それぞれの御朱印右上に「相馬六十七番」「相馬六十八番」のスタンプが押されています。
番号数字から見当はつきますが「新四国相馬八十八ヶ所」という霊場の札所番号です。
「相馬」は東北の相馬とは別物で、現在の千葉県北部と城県南部 の旧郡名です。
それにしても観音霊場もさる事ながら四国霊場を模した「新四国」や「ミニ四国」も全国になんと多いことでしょう。
その数だけ「本場」の遠い四国への巡礼を望んだ人々が多かったと言うことなのでしょう。
様々な事情で「本場」へ行けない人々の願いを叶えるため各地の「地四国」が誕生したのでしょう。
身もふたもない言い方をすると「お気軽四国」です。
特に御朱印には記載がないのですが、布施弁天「関東三弁天」に数えられるそうです。
「関東三弁天」の他の2弁天は
度々記事にするように、このような括りに大きな意味はないと思いますが、知名度や寺社の大きさなどの目安にはなります。
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▼布施弁天へは柏・北柏・我孫子駅などからバスを利用します。
▼車ですと寺の前に広い駐車場があります。そこに大きな鳥居があります。
▼寺院内に鳥居は珍しくもありませんが、寺にしてはこの大鳥居は目立ち過ぎです。
別の場所のどこかに神社があるのかな? と疑問が湧いてきます。
しかし前後、周囲を眺め回しても それらしき二の鳥居や社は見つからないので、やはり「布施弁天の鳥居」です。
どうやら当初の東海寺は弁財天社の別当のような役割を担っていたようで、歴史の流れの中で弁財天社境内に移転してきたようです。
大きな鳥居は威張っていて当たり前かもしれません。
▼鳥居を一礼してくぐると正面が楼門「最勝閣」です。1810年の建立。
本尊の弁財天は弘法大師が造ったと伝わり、創建は807年だそうです。
1717年建立の本堂の造りは複雑で頭でっかちながらドッシリとしています。
「三方破風造り」と呼ぶそうです。
▼華やかな彫刻、彩色が施されています。
手は加えられてきたのでしょうが、楼門、本堂とも200年、300年の時間を紡いできたことになります。
▼そんな年季にはとても追いつかない三重塔は「まだ」昭和の建立でペイペイ。
とは言え「昭和」も遠ざかる一方です。立派に長い時間を全うしてきたと言えるかもしれません。
薬師堂の他に不動明王、大日如来、弘法大師を祀るお堂が並ぶのは本堂境内から西に少し下った場所にありました。
ところで寺の地名は「布施」ですが、弘法大師がこの村を訪れた時、村を天女の利益にあやかり「布施」と名付けたそうです。
一般的には「お布施」という言葉が使われますが、仏教的な意味ではもう少し奥が深い内容を持っているようです。
信州の「小布施」なども仏教的な何らかと繋がりがあるかもしれません。
布施弁天に隣接する「あけぼの山公園」は、時季になるとチューリップが見事に咲き誇り、春から秋には様々な花が見頃になるそうですので、弁天さま訪問もタイミングを見ての参拝がベストです。
▼写真は布施弁天HPからお借りしました。
(境内のご案内 | 紅龍山 布施弁天 東海寺 | 関東三大弁天)