▼菅田天神社の御朱印です。(山梨県甲州市塩山上於曽)あまりに個性的な筆書きは、
決して忘れることはないでしょう。
この頃、地方に出た時の変わらずの過密スケジュール。
神社の写真撮影もそこそこの短時間訪問でしたが、
「どこから来たの?」と
嬉しそうな笑顔で尋ねてくれました。
ここのところ、過去にいただいた御朱印を蔵出しのようにして記事にしていますが、
その御朱印を見直していて、
いただいた寺社の様子が目に浮かぶもの、
揮毫いただいた方の人柄を思い出さされるもの、
そのどちらも全く記憶にないもの、と様々です。
寺社の建物や庭などに感動や驚きを覚えるものも記憶には残ります。
しかし、一番に記憶に残るのは
御朱印をお願いする時、戻された時の、例え短かくとも その時の会話でしょう。
今はそんな機会は少なくなりました。
典型は並んで受付けされて、またしばらく待ってから受け取るような
人気の御朱印の受付相手に会話を仕掛けるタイミングなどありません。
相手も迷惑になるだけでしょう。
2013年の御朱印に「人気」という言葉はありませんでした。
「昔は良かった!」なんて言いません。
より多くの人が御朱印とともに寺社を理解するようになった
「今が良い!」に異存はありません。
今のコロナ禍の社会のように、決して元に戻ることなく変容する姿は
御朱印の世界にも言えるようです。
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▼菅田天神社は恵林寺など有名寺社の多い「塩山」に鎮座します。
菅田天神社は訪問前は「すがたてんじんしゃ」と読んでいました。
毎度のことですが寺社の読みは、思うようになりません。
「かんだてんじんしゃ」が正解でした。
ジャイアンツの「菅野」をどう読むかと同じです。
「ピッチャー菅野」の文字は野球ファンは当たり前に読むでしょうが、
全国で苗字としての読まれるのは「かんの」が7割、「すがの」が3割ほど。
その中で「すげの」と読ませる人も2、3%いるそうです。
苗字としたら、誰も「すげの」とは呼んでくれないでしょうが、
「スゲ〜ノ〜」とは呼ばれるかもしれません。気の毒です。
菅田天神社は古社です。
創建は842年とも伝わります。平安時代初期になります。
天神さまですので道真のほかに素盞嗚尊、五男三女神が祀られています。
▼「なで牛」を目にして初めてこの神社が天神様と理解したテイタラク!
最近は考えを少し変えましたが、
この神社を訪問した頃は事前知識を得ずに参拝するのが常でした。
ところが自分の探求眼はナシに等しいものであった事を思い知らされます。
そうです、
2017年にこのブログを始めてから感じたことです。
知ったかぶりの「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」 は通じませんでした。
並べる「文字」「言葉」「伝達力」の貧弱さはオソマツとしか言いようがありません。
もちろん、事前知識、事後知識を並べ立てたところで
記事の面白さは別問題ですが・・・。