▼同じく本尊 延命地蔵尊(多摩新四国八十八ヶ所霊場86番札所)の御朱印。
▼各300円の御朱印はお馴染みの土方歳三の写真入りの栞を挟んで返されてきました。
この寺の前に訪問した真照寺同様、朱印帳への御朱印は500円かとビビリましたが、300円。ホッと胸を撫でおろしました。
全ての寺で500円ですと七福神だけで3,500円、本尊も一緒にいただくと7,000円という恐ろしい数字になってしまいます。
正月からお金の話は記事にしたくありませんが、ボンビーのサガです、お許しを!
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▼新撰組、土方歳三、幕末ファンなら、この寺を多くの寺院と同様、正しく音読みで「せきでんじ」と読むかもしれません。しかし知らなければ思わず「いしだでら」と読みたくなる「石田寺」です。土方歳三の墓所で知られているここ石田寺ですが、彼の墓は会津若松や函館などにもあります。歴史上に名を残している者は複数の墓があるのが常です。しかし歴史上の人物や著名人の墓所があるだけでは観光寺にはなれません。
観光的寺社になるには多くの要素を兼ね備えていないと成り立ちません。
ここ石田寺も観光寺ではありませんが、多くの歴史好きな人々が訪れるようで、七福神めぐり以外らしき参拝者も見受けられました。
▼もちろん日野七福神の福禄寿もキチンと仕事をしていらっしゃいました。
▼ここでも福禄寿の右手と「善の綱」が延びていました。
▼「知」がイッパイ詰まって、頭デッカチになってしまった福禄寿。見習いたい!
▼こちらは「北向観音」。石田寺の起こりは1361年。その後いったん廃寺になったものの、1544年に十一面観音がこの地に流れ着いて観音堂が建立されたと伝わり、この寺の原点でもあるお堂のようです。
▼さして広くもない境内で見上げるカヤの木は400年もの年輪を刻んでいるそうです。
▼そのカヤの木の下にある土方の碑は、明治百年祭の折に建立されたようです。さて、土方歳三の墓所で有名な石田寺ですから彼の墓を探しましょう。
▼案内板に気づかず墓域をグルグル巡ると、どの墓石も「土方」です。地方に見られるように、この地域も同姓の家が多いのでしょう。
▼ようやく案内板に気づき歳三の墓所にたどりつきました。
▼建て替えられたのか墓石の「俗名 土方歳三義豊」の刻みは、まだ新し目でした。不思議に誰もが憎まず、好かれる人物像に仕立て上げられたイケメンの土方は、やはり幕末のヒーローの一人でしょう。
後の世のメディアの扱われ方次第で、悪役にもなり、ヒーローにもなる上でのことですが・・・。
▼さて、多くの参拝者が御朱印を求めます。ワタシも急ぎます!