日本の親たち、大人たちは一体どうしちまったんだ? なにやってんのっー!
銀も金も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも
憶良も目と耳をを覆いたくなるようなニュースばかりだ。聞きたくない!詳細は知りたくない、タクサンだ!
子供たちが犠牲になり続けている。
いちばん弱く、いちばん守らなければならない子供たちが犠牲になり続けている。
まだ言葉もわからない幼い子供たちが叫んでいる。
「ミルクを飲ませて!飯を喰わせろ! 栄養を与えろ! 熱湯をかけるないで! 強く揺すらないで! 冬のベランダに出さないで! 車に置き去りにするな! 道連れにするな! あーぁっ〜〜〜、首を絞めるなぁー!」
そんなことは教科書にも載っていない。
子供たちは、百もの注意書きを握りしめて、生まれてこなければならないのかしら?
千年も昔から、いや、きっと有史以来日本人は安産と子供たちの守護を神仏に願って、祈って、敬ってきた。そして
肌を離さず、手を離さず、目を離さず、心を離さずに子供たちと一緒に歩んで、そして子は時には鎹にもなってきた。が、いまや子は滓にされてしまっている。
そんな日本人の姿は今や「日本昔ばなし」と化してしまおうとしているのか?
どこへ行ってしまったのだ? 憶良世代の子孫たちは?
「ちょっと今から人間を辞めてくる!」
わかっている、現在もごく一部の「大人になれない人間になれない」生き物たちだけの話だ。
長い過去にも、数多く起きていた事かもしれない。
ニュースメディアも何もなく、何も知らずに済んでいた頃とは違い、情報まみれの現代だから、数量的に多くのオゾましいニュースを知り得てるだけってことかしら?
それもあるでしょう。でも皆んな思っている「どこか違う、何か違う!」と。
原因不特定の、正体不明な「なにか、どこか」だ、静かに確実に迫ってきている魔物だ。
為政者も、知識者も、誰ももう決定的な修正はできない。もとよりそんな人たちが長く信用できたタメシもない。
もちろんワタシも、何もしない、できない、嘆くだけの傍観者だ。
ひとつだけ、できる事がある。
長い時の流れの中、たゆまず子供たちの成長と安全を見守ってきた、そして民の信頼と敬いを得てきた存在がある。
多くの子供たちを固く守れる決定打を誰も持たない今こそ、ワタシは、その存在に祈るのみだわっ。
宮司さん、とっても優しく、愚かなワタシにもガマン強くお話ししていただきました。ありがとうございます。
有名な神社と寄り添うカタチで静かに佇み、子供たちの安寧を願う熱い気持ちが伝わって来るような地蔵さまが印象的な寺でした。
▼桃太郎神社・愛知県犬山市栗栖
愛知県だから許すとしましょう! これでもシンケンでしょうから! 子どもたちの事を思って・・・。
▼子安神社・京都八王子市明神町
昨今の神社、やむをえないでしょうねぇ。境内に足を踏み入れ、最初にクンクン臭ったのはショーキのシューキ。
でも、さすが人気の神社。参拝を回り終え、御朱印をいただく頃には、シューキは爽やかな、香しいものに変わっていた事に気付きました。
子安神社、安産と子どもたちを見守れ、ガンバレ。