白龍山 寿命院 東覚寺の御朱印
「とうがくじ」真言宗豊山派(東京都北区田端2-7)
▼東覚寺の御朱印です(2023年)。 「御府内 第六十六番」
▼東覚寺の御朱印です(2020年)。 「御府内 第六十六番」
▼東覚寺の御朱印です(2020年)。 「谷中七福神 福禄寿」
▼東覚寺の御朱印です(2011年)。 「谷中七福神 福禄寿」
▼御朱印は境内左手にわかりやすい案内がありました。
▼散華のお守りなども置かれていましたが、写真がボケてますね。
▼北区、荒川区、台東区に広がる谷中七福神のなかで唯一北区にある東覚寺です。
「田端駅」から徒歩で5、6分。
▼正月、谷中七福神の期間中はとても大勢の参拝客が訪れます。
▼2011年に初の訪問をしてから、数回目の参拝となりました。
▼赤いおべべのない凛々しい地蔵に対して、こちらは小僧さんのようなカワイイ像。
ミカンと10円が人々の心をあらわしています。
▼山門から境内に入る前に右手に新し目のお堂があります。
▼護摩堂という案内を見つけましたが扁額は「明尊殿」となっています。
▼そしてお堂の前に立つ赤札まみれの物体が、東覚寺を有名にした「赤札仁王尊」。
元の形が分からないような状態になっていますが、
赤紙の下は1641年、江戸時代初期に造立された石造仁王像。
▼まるで、ポンキッキの隣にいるこの人みたいですが、名前を忘れました。
仁王像は他でもよく見かけるように、元々は疫病退散を願って造立されたものが、
いつ頃からか身体の不都合な箇所と同じ部分に赤紙を貼るようになったのでしょう。
観音や地蔵、おびんずるさまを「ゴシゴシ」「フキフキ」「ナデナデ」するのと同じですが、
ここでは赤い紙を「ペタペタ」です。
そう言えば地蔵さんを「縛る」「しばられ地蔵」というのもありましたが、
病気平癒ではなく盗難よけなどがご利益です。
昔も今も人間を長く経験していると必ず身体の不都合が生じてきます。
医療など自由に利用できなかった当時の人々は薬師に祈り、観音や地蔵にも祈ったのでしょう。
しかし赤紙を「ペタペタ」するようになったのは明治期になってとも言われています。
▼そして無事平癒したらワラジを納めるそうです。
奉納されたワラジの数はたくさんの方達が「赤札仁王尊」に救われたアカシでしょう。
石造の仁王さんの健脚をイメージさせた奉納物かもしれません。
▼仁王像の並びに石造の不動明王もいらっしゃいます。
▼東覚寺は1491年に神田に創建され→根岸→田端と移転してきたそうです。
▼境内では弘法大師千百五十年遠忌の記念石塔がそびえ立ちます。
▼本堂前に小さな狛犬。「小粒だけど他の仏像たちに負けないよ!」
▼谷中七福神「福禄寿」は、扉が開けられた本堂最前面に出張されていました。
「福禄寿」は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の3文字から成り立っていますが、説明がいらないほど分かりやすくお目出度い3文字の神です。
▼境内は広くはありませんが、大小さまざまな仏像があちらこちらに置かれています。
▼そして金ピカの「大日如来」。
寺務所前にも金ピカ「阿弥陀如来」が座っていらっしゃいます。
▼こちらは「文殊菩薩」?
▼こちらは「地蔵」に間違いありません。
▼さて、此方は?
▼時々見かける、寺社になぜ二宮金次郎? 報徳思想? 金次郎は深い!
しかし、台座には「南無遍照金剛」? んん〜〜〜ン?
▼本堂裏に回りましょう! 東覚寺の一番の見所かもしれません?
七福神期間中のみの公開かもしれませんが、見事な庭が広がっています。
▼えびす像は・・・
▼思いっきりの笑顔です。
この庭園にも様々な仏像が立ちます。
▼「弁財天」。
▼澄んだ池の中で鯉たちが戯れます。
▼「稲荷社」です。
▼「福禄寿」でしょう。
▼「僧形 八幡神」は、快慶作の模刻だそうです。
▼大小様々な仏像が点在。
大したものです。近辺でこれほどの仏像に出会える寺院は他にありません。
しかし、数々の仏像名が思い出せなくて頭が痛くなってきました。
おデコに赤紙、貼ります!
[2020.12.23-rewrite 2023.01.31]