前回、武蔵野のイメージで太宰治の名を出しました。
で、彼の墓を訪れてみたくなりました。
東京の東端から三鷹まで下道をテクテク車を走らせようと思いましたが、祝日の20号線はノンビリ走っていられませんでした。
みんなトバす、トバす。こちらもツラれて飛ばす。
前方とバックミラーを交互に見ます。
これまで、何度スピード違反で白バイさんにお世話になったことか!
これ以上、白バイ屋さんの手を煩わせるわけにはいきません。
落とせ! スピード!!
ど田舎で軽に乗った気持ちで左車線を走れば良い。
しかし、地方に行くと必ず出会う軽は、法定速度5kmオーバー程でトロトロ「歩む」のだ。
ガマンしてお尻を追う。フラストが蓄積される。体に悪い。が、そのうちトロトロ軽は右左折して視覚から消えて前方が空く。ヤレヤレ!
地方の軽の殆どは遠くには行かない。地元だけで走っている。
東京でそんな軽との遭遇は、ごく稀だ。
東京の休日は、死語かもしれないが所謂「日曜ドライバー」的な操作の車が目立つ。
「オイオイ! なんなんだ!! その動きは?」「止まるんならウインカーくらい出せよって!」
昨今、車を走らせるのも「寛容」さが最も必要となる。
そんな事を思いながら車を進めれば三鷹に着いた。
太宰の墓は禅林寺。
▼だが、そこの駐車場に入って、すぐ隣の八幡大神社に最初に寄ってみる。
「大神社」にしては参拝者は誰もいない。いや遭遇しなかった。
整えられた受付と社務所も閉まっている。
受付の右端のピンポンを押す。
3秒後「ハイ?」
「お忙しいところ恐縮ですが、御朱印を頂けますでしょうか?」
「んっ? あっ、 書き手が1日と15日しか居ないんですよ! ・・・ムニャムニャ・・」よく聞こえない。
何れにしても❌、いただけけないな事は理解できた。
あえて聞きもしなかったが、書き置きの案内もなかった。
アキラメ!
この神社の御朱印をいただくのは困難だ。1日と15日!ならば戴けるとの事だが、書き置きもなければ、もうイイワ!
限定御朱印に近くなる、だから今後敢えて近寄らなくても良い事にする。
通常、御朱印は寺社側の好意だ。
好意が少なくとも文句は言えない。
▼で、第一目的の隣接する禅林寺に戻る。
文学者の墓はあるが観光寺ではない。
この日も檀家らしき家の葬儀が行われているようで、その読経が聞こえた。
上の写真の左手奥に太宰、鴎外の墓の案内があった。
▼が、大して広くもない墓地内を右往左往しながら進んでやっと見つけられた。
墓は太宰と鴎外が対面していた。
どちらも花と線香が耐えていないようだ。
隣の八幡大神社とは違って、2組の訪問者と出会った。
2組とも敬虔に墓に向かって長く両手を合わせていた。
そこそこ年配の2組は文学が友か、歴史が友か?
彼らは墓の写真を撮るのを遠慮していた。
バシャバシャ、カシャカシャ、iphoneとEOSのシャッター音を出しているワシは、もしかしたら間違っている? のかしら。変な気持ちになる。
彼らの眠りをジャマしたかしら?
墓から戻った寺務所では⭕️だった。
▲霊泉山 禅林寺の御朱印です。(黄檗宗・東京都三鷹市下連雀)
御朱印は八幡大神社ではペケで、禅林寺しかいただけない消化不良的気持ちをなだめるべく、少し足を伸ばして国分寺に向かう。
▼武蔵国分寺だ。もっとも名称を継承した寺というのが正解なのかしら?
ここで本日2つ目の御朱印をいただこうとやってきました。
本堂から右手の庫裡らしき所に向かうと窓口に「本日は御朱印をいたしておりません」の下げ看板。アララ、ここも❌だ。
冷たいわねぇ。
せめて書置きくらい用意していただければ、と思ってしまった。
最近「本日は御朱印をいたしておりません・・・」という案内と度々遭遇する。
この「本日」というのは、どうやら集印者がある程度集中する日や曜日のように思えてならない。
度々だから様々に勘ぐってしまう。
要するに「メンドクサイ!」
いっそのこと「当寺、当社では御朱印をいたしておりません」の方が潔い、と思うのだが、ゲスのカングリだ!ろう。
何しろ、この周辺は歴史好き、寺好き、散歩、探索 など、その目的は様々だろうが人出が多い。
国分寺跡資料館、お鷹の道、真姿の池湧水群などが集中してるから当たり前か?
池の周辺、遊歩道は人が絶えない。
そして、武蔵野だ。
こんな明るい林が続くのが自分がイメージする武蔵野だが、残念ながら整備された一画。
23区内の公園でも見つけられるかもしれない風景だが、それでもこの奥深い雰囲気、匂いは23区内とは違っている。
数時間費やしても、いただけた御朱印は一つだけだったが、こんな時も多々ある。
まるっきりカラブリではなく、お陰で別な側面に眼をやることができた。
マァ、いいかっ!って事にする。