正覚山 壽永寺の御朱印
「じゅえいじ」浄土宗(東京都台東区三ノ輪1-22-15)
年号の表記は「甲辰歳」で、訳?せば令和六年。
同じく中央の印は不明。おそらく「仏法僧寶」?
さらに「喜喜」の印。「囍」は文字ではなくデザイン。
「双喜紋(そうきもん)」と言われ、
喜びが連続するというマークで、中華店のラーメン丼に時々見かける。
中国人がみんな大好きな図案だそうだ。
そして「江戸下谷金椙村」の印。
江戸時代の金椙村は田んぼしかなかったでしょう。
現在、その名称は唯一「金杉通り」として残っている。
2025年の御朱印構成とほぼ同じだが、13年には右下に宝船の印が押されていた。
▼壽永寺はメトロ「三ノ輪駅」からすぐの場所にある。
三ノ輪駅近くには江戸五色不動の「目黄不動」を祀る永久寺がある。
現状は分からないが、10年ほど前は入手困難な御朱印だった。
もう一つの「目黄不動」を名乗る平井の最勝寺なら御朱印は容易にいただけた。
▼ほかの寺の話は別にして、下谷七福神巡りのスタート寺である。
逆コースだったが、この七福神コースを最初に巡ったのは2013年だったから11年ぶりで、
「一昔前」ということになる。
昨日の記憶さえ怪しくなっているから11年前のことは、ほぼ覚えがないに等しい。
壽永寺の起源は1630年(寛永7年)、お江の方に仕えていた侍女が、お江の方の夫である徳川秀忠の菩提を弔うため、出家して庵を結んだ。
▼「次は飛不動」という親切な案内は当時には無かったように思う。
「至れり 尽せり」のような案内がどこでもあるわけではない。
事務的な処理のところ、親切丁寧なところ、話に乗ってくれるところとさまざまだ。
東京近郊のどの地域の七福神でも概ね御朱印対応は親切丁寧である。
おおむねと言ったのは、親切丁寧とは言えない寺社もあるからだが、
そんな時は正月から気分悪くせず、皆正月は忙しいのだと割り切る。
下谷七福神は23区内にいくつもある中でマイナーな存在。
▼それにしても閑散としていない? 正月も7日目のせいか?
まずは本堂の阿弥陀如来にご挨拶。
▼人が少ないと訝しんでいたら、七福神の色紙を持った参拝者がドンドン現れた。
▼色紙にポンポンとスタンプラリーの如く印を貰うだけなら入口でいただける。
▼本堂右横にある下谷七福神「布袋尊」石像は大きく堂々としている。
ここで合掌しなければ七福神の意味がないが、
この布袋尊に対面せず、色紙にスタンプをもらって、そそくさと寺を出る人もいる。
それは、もう慣れた景色でもある。
布袋尊も「ワッハッハッーー」!
▼色紙印ではなく御朱印は布袋尊像のさらに右奥で記帳いただける。
美女二人のお嬢さんに対応していただいた。
ほぼ10年ぶりの下谷七福神巡りであることや、昨今の御朱印事情のグチを聞いてもらった。
普段の壽永寺は門が閉ざされているように記憶するが、その印象とは全く違う二人の女性の対応に寺のイメージを書き変えた。
▼帰り際、この方にも挨拶。
▼寺の真前は小学校。昔の小学校にはほとんど「金次郎」がいた。
現在の小学生には「ニノ」は通じても「二宮」は「知らな〜〜い」かも。
次の順はすぐ先の「飛不動」だ。
▼2013年の下谷七福神めぐり。