ以前に真宗では「納経」という考え自体無いようです。

納経の始まりとも言える四国霊場や西国・東国三十三に真宗の寺はありません。

まぁ、これは時代的に真宗が確立する前にできてる霊場ですので当たり前ですが。

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京都の東西の本願寺では記念スタンプはあったとしても「朱印」「法印」はありません。

なぜ「納経」が無いのかはこんな理由もあるようです。

教化リーフレット | 東本願寺

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要するに「一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはない」「大事なのはお参りすることではなく、お参りして教えに出遇うこと」
「お寺を回ったというような達成感に腰を落ち着けてしまうのではなく、
教えを聞き続けようと立ち上がる必要がある」とおっしゃっています。

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もっともなご意見であります。

しかし「一度朱印をもらえば、二度とお参りすることはない」という言葉は全ての御朱印収集者にあてはまりません。

2度、3度、御朱印をいただきに行くこともあれば、御朱印をいただかなくとも何度も参拝に足を運ぶ寺社だってあります。

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また、浄土真宗本願寺派大谷派のほかに宗派は数多くあります。

東京浅草の東本願寺は「本願寺派」で東西本願寺とは宗派は異なり、御朱印をいただけます。その朱印には本尊の名称はなく「光雲無碍」などと書かれていることが多く、やはり「法語」なのでしょうか?

だとすると浅草の東本願寺も「法語印」が正しいのかもしれません。

f:id:wave0131:20190924193138j:plainそして今回参拝の佛光寺は「真宗佛光寺派」。

ということで、ここも東西本願寺とは宗派は異なり「法語印」がいただけるということです。

f:id:wave0131:20190924193118j:plain一口に「浄土真宗御朱印は無い」という表現は的確では無いということになります。

各宗派により朱印に対する考え、理解が相当かけ離れています。

 

いずれにしても宗教の宗派というのは釈迦の入滅以降、人間が作り上げたもの。

それも、一般人が想像する以上に、仏の道を説く者同士とも思えないチナマグサイ争いを経て生まれた宗派もあり、とてもとても安直に理解できるものではありません。

 

そんなことは脇に置いておいて、浄土真宗の寺で「御朱印」や「法語印」をいただけたら、しっかり参拝することも忘れてはいけません。

本尊の阿弥陀如来はじめ、親鸞さん、蓮如さんの像があったらきちんとご挨拶です。

 

wave2017.hatenablog.com

総持寺の御朱印(横浜・鶴見区)〜大本山が二つ? 素人には分かりにくい事情

▼諸嶽山 総持寺御朱印です。(曹洞宗大本山・神奈川県横浜市鶴見区鶴見)f:id:wave0131:20190919103214j:plain

▼同じく、2012年の御朱印f:id:wave0131:20190919103209j:plain

ご存知のように曹洞宗大本山は2ヶ所あり、一つは福井の永平寺、もう一つがここ横浜・鶴見の総持寺です。

 

曹洞宗はこの二つで永平寺瑩山派に別れているようです。

永平寺では道元を「開祖」とし、総持寺では瑩山を「太祖」としています。

 

御朱印の中央墨書き「太祖常濟大師」は瑩山諡号です。

 

大本山が2ヶ所あるだけでもややこしいのですが、さらに石川県に「総持寺祖院」があります。

元々はこちらが本家だったのですが、明治の火災により堂宇を消失したため、現在の鶴見に移転して来たそうです。

能登から横浜市鶴見です。どう言う展開で移転先が決められたのか、興味あるところです。

 

石川の祖院も広大の境内に、焼失をまぬがれた伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに七堂伽藍も再建されているそうです。

ぜひ機会を作って訪問して見たい寺です。

 

 

 

総持寺へはJRや京急鶴見駅」から徒歩5〜10分圏内です。

 

▼「鶴見駅」を西口に出て横浜方面に3、4分歩くと誰もが見逃さないブットイ木製の寺標が目に入ります。

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▼さらにとてつもなく大きな石の寺標。何トンあるんでしょうか。

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▼柱と石の間に参道が延びています。

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▼参道と並行する駐車場への車道で見かけました。「神奈川県歯科医師会」とありますので「塚」みたいなものでしょうか?

f:id:wave0131:20190919103545j:plain多くの人々の「歯」によって儲けさせていただいた「証」として医師会の建立かしら?

 

▼境内の周りは「鶴見大学」になっています。母体の「総持学園」は幼稚園から大学まである私立の学校法人です。

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▼参道に戻ります。こちらが他の寺でもよく見かける石柱の寺標ですが、ほとんど参道両脇の木々の間に隠れています。

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▼参道が少し左にカーブしますと「三松関」。門ですが「関」です。

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▼なんと書いてあるのでしょう?「三?松関」? 分かりません。

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▼「三松関」を潜ると再び参道が続き「三門」が見えてきます。

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▼右手に「三松閣」の大きな屋根が見えます。

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▼もちろん「三門」もデカイ!
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▼潜って振り返ります。威風堂々としていますが、コンクリート製でしょう。

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▼山門から右に折れます。宿泊施設もあり様々な行事などに使用される切妻造りの「三松閣」は、この寺で一番大きな建物かもしれない。少なくとも背は一番高い。

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▼その隣は「香積台」。いわゆる庫裏、庫院です。

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▼やっと禅寺らしい趣に出会えました。御朱印もいただける総受付となっています。

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▼内部では大黒さまが祀られていました。

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▼見応えのある「唐門」は修復中でしょうか、覆いが施されていて残念。

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▼上記までは「外苑」。「金鶏門」を潜ると、以下「内苑」と呼ばれる区域に入ります。f:id:wave0131:20190919103450j:plain

▼「唐門」は「外苑」にあり、外苑内苑の間にはこの「金鶏門」を含め、門が3つあります。f:id:wave0131:20190919103436j:plain

▼門と門、そして堂宇を繋ぐ廊下の内側です。全ての堂宇が内苑を囲むように、この回廊で繋がれています。修行僧たちの日課の作務は、ピカピカの回廊を維持しています。

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内苑に入って右手に「大祖堂」が木々の向こうに見えてきました。

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▼正面に進んでみますと大きい、とにかく大きいのです。巨大な鳥類が羽を広げて威嚇しているようなイメージです。

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昭和に入ってから建立され、総持寺の主な行事が行われるお堂のようです。

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堂内は千畳敷、982坪の地下室も持ち、銅板葺きの屋根だけで53トンあるそうです。

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▼読めない文字が続きました!

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▼読めない! 一文字も読めない!

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▼右側にある文字も読めない!

f:id:wave0131:20190919103325j:plain大祖堂」から反時計回りに進みます。

▼「仏殿」は「大雄宝殿」とも呼ばれます。素晴らしい景観はどこかで見たような?

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▼そのどこかは、同じ曹洞宗の富山「瑞龍寺」です。似てます!

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▼ともあれ、鶴見の総持寺で一番素晴らしいと感じる建築物でした。
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▼これは読めました「大雄宝殿」の扁額です。

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▼内苑をさらに反時計回りに進みます。

多すぎて、もう「・・・堂」か分かりませんが、いくつかの堂宇が続きます。

f:id:wave0131:20190919103416j:plainこの堂内からは、いつまでも聴いていたいような、とても聞きごこちの良い複数の僧侶による読経が聴こえてきました。

何かの勤行でしょうか? まったくわかりません。

f:id:wave0131:20190919103411j:plain禅道場でもあるこの寺は、すべての僧侶たちの立ち居振る舞いが「ピ〜〜ン」と張り詰めてています。

f:id:wave0131:20190919103305j:plain言葉を代えればダレていない「凜」とした彼らの姿に、憧れのような敬意を抱きます。

f:id:wave0131:20190919103301j:plain御朱印の受け渡し一つを取り上げてみても、ほかの寺、神社とは違う丁寧さ、真摯さを感じます。

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御朱印も、当たり前に軽々しい扱いはできない、この寺の立ち位置が感じられました。

f:id:wave0131:20190919103254j:plainそれは皆さんがここ総持寺に参拝し、御朱印をお願いした時に必ずや感じる事が、この寺のイメージとして残る大きな部分でもあるはずです。

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f:id:wave0131:20190919103310j:plain▼もう一度「大雄宝殿」を遠くに見て回廊の外、外苑に出ます。

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▼駐車場の近くに小高い山があります。

f:id:wave0131:20190919103553j:plain▼登ってみます。f:id:wave0131:20190919103638j:plain

▼「大梵鐘」です。20トン近くあるそうですが、毎日、時を告げているそうです。

f:id:wave0131:20190919103613j:plain鬱蒼としたたくさんの木々に囲まれド〜ンと置かれたような大きな鐘楼です。

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▼梵鐘の真下から見上げると、その大きさに恐ろしさを感じるほどです。

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▼「三寶殿」は総持寺の守護神 三寶大荒神が祀られています。

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帰途は鶴見の街を見守るように建つ観音像が見送ってくれます。

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六郷神社の御朱印(大田区)〜ゾウも渡った! 六郷の渡しにある23区最南端?の神社

六郷神社御朱印です。(東京都大田区東六郷)f:id:wave0131:20190917190904j:plain

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東海道は「お江戸日本橋 七つだち」で最初は品川宿、つぎは川崎宿です。

ここまでは日本橋から20km以内。

健脚な江戸時代の旅人にも負けずに、アナタも歩けます。きっと・・・。

 

川崎宿の手前に多摩川が横切っています。

江戸時代にはここに橋が架けられたものの、何回も流されています。

流されることに懲りて明治まで「六郷の渡し」として渡船により川崎宿に渡りました。

 

明治天皇もここを渡ったそうで、その「石碑」が川向こうの川崎側にオシャレな形で

建っています。                       (wiki 東海道五十三次)

f:id:wave0131:20190917190917j:plain当時は関所的な役目も果たしていたその渡しの様子が、なんとも長閑な景観でいくつもの浮世絵になっています。f:id:wave0131:20190917190912j:plain

8代将軍 吉宗の時代では、長崎に上陸した日本人が初めて目にする「象」も、長崎からここまで歩いてやってきて、六郷の渡しを苦労して渡り、江戸まで将軍にご挨拶に伺ったようです。

 

遠く日本の地に運ばれてきた象たちの日本での悲話の始まりであるかもしれません。

珍しい動物たちは常に人間のために「見せ物」として余計な力の発揮を強要させられます。

時代とともに変化して、人間だって同じ動物であるという視点で、昨今は様々な動物たちと仲良く、良好な関係を築いていることをマスコミなどがアピールしていますが、それだって人間の単なる傲慢さかもしれません。

動物側から見たらどうでしょう?

「人間さえいなければ・・」地球上の人間以外の動物は、もっと自由だったかもしれません。

生態系の話になってしまうかな?

 

▼さて「六郷神社」への最寄駅はここです。f:id:wave0131:20190917193127j:plain

六郷渡し」という駅名は許されなかったのでしょうか?京急さん。

悲惨な駅名「六郷土手」になっています。何とかしたい「ドテ」です。

 

▼ともかく表参道へ。ドテ駅からは1kmもないのでラクチンに到着します。f:id:wave0131:20190917190943j:plain

▼参道の正面は社殿ではないようです。f:id:wave0131:20190917190939j:plain

▼参道途中の左手に素晴らしい門構え。郵便受けがあるので宮司宅?f:id:wave0131:20190917190934j:plain

▼さらに進むと「頼朝寄進の手水石」。f:id:wave0131:20190917190948j:plain関東の多くの寺社には頼朝の痕跡が付いて回ってます。

彼が10人いても足りないほど、あちらこちらの寺社に彼の言い伝えが残っています。

 

でも頼朝を祀る神社は、ワタシが知るところ2つだけ。鎌倉の「鶴岡八幡宮」と藤沢の「白旗神社」。

祀られはしないもの、寺社にのこる伝説は数知れず、です。

まぁ関東ですので、信長や秀吉の言い伝えはなく、頼朝や家康の伝説があって当たり前ですが・・。

 

▼参道正面は社務所でした。利用したら高価そうな割烹旅館のような佇まいです。f:id:wave0131:20190917190953j:plain

▼その手前を左に折れると拝殿。f:id:wave0131:20190917191023j:plain

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▼本殿ねっ。f:id:wave0131:20190917190930j:plain

▼境内の南に位置する鳥居です。こちらからは鳥居、神門、拝殿が一直線に見えます。f:id:wave0131:20190917191032j:plain

▼ここでも社格の2文字は消されています、多分・・。f:id:wave0131:20190917191028j:plain

▼鳥居手前に鎌倉幕府御家人梶原景時寄進の太鼓橋だそうです。千年の風雨に晒されてきたのでしょうか?f:id:wave0131:20190917190925j:plainかつてのここは神社を囲む堀になっていたかも知れませんが、それにしても梶原景時?知識がありません。

 

ところでBLOG副題でほとんど意味のない「23区最南端」としてしまいましたが、本当のところはこの「六郷神社」の近くに、さらに少しだけ南にある無住の神社があるようです。

 

f:id:wave0131:20190917191014j:plain東京都と神奈川県は奥多摩を源流とする「多摩川」を境としています。f:id:wave0131:20190917191010j:plain関東平野に流れ込んだ多摩川は蛇行せず、ほぼ素直に流れを作っていますが、東京湾に注ぐ手前の河口近くでひらがなの「」の字を描くように、思い切り蛇行しています。

その「」の字の袋になったところに六郷があります。

f:id:wave0131:20190917191005j:plainですから東京23区の最南端になり、かつては名前の通り六つの村があったのでしょう。

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そして神社近くの「六郷橋」を渡ると「川崎宿」。

ワタシたちには川崎大師や若宮神社稲毛神社などの御朱印が待っています。

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