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東海道は「お江戸日本橋 七つだち」で最初は品川宿、つぎは川崎宿です。
ここまでは日本橋から20km以内。
健脚な江戸時代の旅人にも負けずに、アナタも歩けます。きっと・・・。
江戸時代にはここに橋が架けられたものの、何回も流されています。
流されることに懲りて明治まで「六郷の渡し」として渡船により川崎宿に渡りました。
明治天皇もここを渡ったそうで、その「石碑」が川向こうの川崎側にオシャレな形で
建っています。 (wiki 東海道五十三次)
当時は関所的な役目も果たしていたその渡しの様子が、なんとも長閑な景観でいくつもの浮世絵になっています。
8代将軍 吉宗の時代では、長崎に上陸した日本人が初めて目にする「象」も、長崎からここまで歩いてやってきて、六郷の渡しを苦労して渡り、江戸まで将軍にご挨拶に伺ったようです。
遠く日本の地に運ばれてきた象たちの日本での悲話の始まりであるかもしれません。
珍しい動物たちは常に人間のために「見せ物」として余計な力の発揮を強要させられます。
時代とともに変化して、人間だって同じ動物であるという視点で、昨今は様々な動物たちと仲良く、良好な関係を築いていることをマスコミなどがアピールしていますが、それだって人間の単なる傲慢さかもしれません。
動物側から見たらどうでしょう?
「人間さえいなければ・・」地球上の人間以外の動物は、もっと自由だったかもしれません。
生態系の話になってしまうかな?
▼さて「六郷神社」への最寄駅はここです。
「六郷渡し」という駅名は許されなかったのでしょうか?京急さん。
悲惨な駅名「六郷土手」になっています。何とかしたい「ドテ」です。
▼ともかく表参道へ。ドテ駅からは1kmもないのでラクチンに到着します。
▼参道の正面は社殿ではないようです。
▼参道途中の左手に素晴らしい門構え。郵便受けがあるので宮司宅?
▼さらに進むと「頼朝寄進の手水石」。関東の多くの寺社には頼朝の痕跡が付いて回ってます。
彼が10人いても足りないほど、あちらこちらの寺社に彼の言い伝えが残っています。
でも頼朝を祀る神社は、ワタシが知るところ2つだけ。鎌倉の「鶴岡八幡宮」と藤沢の「白旗神社」。
祀られはしないもの、寺社にのこる伝説は数知れず、です。
まぁ関東ですので、信長や秀吉の言い伝えはなく、頼朝や家康の伝説があって当たり前ですが・・。
▼参道正面は社務所でした。利用したら高価そうな割烹旅館のような佇まいです。
▼その手前を左に折れると拝殿。
▼本殿ねっ。
▼境内の南に位置する鳥居です。こちらからは鳥居、神門、拝殿が一直線に見えます。
▼ここでも社格の2文字は消されています、多分・・。
▼鳥居手前に鎌倉幕府御家人、梶原景時寄進の太鼓橋だそうです。千年の風雨に晒されてきたのでしょうか?かつてのここは神社を囲む堀になっていたかも知れませんが、それにしても梶原景時?知識がありません。
ところでBLOG副題でほとんど意味のない「23区最南端」としてしまいましたが、本当のところはこの「六郷神社」の近くに、さらに少しだけ南にある無住の神社があるようです。
東京都と神奈川県は奥多摩を源流とする「多摩川」を境としています。関東平野に流れ込んだ多摩川は蛇行せず、ほぼ素直に流れを作っていますが、東京湾に注ぐ手前の河口近くでひらがなの「ひ」の字を描くように、思い切り蛇行しています。
その「ひ」の字の袋になったところに六郷があります。
ですから東京23区の最南端になり、かつては名前の通り六つの村があったのでしょう。