▼草加神社(埼玉県草加市氷川町)の見開き御朱印です。御朱印は1ページ使用の通常のものと、今回いただいた御神木スタンプを押した見開き2ページ使用の2種類の見本が授与所に出ていました。
直書きで1000円でした。
「金 壱仟圓」の御朱印は、これまで記憶にありません。忘れただけかもしれない?
何か少し足りないようなサミシさを感じさせる21文字と3スタンプ(朱印)です。
24で割ると1文字(1スタンプ)42円弱。ケチクサイ計算をしてしまいました。
「高い!」「あと500円出せば朱印帳が買えるかも・・」と思ったら、やめれば良いものを中途半端な気持ちでいただいてしまいました。
まぁ、この神社は2回目の訪問で前回は通常御朱印をいただいているので、今回は神社側が「ガンばって」創った「見開き」をいただくことにしたのです。
そうっ! きっとブームに乗ろうと頑張って創った「見開き御朱印」なのでしょうから・・。
▼同じく2015年にいただいた御朱印。
この時は「通常御朱印」という言葉なぞありませんでした。
1種類だけだから単に「御朱印」でした。
18文字2朱印で300円。20品目、@15円でコスパは俄然こちらの方が良い!
御朱印を、こういう計算の目で見たのは我ながら初。
チョッとハズカシー!
相変わらず御朱印収集人のカザカミに置けません。「カザシモ」、最後尾に並びます。
みなさんに このニオイが伝わらないように!
何しろ現在の東京都、ニオイを出したらパンダ知事に逮捕されかねませんので・・。
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1月の佐倉七福神めぐり以降、どこの朱印もいただいません。
めずらしく身辺が忙しかったのです。
その多忙に区切りがつきました。だから暫くは、いつものように当分ヒマだわね。
で、前日の2月23日まで、明日は少し早起きして千葉勝浦の雛壇を見てこよう、と思っていました。
ところがグズグズしていて眠ったのは朝方、起きたのは昼近い。当然、勝浦はムリ。慣れっこだ、こんな情けなさは・・。
代わりにと言うか、草加方面に用事が降って湧いきました。
用事はカンタン、サッサと済ませ、草加神社に寄ってみます。
▼両サイドの石柱は「赫赫神威」「昭昭霊徳」と書かれているんでしょうね?正確な読みもわからず、「カクカクシカジカ」と説明できるほどではないものの、何となく意味はわかるような・・。
▼参道を進むと右側の公園内に機関車が。▼「C56 110」シゴロク? SLは「デコイチ」しか知らないけど、これは定年後の勇姿。
▼二の鳥居の先は前回訪問時より「華」を感じさせられたわ。
▼ほぼ同じ時期の4年前は、合格祈願も叶わかったかのようにサムザムとしていたのに。
▼狛犬に大きな興味はないけど、その周りも賑やかな雰囲気になっています。
▼江戸時代からここに居を構えているようだけど、今はドヤ顔にも見えます。▼「おみくじコーナー」も出来ていた。無人だから「おみくじ自販機コーナー」みたいなものだね。開運、開運・・・。「開運」の文字が多く並んでいて、声に出してみると、便秘症で悩んでいた人が、ある朝「カイウン」に巡り会えたのかしら? と低い IQ に連想させられます。
▼この数年間の変化、バケカタは、神社が生きていることを感じさせてくれます。
▼拝殿前、記念撮影のためのカンバンかしら?
400年前の小さな祠が起源とか。本殿は江戸時代のもの。
▼ジメッとしてなく、ジャリッとしているジベタが清楚です。とってもイイ感じ。▼境内社は仲良く四社が並んでいます。人と同じように神社も多くの人に見られたり、迎えたりするようになると美しくなるようです。神社ブームから御朱印ブーム。この数年間で佇まいが美しくなった寺社はたくさんあります。草加神社もその一つのように思います。
しかし、稀に行き過ぎて、勘違いして、メイクの濃いアラフォーのような寺社も見受けられます。
寺社は塗っても、着飾っても、爽やかさ、清楚さは必須です。
草加には、そんな過度な飾りをしてなく、清楚さと爽やかさをを感じさせてくれる景観の松並木があります。
▼この景観は「後世の人々の風景観に影響を与え、今なお往時の雰囲気を伝える一連の風致景観」として、国の名勝に指定されているそうです。上の写真の川は「綾瀬川」です。この川は南下して途中から荒川と並行して流れ、東京湾に注いでいます。
そして1980年から1995年まで全国「水質ナンバー1」の川でした。No.1でも「ワーストNo.1」です。魚たちがすべて引越しを余儀なくされた水質だったそうです。
現在は荒川の水を引き入れ、「ウスめて」許容できる水質にしているようです。
何の話かわかりません!
ウラばかり見ようとする人間の目かもしれませんが、上ッ面だけで判断して、思いっきりイタイ目に会ったきた者の見方です。
▼「ウワッツラ」は見事です。橋の後方の集合住宅がジャマですが・・・。
自分の確認で、こんな橋が2つありました。もっとあるかもしれません。
▼そのひとつ「やだてはし」を渡ってみます。
▼太鼓橋のような途中で、タイル画が埋め込まれていました。日光街道、奥州街道の2番目の宿「草加宿」は、北の殿様たちの参勤交代のルートだったし、芭蕉も歩んだ松並木なのです。芭蕉の創作力には1mmも近づけないものの、共感は100mくらいに近づいています。
この松並木の先に見えるものは、人それぞれ違います。
皆さんが思い描いてください。
何が描かれようとワタシの「知ったこっちゃ」ありません。
でも、もしかして「そうか せんべい」ではチトさみしいわね!